田代万里生は、東京藝術大学で声楽を学び、オペラの舞台からミュージカルへ活動を広げた歌い手です。
2009年にミュージカルへ初出演したときは、歌う声と台詞の声で、別人になったような戸惑いがありました。
その5年後、初のソロアルバムでは、自分が舞台で演じていない役の歌にも挑戦し、制作途中でもう一度歌い直しています。
身につけた声楽の発声を、作品や相手に応じてどう使うか。
2009年から2014年の歩みには、得意な歌を持った人が、新しい声の選び方を覚えていく過程があります。
「別れの曲」――2013年8月7日のコンサート
2009年、歌う声と台詞の声がつながらなかった

撮影:田中亜紀/掲載:All About。
画像出典:写真掲載元
田代は15歳から本格的に声楽を学び、大学在学中にオペラデビューを果たしました。
2007年には、ヴォーカルグループESCOLTAのメンバーとしてCDデビューしています。
ミュージカルに入る前から、歌と舞台の経験を積んでいた人です。
ESCOLTAへ進んだ背景には、クラシックの歌をもっと広く知ってもらいたいという思いがありました。
オーディションに受かった際、プロデューサーから、クラシックの発声のよさを広めたいと聞いたそうです。
自分が憧れるテノール歌手を、一般にはあまり知られていないことにもどかしさを感じていた田代にとって、別の音楽の世界へ出る機会でした。
『マルグリット』への誘いも、ESCOLTAで田代を知ったプロデューサーから届きました。
ミシェル・ルグランの曲と、『椿姫』をもとにした物語には、クラシックを学んだ自分との接点があります。
ロンドンで舞台を観ると、マイクを使っていても生の声が聞こえ、抱いていたミュージカルのイメージが変わったそうです。
これなら挑戦したいという気持ちで、日本公演へ進みました。
それでも、2009年の『マルグリット』は大きな戸惑いを伴いました。
アルマンは歌が9割、台詞が1割ほどの役だったと本人は説明しています。
それでも当初は、歌っているときと話しているときで人格が違うように感じたと振り返っています。
演技には苦手意識があり、稽古を重ねました。
歌と台詞を同じ人物の表現としてつなぐことが、最初の大きな課題でした。
そこには、声を客席へ届ける方法の違いがありました。
それまでのオペレッタでは、マイクを使わずに台詞を発していました。
大学でも学んだのが、客席へ声を届けるための「舞台語発音」です。
小さく話す場面でも、大きな空間にいる観客へ聞かせる必要がありました。
ミュージカルでは、マイクによって、会話ほどの声量でも客席へ届きます。
ところが最初は、台詞の声が必要以上に大きくなってしまったそうです。
歌えることと、歌から台詞へ自然に移れることは、本人にとって別の課題でした。
さらに、一人で役を担い、48公演を歌う経験も初めてだったといいます。
歌と台詞の調整に加え、一つの役を長い公演期間にわたって歌うことにも向き合っていました。
『マルグリット』2009年公演の舞台映像(抜粋)
2013年、ミュージカルでは意識して発声を変える
2013年の取材で、田代はESCOLTA、ソロのテノール、ミュージカルでは、それぞれ発声が違うと説明しています。
この時点では、ミュージカルをするときに意識して変えるようになっていました。
初出演のときに戸惑った声の使い方を、活動に応じて選び分ける姿勢が見えます。
本人は両方を大切にしたいと話し、基礎となるクラシックの発声を、さらに突き詰めたいとも考えていました。
新しい舞台へ進むことと、これまで学んだ声を磨くことを、同時に続けていたのです。
ミュージカルの客席へ、クラシックも聴いてもらいたいという希望も持っていました。
同年のコンサート『Road to Mario Tashiro ~Sing My Life~』も、その活動を形にしています。
一部ではノンマイクでのテノール歌唱を含め、二部ではバンドとともにミュージカルソングやポップスを歌いました。
一つの歌い方へ統一するより、それぞれの場で声を生かそうとしていました。
2014年、別の現場で得た声をESCOLTAへ持ち帰る
活動を使い分ける一方で、そこで得たものは互いの現場にも戻っていきました。
2014年6月の公演を前にしたESCOLTAの取材で、田代は、ソロ活動の期間を経て集まると、それぞれが違う感覚を持ち帰ってくることを楽しみにしていると話しています。
同じ取材で結城安浩が振り返ったのは、初期には、それぞれの出身ジャンルや声のパートを明確にしようとしていたことでした。
活動を重ねる中で、相手の表現も取り入れるようになり、田代にはポップスの要素が出てきたと評しています。
田代が自分の発声を使い分けると説明した翌年、仲間からは、その声に別の要素が加わる変化も語られていたのです。
もともと三人で歌う際には、ただ静かに寄り添えばよいわけではありませんでした。
ポップス出身の結城は、クラシックの発声をする二人に合わせ、自分も声を放つようにすると、響きが明瞭になったと説明しています。
田代も二人を視界に入れてバランスを取り、カンツォーネを思わせる編曲に合う歌い方を選んでいました。
声を均一にするより、違う声が一緒に鳴る形を探す活動でした。
ESCOLTA「We are the BRIDGE -ESCOLTA Ver.-」(2013年)
2014年、アルバム制作の途中で歌を録り直す

写真出典:ぶらあぼ。
画像出典:写真掲載元
ミュージカルデビュー5周年の2014年、初のソロアルバム『I am here ~Musical selection~』を発表しました。
出演してきた作品の歌を中心に、まだ舞台では演じていない役の歌も収めたアルバムです。
音作りでは、劇場で芝居を観ているような感覚を出すため、ミュージカル特有の音楽の揺れを大切にしました。
鹿賀丈史や石丸幹二、濱田めぐみらとのデュエットでは、自分のキャラクターも大きく変わると話しています。
一人の歌手の声を集めたアルバムにも、役や相手によって変わる表情を残そうとしていました。
「グラナダ」では、ピアノの師である御邊典一と録音しています。
幼い頃から好きだった師の華やかな編曲で、いつか歌いたいという願いが実現しました。
当時のぶらあぼの取材記事でも、この曲のクラシカルな発声が聴きどころとして挙げられています。
ミュージカルで得た表現と、以前から大切にしてきた声楽の歌が、一枚の中に並びました。
一方、新しい挑戦として選んだのが、『ラブ・ネバー・ダイ』の「君の歌をもう一度」でした。
舞台で田代が演じたのはラウルですが、この歌はファントムのナンバーです。
本人は、少し背伸びをする曲も入れたいという思いで選びました。
最初のほうに録音したものの、ほかの曲のレコーディングを重ねるうちに、もっと歌えるはずだと感じたそうです。
そこで、制作の後半に改めて録り直しています。
録音を終えたことよりも、その時点でできる歌をもう一度確かめることを選んだのでした。
まだ歌っていない役へ手を伸ばし、他の曲を歌う経験によって、最初の一曲にも新しい可能性を感じる。
アルバム制作そのものが、自分の歌を見直す時間になっていました。
同じ取材では、大学生の頃からの約10年間で、音域もずいぶん変わったと話しています。
声楽を学んでいた学生時代から、本人が感じる声も変わっていました。
その実感を持つ時期に、アルバムの中でも歌を見直しています。
オペラではベテランが主要な役を担うことが多く、学生時代の田代は早く大人になりたいと考えていたそうです。
30歳を迎えたこの年は、若者の役から、ラウルのような大人の役へ進むことも意識していました。
声の変化とともに、歌で担いたい人物像も広がる時期だったのです。
この時期の田代万里生は、声楽で身につけた声を持ちながら、舞台に合う発声を選び、録音の中でも表現を更新していました。
初ミュージカルで感じた歌と台詞の隔たりから、複数の発声を自覚して使うところへ進んだことが、2009年から2014年の歩みをつないでいます。
その間には、他ジャンルの仲間から自分の声の変化を教えられ、まだ演じていない役の歌へ挑む経験もありました。
その使い分けや、ピアノとともに歌を動かす考え方は、田代万里生の歌い方で取り上げています。







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