「願い~あの頃のキミへ~」を、切ない声で歌う失恋曲とだけ説明すると、當山みれいの工夫は見えにくくなります。
この曲は、童子-TとYU-Aの「願い」で語られた側から、もう一度言葉を返すアンサーソングです。
當山は、女性なら何を思うかを考え、ラップのある原曲に対して自分はラップ風のフロウを歌へ混ぜました。
つまり聴こえる声の表情は、物語の立ち位置から選ばれています。
當山の歌い方を考える軸は、ただ声が強いか、息っぽいかではありません。
「今、誰の言葉を歌っているか」と「聞き手までどの距離で届けるか」です。
本人が具体的に語った「願い」「Answer」「食えない」「嵐の前の静けさに」「雨の音」を使い、曲の中の判断を見ていきます。
「願い」では、メロディの中に返事のリズムを作る
元曲の男性の言葉を受ける「願い~あの頃のキミへ~」で、當山は元の歌詞の場面を保ちながら、相手の女性なら何を返すかを書きました。
原曲の時代を示すメールを、後年の生活で身近な連絡の描写へ移したのも、返事を自分の現在から書くためです。
この曲を歌う際に、単に音を伸ばすだけでは言葉の順番が伝わりません。
どの言葉が前の一節への答えなのかを示す必要があります。
本人は、童子-Tのラップの箇所に対して韻を踏み、自分はラップと歌を組み合わせる形にしたと説明しています。
ここでいうフロウは、話し言葉に近いリズムの運びです。
すべてを歌にするのでも、すべてをラップにするのでもない。
元曲と違う人物が言葉を返すために、旋律へ乗せる部分と会話のように動く部分の境目を選んだのです。

想像上の女の子と、自分自身では声の前提が違う
清水翔太の「My Boo」に答える「Dear My Boo」でも、當山は元曲の向こう側にいる人物を思い描きました。
彼女はアンサーソングを歌うとき、その女の子ならどう話すか考えて、かわいさやロマンチックさを声へ置くと語っています。
歌詞を書き換えるだけで終わらず、人物像から歌い方を決める。
だから、同じ歌手のラブソングでも、どの曲も同じ「素の自分」の声として受け取ると違いを見落とします。
一方、アルバム『Answer』の表題曲で歌っているのは、自分自身だと本人は説明しました。
アンサー曲の架空の女の子なら柔らかく見せる判断もある。
しかし「Answer」ではデビュー時の歌い方を思い出し、もっと力強い方向へ進んだ感覚があるそうです。
ここで大事なのは、やさしい声と力強い声の優劣ではありません。
歌詞の「私」が自分なのか、想像した人物なのかで、声に求める役割が違うことです。
「食えない」では、歌詞の人物に年齢感まで与える
南雲ゆうきの提供曲「食えない」は、當山が普段の自分なら選びにくかった恋を描きます。
本人は、幼さと背伸びの狭間を狙って歌い、従来の自分の曲より若く聞こえる声色になったと述べました。
歌詞の中の人物が、分かっていながら甘い関係から離れられない。
その危うさに合う声を探した結果としての選択です。
本人は、狙って若い声色にした部分もある一方、曲の世界へ入り込んだことで自然に導かれた歌い方でもあると振り返っています。
外側から可愛らしい声を足すだけでなく、その人物がなぜ背伸びをするのかを引き受ける。
大人びたい気持ちと、まだ幼さが残る声との間にあるずれが、この主人公の表情になるのです。
自作の歌詞だけを歌っていたなら、自分の経験と人物像が重なりやすいでしょう。
他者の書いた曲では、まずこの主人公を自分がどう理解するかを決めなければなりません。
當山は最初、強い言葉のある「偽愛」を歌うことにも迷いがありましたが、歌うことで恋の見方が広がったと話しています。
「食えない」での声色は、表現したい人物の幅が広がった後に選べるようになったものでもあります。
「嵐の前の静けさに」では、歌と独り言の境目を探す
「嵐の前の静けさに」は、荒谷翔大が書き、mabanuaが編曲した曲です。
當山は、当初のデモから編曲の雰囲気が変わったため、歌い方も大きく変えたと説明しました。
荒谷のデモはシンプルで、どこか歌謡曲らしさを感じさせるものだったそうです。
mabanuaには、そこからアメリカのヒップホップやR&Bに近い雰囲気へ寄せる編曲を依頼しました。
同じ歌詞と旋律でも、声が置かれる伴奏の世界が変わったのです。
欲しかったのは、ため息を含んだ独り言のような表現。
ただ小さくつぶやくのではなく、歌と会話の中間で、長く伸ばす音の声色まで研究したそうです。
「声量を落とせば自然」という話ではありません。
声を近づけすぎれば音楽の線が失われるかもしれず、きれいに歌い上げすぎれば、帰る場所のある二人の秘密めいた場面から離れるかもしれない。
本人が歌と話の間を模索したという言葉からは、曲の人物との距離を保つ難しさが分かります。
伸ばす音も、独り言の流れから浮いてしまわないように考える必要がある。
ロングトーンまで検討したという本人の話は、この曲のため息のような近さが、細部まで選ばれた表現であることを教えてくれます。

「雨の音」は、Bメロとサビで感情の見せ方を変える
川崎鷹也が書いた「雨の音」について、當山は、きれいなメロディだからこそ歌い方を誤ると曲の美しさを壊す怖さがあったと話しました。
川崎のデモに引っ張られすぎず、自分の人物像をどう入れるかを考えたうえで、Bメロではブレスで切羽詰まった感じを、サビでは一人で泣いているような弱さと声の揺れを意識したと説明しています。
この説明が面白いのは、曲全体に一つの「泣き声」をかぶせていないところです。
Bメロでは今にも言葉があふれそうな近さを作り、サビでは抑えてきた感情が表に出るようにする。
本人が語ったブレスと声の揺れは、どちらも失恋の悲しさを示すためですが、担当する場面が違います。
高い重ね声や伴奏にも、主人公の心を託す
「雨の音」のBメロでは、主な歌声の1オクターブ上に重なる声も使われています。
當山によれば、これは自分で高く歌って重ねたのではなく、ソフトで作ってもらったものです。
相手を追いかけることに夢中になり、周りが見えなくなっている人物の必死さを表したかったと説明しています。
ブレスの切迫感は自分で歌い、重ね声の質感は音作りで加える。
声の高さを歌唱力の目安として聴くだけでは、この役割分担を見落としてしまいます。
一途さの中にある危うさを、一つの歌声の表情だけでなく、声の重なりにも担わせたのです。
伴奏も、川崎のギター弾き語りのデモを出発点にしながら、當山の提案でピアノを中心にする方向へ変わりました。
ギターで作り込んだ段階では、欲しい寂しさが十分に出なかったからだそうです。
歌い方だけに全てを背負わせず、声を囲む音まで一緒に選ぶことで、泣くようなサビの居場所を作っていました。
當山みれいの歌い方は、ラップ風の返事、人物に合わせた若い声色、ため息交じりの独り言、泣くようなサビへと姿を変えます。
共通するのは、技を目立たせるために声を変えるのではなく、歌詞を語る人物を先に決めること。
その選択が作品とともにどう広がったかは、當山みれいの歌唱変遷でたどれます。

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