元ちとせの歌声はどう変わった?「ワダツミの木」から『虹の麓』、2026年のシマ唄へ

2023年の20周年記念ライブで三味線を持って歌う元ちとせ シンガー
デビュー20周年記念ライブの元ちとせ(2023年2月4日、EX THEATER ROPPONGI)。撮影:福政良治(DRC)/出典:元ちとせ公式ライブレポート。

元ちとせは、ポップスを歌い始めた頃、奄美のシマ唄で身についたこぶしを出さないようにしていた。ところが、そうして歌うと自分が歌う意味まで分からなくなったという。あの声がデビュー曲「ワダツミの木」へつながった。

それから20年後のアルバム『虹の麓』を作るとき、彼女は、淡白な声でも言葉の置き方やリズムによって物語を伝えられると考えた。2026年には、民謡クルセイダーズと熱のあるシマ唄を録音している。かつて声の特徴を隠そうとした人が、なぜ後には声を抑える表現も、力を込める表現も選べるようになったのか。違いはこぶしを使う量だけでは分からない。歌の中で何を届けたいかを、作品とともにたどってみたい。

2002年――シマ唄の声を、ポップスから取り去らない

元ちとせは奄美大島で育ち、三味線とともにシマ唄を覚えた。歌を始めた頃からポップス用の別の声を持っていたわけではない。2001年、オーガスタキャンプへの出演を通して、シマ唄ではない音楽を自分がどう歌えるかを考えるようになった。

本人によると、最初はこぶしを抑えようとしていた。こぶしが入ると、どんな歌もシマ唄のように聞こえるのではないかと思ったからだ。けれども、抑え続けると、自分がその曲を歌う意味が見えなくなった。「ポップスに合わせる」と「自分の歌でなくする」は、同じことではなかった。

2002年に「ワダツミの木」でメジャーデビューする。奄美の歌をそのまま移した曲ではなく、上田現が作ったポップスの中で、彼女が身につけてきた節回しが生きた。こぶしや裏声が一節の中でどう働くかは、元ちとせの歌い方を扱った記事で詳しく見ている。ここで大切なのは、その特徴を「消すべきもの」から、自分が新しい曲を歌うときにも持っていくものへと捉え直したことだ。

ただし、そこから先、どんな曲も同じ強さと節回しで歌うことに決めたわけではない。2005年の「死んだ女の子」に向き合った経験は、彼女の関心が、声の個性だけでなく、歌の言葉が誰に何を伝えるかにも向いていたことを示す。

2005年から2011年――声の強さより、言葉が残る歌へ

「死んだ女の子」は、デビュー前にデモ録音をした時には、元ちとせには歌の意味がよく分からず、題名や歌詞が怖く感じられたという。その後、広島での公演を機に平和記念資料館を訪ね、自分が知らなかった歴史に気づいた。そこでこの歌を歌い、広く届けたいという気持ちが生まれ、2005年に坂本龍一のプロデュースで発表した。歌への向き合い方が、経験によって変わった例である。

2010年の「やわらかなサイクル」では、制作側から、いつもの力強い歌い方とは違う方向を求められた。翌2011年の「永遠(トワ)の調べ」では、本人がより具体的に声の選び方を語っている。シンプルな曲なので、強くなりすぎず、柔らかくなりすぎないよう注意したという。一語ずつが聞こえ、歌詞の世界が残ることを望んだ。

これは、初期のこぶしを無理に隠す試みとは違う。自分の声を消して曲に合わせるのではなく、曲の言葉を届けるために、どれほどの強さで歌うかを選んでいる。この取材で元ちとせは、自分で歌詞や曲を書かなくても、受け取った作品をどう送り出すかが歌い手の役割だと話した。2022年に突然「語るように歌う」ことを覚えたのではない。その選択は、すでにこの頃の作品にもあった。

「ワダツミの木」も、ひとつの形に固定しなかった。2012年にはスライ&ロビーと同曲の新しい版を作り、後に本人は、異なる編成やアレンジで歌うたびに次の形を楽しみにしてきたと振り返っている。代表曲を再現し続けるだけでなく、その時の演奏者と新しい形で届けてきた。

2018年――新しいリズムに苦しみ、シマ唄を「今の声」で残す

2018年、インストゥルメンタル・バンドのjizueと「Sing-la(森羅)」を録音した。元ちとせは、この曲ではリズムが難しく、どこで息を取るか、音へどう入るかにも苦労したと話している。言葉をはっきり届かせながら、そのリズムに乗ることを意識した。すでに多くの曲を歌ってきた人にも、初めての相手と作る歌には解き直すべき難しさがあった。

jizue側も、当初の簡素な伴奏に彼女の声を合わせると歌の存在感が強く、演奏との釣り合いを考えて編曲を変えたという。バンドも音を組み直し、歌と演奏が互いに場所を作った。元ちとせは、慣れた曲とは違うリズムの中で、息を吸い、言葉を置く場所を探した。

同じ年、奄美のシマ唄を収めた『元唄(はじめうた)~元ちとせ 奄美シマ唄集~』も出した。公式プロフィールには、自分の歌の原点を「今の声で残したい」という制作意図が記されている。若い頃の声を再現するのではなく、その時点で歌うシマ唄を録音する選択だった。シマ唄はデビュー時だけの特徴ではなく、時間を経て歌い直す対象であり続けた。

2018年のアルバムに中孝介と収めた「朝花節」は、2022年には故郷・奄美でも二人で披露した。作品として残し、故郷の地で再び歌う。その両方に、シマ唄と現在の自分との関係が表れている。

2022年『虹の麓』――提供曲の中に、自分の歌を探す

2022年の『虹の麓』は、2008年の『カッシーニ』以来14年ぶりのオリジナル・アルバムだった。その間に新曲やカバーを出していなかったわけではない。節目に彼女が残したかったのは、20年を経た「今の自分の声」だった。本人は、この年月で声も歌い方も、親となって感じることや社会との関わり方も変わったと語る。

2022年の元ちとせとクリス・ペプラー
「OTOAJITO」出演時の元ちとせ(右)とクリス・ペプラー(左)、2022年。写真出典:J-WAVE NEWS。

制作は、人と直接会って録音するのが難しい時期と重なった。折坂悠太や長澤知之らから届いたデモには、曲を書いた人自身の歌が入っていた。それを聴くたびに、この曲をどうすれば自分の歌にできるかと悩んだという。単に力のある声を乗せれば、元ちとせの歌になるわけではない。歌にすでにある語り口を受け止めたうえで、自分が言葉を置く位置を探す作業だった。

本人は、淡白な声であっても、言葉の置き方とリズムの取り方で物語の語り手になり得ると話している。それはこぶしを捨てたという宣言でも、このアルバムを一つの平板な声で歌ったという説明でもない。2011年には一語ずつの伝わり方を、2018年には新しいリズムと歌詞の釣り合いを考えていた。2022年の言葉は、強い声だけを自分らしさの条件とは考えていないことを示している。

2023年から2026年――歌を引き継ぎ、再び熱を込める

「死んだ女の子」も、2005年で終わった歌ではない。2023年のライブでも元ちとせはこの曲を歌った。かつて意味を知ろうとして選んだ作品を、現在も歌う対象にしている。長年歌ってきた曲であっても、その時々で歌い方や思いは変わると本人は話す。ひとつの録音だけに歌の姿を閉じ込めていない。

戦後80年の2025年には「イムジン河」を発表した。本人は、奄美の子どもたちにシマ唄とともに「死んだ女の子」を歌うことがあり、聴いた子が後に平和を考えるきっかけになればと話している。2005年には自分がその歌の意味を知ろうとした。今は自分が知ったことを、歌を通して次の人へ渡そうとしている。何を届けるかを考える姿勢は、より長い時間の中で続いている。

2026年には民謡クルセイダーズのアルバム『日本民謡より愛をこめて』に参加し、奄美群島・徳之島に生まれた「ワイド節」を録音した。二者は2018年の『元唄』でも「豊年節」で組み、その後も舞台で共演してきた。元ちとせ自身は、何度かライブで歌った「ワイド節」を改めて録音できたことを喜び、バンドの力が加わってさらに熱い曲になったと述べる。制作に参加した民謡クルセイダーズの田中克海も、デビュー時から積み重ねてきた歌の凄みをこの曲に感じたと語った。

歌い手自身がシマ唄を選び、三味線も弾き、バンドの新しい響きの中に入っている。2022年に淡白な声にも語りの可能性を見たことと、2026年に勢いのある曲を歌ったことは対立しない。どちらも、いま歌う作品に合わせて、声の力をどこに置くかを選ぶ仕事だ。

デビュー前、こぶしを抑えたときに失いかけたのは、自分が歌う理由だった。その後は、シマ唄から来た声を持ったまま、曲によって強さ、言葉の置き方、リズムを選んできた。『虹の麓』での静かな語りから「ワイド節」の熱まで、一つの声色へ進んだ物語ではない。自分を消さずに、ほかの人が作った歌や受け継いだ歌を、現在の自分がどう届けるか。その問いを持ち続けた歩みである。

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