『ノートルダムの鐘』でカジモドが外の世界を願う「陽ざしの中へ」。大きく歌い上げたくなる曲ですが、演出家は海宝直人に、希望へ手を伸ばしきれない人物の苦しさも歌で示すよう求めました。海宝が大切にするのは、音を伸ばした先にいる登場人物を置き去りにしないことです。
その考えを本人は「歌を話す」と表現します。美しい高音をどう出すかだけでは捉えきれない、言葉の抑揚、息継ぎ、相手との関係。海宝の歌い方を、舞台と録音の具体的な選択から見ていきます。
「陽ざしの中へ」は、ただの勝利宣言ではない
カジモドは、ずっと閉じこもっていた場所から外へ出たいと願う人物です。「陽ざしの中へ」は、その願いを歌う曲。海宝はこの曲について、気持ちよく力強く歌うだけでは、外に踏み出すことへの恐れや、そこに伴う覚悟が消えてしまうと指導されたと語っています。
ここでの高音は、歌い手の声量を見せるためだけにあるのではありません。憧れる気持ちと、まだ踏み出せない気持ちが同時にある場面の言葉です。高音が目立つ曲だからこそ、どんな人物が、どんな距離から外の世界へ呼びかけているのかが先に必要になります。
海宝はその後の取材でも、ミュージカルでは歌を「歌わず」、語ることが重要だと説明しました。言葉を平らに朗読する、という意味ではないはずです。旋律が盛り上がるところでも、役がいま何を言おうとしているのかを失わない。その判断が、ただ朗々と歌うこととの違いです。
同じ役でも、心を開く相手によって声を変える
カジモドの声について、海宝はさらに具体的な説明をしています。強いストレスを受ける相手と話すときは言葉が詰まり、声も荒れる。一方、エスメラルダに心を開いていくと、言葉が出やすくなる。芝居の台詞だけでなく、歌の中でも心の開き具合に応じて声を段階的に変えたそうです。
「大きな声」か「小さな声」か、という二択ではありません。相手を警戒している間は、言いたいことをすぐには口にできない。その人物が少しずつ言葉を得ると、同じ役でも声の表情が動く。海宝が重視しているのは、音色をあらかじめ決めて使い分けることより、役と相手の関係から声を生み出すことです。
この役に取り組む中で、本人は稽古時に喉を痛めたことも話しています。したがって、独特の声を無理にまねることを歌い方のコツにしてはいけません。本人にとっても、役の表現と声への負担を両立させることは難しかったのです。子役時代からこの役を演じるまで、歌声と役作りがどう変わったかは海宝直人の歌声の変遷でたどれます。
「Someday」は、誰の気持ちとして歌うかで変わる
2019年のアルバム『I wish. I want.』で海宝は『ノートルダムの鐘』の「Someday」を選びました。舞台ではエスメラルダが歌う曲です。それでも本人は、この作品全体の願いを歌う曲であり、カジモドの曲でもあると考え、録音ではカジモドの感覚で歌ったと話しています。
同じ旋律と歌詞でも、誰の立場から言葉を受け取るかで、曲に向かう理由が違ってきます。ここでは、女性役の曲を男性が歌った意外性が中心ではありません。海宝はカジモドとして舞台に立った経験から、そこに別の人物の祈りを見つけました。音域に合わせて歌える曲を選んだ、という説明だけではこの録音の意味を取り逃します。
アルバムには「新しい世界」も収録され、咲妃みゆとデュエットしました。海宝はアラン・メンケンの楽曲について、曲の中に人物の感情や作品の世界がすでに描かれていると話しています。歌う際に自分の癖で色を重ねすぎず、音楽を丁寧に表すことを心がけるそうです。作品の音楽から人物の気持ちを受け取り、相手と歌う場面へ渡す。その姿勢は、「Someday」で誰の思いを歌うか決めたことにも通じます。

日本語の意味が、メロディーの強さに負けないように
2024年、音響設計者との対談で海宝は、ミュージカルの日本語歌詞について興味深い例を挙げました。翻訳された歌詞を既存のメロディーに乗せると、意味の中心ではない助詞に強い音が当たる場合がある。そうすると、歌としては音程が合っていても、日本語の抑揚が崩れ、人物の言葉として伝わりにくくなるというのです。
「歌を話す」は、強い音を弱くして平板に歌う、という単純な方法ではありません。メロディーの山を保ちながら、どの語を相手に渡すかを調整する仕事です。物語を知らない聴き手にも、人物がその言葉をなぜいま言うのか伝わるか。海宝が音楽と言葉のバランスを気にする理由は、ミュージカルを歌ではなく芝居として成立させたいからでしょう。

ポップスやロックでは、言葉を音楽の拍からずらしたり、間に息を入れたりしてリズムを作ることもあると本人は区別します。海宝はCYANOTYPEでバンド活動もしていますが、舞台でもバンドでも常に同じ発音をする、という説明ではありません。曲の場面に合わせて、言葉をどこへ置くかの優先順位を変えています。
同じメロディーでも、役の気持ちは進む
『王家の紋章』のメンフィス役に向き合った際、海宝は曲の息継ぎの少なさを課題に挙げました。どこで息を入れ、最後の盛り上がりへどう運ぶかを組み立てなければ、人物の心情が浮かび上がらないと考えていたのです。しかも、同じメロディーが繰り返される部分でも、役の感情や意識は一度目と二度目で同じではないと話しています。
ここには、歌い方を考える際の重要な順序があります。息継ぎは単に長いフレーズを歌い切るための技術ではなく、その先に来る言葉と感情を届けるための準備。高音はその場面で人物が何を伝えたいかと切り離せない。だから海宝の歌唱は、「発声がうまい」という評価だけでは読み解けません。
2026年の『ニコラ・テスラ』では、4人の俳優が分担するパートの反応から一人の人物像が立ち上がる、と海宝は話しました。自分の声だけで人物を完成させるのではなく、共演者の声を受けて、その場の関係を作る。デュエットやアンサンブルで彼が聴いているものを考えるうえでも大切な視点です。単独で立派な声を響かせても、相手の言葉への返答にならなければ、芝居の場面は進みません。
2026年の取材でも海宝は、先に声色を設定するのでなく、台本や楽譜を読み、人物の状況や心理、周囲との関係を考える中で声が生まれると説明しています。『陽ざしの中へ』のためらい、「Someday」で選んだ視点、日本語の抑揚への気配り。いずれも声の大きさを決める前に、その言葉が誰から誰へ向かうかを決めているのです。







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