i-dleのサビで、強い印象を残すミヨンの声。
本人がソロで深めようとしたのは、その声で一曲を最後まで心地よく聴かせる力でした。
目立つ一節を任されることと、一人で歌全体を引き受けることは、同じではありません。
2022年の「Drive」を一つの節目に、その選択がどう広がったのかをたどります。
2020年――自分の役割がわかるからこそ、その外へ
2018年にデビューした(G)I-DLEで、ミヨンはメロディーを安定して支える役割を担ってきました。
2020年には、ソヨンに説明されなくても、曲を聴けば各メンバーの担当が思い浮かぶと話しています。
それは互いの声が生きる場所を知っているということ。
同時に、決まった枠から出たくなる時もある、と打ち明けていました。
この頃、一人で歌う機会があれば重みのあるR&Bにも挑みたいと考えていました。
覆面をつけて歌う番組やカバーの公開も、違う姿を見せるきっかけになります。
まだソロアルバムを出す前から、チーム内の持ち場と、自分が試したい歌の間には、広げられる余地があったのです。
2021年――大きな伴奏の中で、一人の声を届ける
2021年の「You Were My Breath」は、その別の表情を知る作品です。
ロコベリーが制作に携わり、ピアノやギターに60人編成のオーケストラを重ねたポップバラードでした。
制作側が目指したのは、ミヨンの声色を際立たせること。
本人もデモに強く心を動かされ、参加を決めたと伝えられています。
グループの一節を歌う時とは違い、この曲では彼女の声が作品の中心に置かれました。
ピアノの旋律やギターのアルペジオ、厚い弦の響きが、一人の歌い手の色を見せるために組まれています。
翌年のソロデビュー以前にも、自分の声で別の物語を届ける仕事は重なっていました。
2022年――「Drive」で、聴き手を励ます自分を選ぶ
初のソロミニアルバム『MY』を考える時、ミヨンは、なぜ歌手になりたかったのかに立ち返りました。
自分が音楽から力をもらってきたように、誰かの支えになりたい。
個性の強いグループの音楽を知る人にも、気軽に聴いてもらえる作品を選んだのは、その思いがあったからです。
「Drive」の明るさは、強いコンセプトを持つグループから、そのまま切り取ったものではありませんでした。
一方で、ソロだから得意なことだけを並べればよい、と考えていたわけでもありません。
どんな音楽を入れ、自分がどんなエネルギーを届ける存在になるかを、何度も考えた末に、安心や勇気を与える方向へ進みました。
声の明るさを、聴き手を急かす強さではなく、前へ向かう気持ちへ結びつけたのです。

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『MY』には、力を込めて歌う「TE AMO」もあります。
ミヨンは、愛らしい歌詞の気持ちをよく伝えるために、あえて力強く歌ったと説明しています。
穏やかな作品を選んだことは、強い声を使わなくなったという意味ではありません。
何を伝えるために声を強くするかを、自分の作品の中で選ぶ段階に入っていました。
最後の「Rain」では、ウギが贈った曲に、自分の言葉を乗せました。
昔書いた文章を整理し、曲から受け取った深い感情を、自分なりに解釈して作詞したのです。
すでに互いをよく知るメンバーだから、意見も交わしやすかったと振り返っています。
一人の活動を始めても、グループで築いた関係は、その歌の内側に残っていました。
ミヨンが自分の歌で届けたかった安心感には、聴き手としての経験もつながっています。
テヨンやZion.Tの音楽から慰めや力を受け取り、自分もそういう歌手になりたいと考えていました。
つらい時には、昔から憧れた歌や、歌うことの楽しさへ戻る。
ソロの声を探すことは、誰かと違う音色を作る競争ではなく、自分が音楽を好きになった理由を形にする作業でもありました。
2024〜2025年――「Sky Walking」で、作る側へ踏み出す
2024年8月のソウル公演で初披露した「Sky Walking」は、ミヨンが作詞と作曲に参加した曲です。
2025年8月にはデジタルシングルとして発表されました。
ベースやドラム、1980年代のポップを思わせるギターやシンセの響きに、明るい歌を重ねた作品です。
公演で先に届けた曲を音源にするまで、本人も発表を心待ちにしていました。
初めて自作曲を送り出すことには、期待に応えなければという気持ちもありました。
しかしミヨンは、その重さを手放し、自由に取り組む方向へ気持ちを変えたと話しています。
歌を任されるだけでなく、自分で作る時にも、身構えすぎずに感情を動かすことが課題になっていたのです。
2025年――明るい声のイメージから、怖くても一歩外へ
2枚目の『MY, Lover』で、その挑戦は「Reno」に表れました。
ミヨンはこの曲を入れたいと言った時、会社が「Drive」のような曲を望んで反対するかもしれない、と考えていました。
実際には変化を歓迎され、安心したといいます。
長く歌い続けるために表現を広げたいという思いが、慣れたイメージから踏み出す理由になりました。
ソロの制作では、自分で決めることが増えるぶん、重圧と自由が一緒にやってきます。
このアルバムでも、ミヨンは作詞に参加し、録音の細かな表情に時間をかけました。
「Reno」は、とりわけ新しい方向を探れる曲として、本人の記憶に強く残っています。
完成した声だけでなく、どの歌を自分の作品として選ぶかという判断にも、変化がありました。
さらに、タイトル曲「Say My Name」などでは、声をリラックスさせ、細やかな表現を探る録音へ進みます。
高音を強く響かせる力に加え、力を抜いた声でも言葉が届く形を選ぶ。
新しさは、曲のジャンルや見た目だけにあったのではありません。
最初の『MY』では、受け取った曲をうまく届けることに集中していたというミヨン。
『MY, Lover』では、制作の要素を自分で組み合わせる実感も得たといいます。
歌い手としての経験が、自分で作品を選び、整える仕事へつながっていました。
ただし、活動を重ねれば、自然に重圧がなくなるわけではありません。
2枚目だからこそ、成長した姿を見せなければと思った時期もありました。
本人は、身構えたままでは自分らしくないと考え直し、力を抜いて向き合うことで作業が進んだと話しています。
声の表現を変える前に、制作に臨む気持ちから整える必要があったのです。
2026年――新しい歌い方を、グループにも日本の曲にも
2026年6月のシンガポール公演では、ソロステージに「Reno」を持ち込みました。
その日のトークでは、ミンニが「Reno」、ソヨンが「Drive」を好むと話しています。
以前の明るい声を捨てて、新しい姿へ総入れ替えしたわけではありません。
異なる作品がそれぞれに愛され、グループの公演の中にも、ソロで増やした表情が戻ってきました。
ミヨン自身、公演前にメンバーで座って曲順を通して歌うたび、自分たちが作ってきた曲の多さを実感すると語っています。
ソロで個人の色を探すことと、仲間の声に合わせることは、並行して続いていました。
一曲を一人で引き受ける経験が増えても、歌う場所は一つにはなりません。

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8月には、日本でのソロ曲「RUN AWAY」を発表しました。
本人が聴きどころに挙げたのは、明るさと、高音の多さです。
自分にもエネルギーを与える歌にしたいと作詞へ参加し、迷いやためらいから踏み出す気持ちを込めました。
「Say My Name」で力を抜く表現を探った後にも、伸びやかな高音は大切な選択肢として残っていたのです。
ミヨンの変化は、グループで担ってきた強い声を、一人の歌手として使い直していく過程です。
明るく励ます歌も、冷たい感情を帯びた歌も、軽やかに別れを伝える歌もある。
一節の印象を作る声から、曲全体の表情を選ぶ声へ。
その広がりを知ると、高音が現れる瞬間にも、そこまでの歌い方にも目が向きます。
曲ごとの声の使い分けは、ミヨンの歌い方で詳しく扱っています。

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