岡本知高は、ソプラノの音域を歌う男性歌手、ソプラニスタです。
その声で何を歌えばよいのか、学生時代の本人には迷いがありました。
初めての学校公演では子どもたちの反応が薄く、留学先では発音を直せずに行き詰まる。
そうした経験を経た歌手は、CDデビュー20周年の2023年、今度は表現したいことが多すぎて、もっと披露する場が欲しいと話しています。
高い声を歌にするための学びは、どのように自分の言葉で歌う表現へつながったのでしょうか。
「涙のアリア」――2004年のシングル版
高校3年から大学へ、高い声を磨く基礎を学ぶ
岡本が本格的に歌を学び始めたのは、高校3年のときでした。
それまでは吹奏楽部でサックスを吹き、音楽教師を目指していました。
大学受験に向けて音楽教育の分野へ志望を変え、試験科目に合わせて歌唱のレッスンを受けたことが、声楽へ進むきっかけになります。
最初のレッスンでは、教師が指示した音より1オクターブ高く歌ってしまったそうです。
そこから声を伸ばすことを勧められ、後の恩師となる瀬川武に出会いました。
イタリア語の歌や発声練習に取り組む中で、歌う楽しさに気づいていきます。

画像出典:写真掲載元
国立音楽大学では、コンコーネや母音唱法を基礎から学びました。
もともと持っていた高い声に、歌うための学習が加わった時期です。
本人は2016年の取材で、恩師が男性のソプラノに合う教材も探してくれたと振り返っています。
高い声の個性を、歌の中で使うために磨いていったのです。
その一方で、自分は何を歌えばよいのか、悩むことも多かったといいます。
音楽研究所で髙野紀子に相談し、かつて高い声で歌ったカストラートの存在や、そのための曲が自分のレパートリーになることを教わりました。
自分に合う教材を探す師と、過去の音楽から歌える曲を示す師がいたのです。
岡本は、ステージに立てることを楽しみに、学生時代から多くのコンクールにも挑戦していました。
基礎を学ぶ場所と、客席を前に実際に歌う場所。
その両方を行き来することを、瀬川も後押ししてくれたそうです。
子どもたちの反応から、届け方を考え直す
大学2年で始めた学校訪問コンサートでは、思い通りにならない経験もしました。
最初は大学で学んでいる曲をそのまま歌いましたが、子どもたちの反応は芳しくなかったといいます。
学んだものを披露する喜びと、目の前の人が楽しむことの間には、工夫が必要でした。
2回目にはアニメソングを中心に選び、話も交えて進めたところ、手応えがありました。
歌う側の満足で終わらず、客席が喜ぶために何が大切かを知ったと、岡本は振り返っています。
学校で音楽を教えたかった青年は、歌手としても、音楽の楽しさを人へ渡す方法を探していたのです。
パリ留学で、言葉の発音を自分の声にする
1999年に大学を卒業した岡本は、パリへ留学します。
目的は、自分の専門といえるものを確立することでした。
古い音楽を大切にするフランスを選び、人づてに先生を紹介してもらいながら、13人目で自分に合う師に出会ったそうです。
門下生が一緒に集まるレッスンは発表会のようで、周囲からも積極的に吸収していきました。
その学びの中で、新たな課題になったのがフランス語の発音でした。
本人は後の取材で、フランス語の美しさにひかれる一方、自分と現地の人の発音の違いを埋められず、焦っていたと話しています。
フランスの歌を現地の人の前で歌うときには、試されているように感じ、余計な力が入ることもあったそうです。
教師から発音の違いを指摘されても、自分で答えを見つけるよう求められ、先へ進めない時期がありました。
そこで、日常生活の中でフランス人と話すようにしました。
聞こえた言葉を、自分でも声に出して繰り返す。
その経験を重ねる中で、正しく発音するためのポイントをつかんでいったそうです。
タクシーでも運転手の言葉を繰り返しすぎて、不思議そうな顔をされたことがあったといいます。
教室の外で交わす会話まで、自分の耳と声を確かめる機会になっていました。
後に岡本は、教師が答えを教えなかったのは、プロを目指すなら自分で正解へたどり着くように、という意味だったのだろうと受け止めています。
指示通りに直すだけでなく、何が違うのかを聴き取り、試すことも求められたのです。
大学では母音唱法などを学び、留学先では、実際に人が話す言葉に耳を向ける。
歌の言葉を自分の声にするために、学び方を広げていきました。
2002年にプーランク音楽院を修了し、翌年にはCDデビューを迎えます。
2004年には、ドラマ「牡丹と薔薇」の主題歌「涙のアリア」も発表しました。
バロックの学びを、毎回違うステージへ生かす
学生時代とパリで身につけたことは、後の幅広い選曲にも生きています。
2016年の取材で岡本は、同じ曲を何十回、何百回と歌っても、一回ごとに喜びが必要だと話しました。
そのための楽しみが、その場で変化を付け、共演者の応答を受ける即興性でした。
大学とパリで学んだバロックのアプローチは、ポップスを歌うときにも使えると説明しています。
さらに2019年の取材では、ステージで自分を見てほしいという気持ちが強すぎると、聴き手がついてこないことも学んだと語りました。
歌詞に心を込められるかを選曲の軸にしながら、その思いを一方的に詰め込みすぎない。
子どもたちの反応を見て選曲を変えた頃から、歌と客席の関係を考える経験が重なっていました。
「誰も寝てはならぬ」も、「心の瞳」や「糸」も、そうしたコンサートで歌う曲です。
クラシックの専門的な学びと、昔から親しんだ童謡や歌謡曲を、ともに自分の音楽として受け止めています。
2023年、技術と余裕が増え、歌いたい表現が広がる

画像出典:写真掲載元
CDデビュー20周年を迎えた2023年、岡本は、若い頃に比べて技術的な手段が増え、考える余裕もできたと語っています。
歌いたい表現が多くなり、それをもっと披露したい。
経験を重ねたことで、歌への希望も具体的になっていました。
ただ本人は、プロになってからの大きな転機を、一つの出来事として覚えているわけではないと話しています。
学生時代から歌が変わったことを、心が変わったこととして喜びながら、毎日の練習では明日の自分へ少しずつ渡してきました。
同年のベストアルバムには、「やさしさに包まれたなら」の新録が収められています。
岡本はこの曲を、大人の視点で、時間がゆっくり流れるように捉えました。
その解釈を表すため、音を削ぎ落としたシンプルなアレンジを選び、そこにある多くのメッセージを歌おうとしています。
歌詞に思い描いたのは、ゆっくり朝を迎える大人の姿や、雨の風景でした。
嫌なことや悲しいことまで、歌うための糧になっていく。
その実感を込められる曲として向き合ったことが、ハープとストリングスによる余白のある録音へつながっています。
同じ作品で「World in union」を日本語で新録したのも、聴き手への届け方を考えた選択でした。
コンサートでは話を挟み、曲への思いを伝えられますが、CDにはその時間がありません。
歌そのものから意味を受け取ってもらいやすいよう、日本語を選んでいます。
「あなたに太陽を」で、自分の言葉として歌える曲へ
同じ年の書き下ろし曲「あなたに太陽を」は、Kiroroの玉城千春へ依頼した作品です。
岡本は、学校を含む多くのコンサートで「未来へ」を歌い続けてきました。
そのため、初めて会う前から親しみを感じていた玉城に、新しい曲を書いてほしいと思ったそうです。
求めたのは、家事や家族の暮らしを支える人が共感できる、身近な歌でした。
最初に想定された大きな世界を描く方向から、普段の生活の一場面を切り取るものへと、希望を伝えています。
客席にいる人の暮らしが、新しい歌の内容を決める手がかりになっていました。
玉城は岡本の故郷へ足を運び、母親と会い、子どもの頃のゆかりの場所も巡りました。
完成した詞から母の顔が浮かんだ岡本は、合唱団で歌っていた母をコーラスに誘っています。
実際にその声も加わったことで、自分の中で作品の要素がそろったと振り返りました。
もともと岡本には、新曲やオリジナル曲への強いこだわりはなかったそうです。
すでにある名曲を自分のものとして歌うことが仕事だと考えていた歌手が、この曲には、初めて自分の曲ができたような感覚を持ちました。
役を演じるオペラとは違い、自分自身が立つコンサートで、自分の言葉として歌える作品に出会ったのです。
何を歌えばよいかを師と探した学生時代から、言葉を自分で聴き取り、客席や共演者に応じて歌う時間を重ねる。
その先で岡本知高は、歌詞に自分の経験を重ね、聴く人の生活へ届く歌を求めるようになりました。
生まれ持った声を磨くことと、その声で何を伝えるかを深めることが、今も並んで続いています。
高い地声や母音の基礎、共演する声との関係については、岡本知高の歌い方で取り上げています。







コメント