若い頃は、歌うことで精一杯だった。
由紀さおりは後年、聴き手の思いを代わりに歌う役割を実感するようになったと振り返る。
その間には、姉との童謡・唱歌の活動と、海外の音楽家との共演があった。
自分が何を歌うかを探す歩みは、誰に、どんな思いを届けるかを考える歩みにもなっていく。
「夜明けのスキャット」|1969年作品・『COMPLETE SINGLE BOX』収録の正規配信音源
「夜明けのスキャット」の前にも、歌を探していた
1969年、「夜明けのスキャット」で由紀さおりとしてデビューした。
ただし、それ以前にも歌謡曲を歌う機会はあった。
1965年に「ヒッチハイク娘」でデビューしたものの成果につながらず、約1年でCMソングの仕事へ戻っていた。
本人によれば、当時はもうヒットを目指すより、CMの歌い手として活動していくつもりだったという。
そこから生まれた「夜明けのスキャット」も、最初からヒットを狙ったシングルではなかった。
ラジオ番組のテーマ曲として、歌詞のない歌を吹き込んだのが始まりである。
放送後の問い合わせを受け、言葉の歌詞が加わり、レコードになった。
声の響きで聴き手を引きつけた一曲が、予想していなかった道を開いた。
大きなヒットを受けて「手紙」などを歌い続けた初期を、本人は、自分が歌うことに精一杯で、迷いもあった時期として振り返っている。
華々しく登場したあとも、何を歌っていくかという問いは残った。
姉との共演で、作品を主役にする歌へ
後にヒット曲に恵まれなくなり、先の歌を探していた頃、由紀はデビュー15周年のコンサートを自ら企画した。
しかし、オーケストラを迎えて一人で長い舞台を務められるか、不安もあった。
そこで母が提案したのが、クラシックの道に進んでいた姉、安田祥子との共演だった。
同じ児童合唱団から別々の世界へ進んだ二人が、幼い頃からの歌で再び一緒に立つことになった。
1986年に童謡・唱歌のコンサートを始めるにあたり、二人は一つの方針を決めた。
「ふるさと」なら、どちらか一人の個性を前に出した「ふるさと」にするのではなく、原型に忠実な歌を届ける。
自分たちのニュアンスを強く押し出すことより、作品を主役にする選択だった。
由紀さおりは、童謡・唱歌の歌詞に、言葉を少なくすることで生まれる余白と行間の美しさを見ている。
たくさん言い尽くさなくても、言葉と旋律から気持ちが伝わる。
姉と重ねてきた歌には、その作品の力を丁寧に届ける姿勢があった。
「故郷」|1985年原盤・2016年ベスト盤収録/Universal提供音源
歌謡曲へ戻り、『1969』で低音の持ち味を知る
2009年、40周年を機に、歌謡曲のコンサートを始めた。
再び取り組みたいと思った理由の一つは、歌謡曲という言葉まで薄れていく状況への悔しさだった。
童謡・唱歌を長く歌う中で、かつて自分が歌っていた世界にも、もう一度届けたいものを見いだしていた。
その歩みと重なったのが、アメリカのピンク・マルティーニとの出会いである。
リーダーのトーマス・ローダーデールは、中古店で由紀のレコードを買い、歌声や旋律を気に入って、自分たちのレパートリーにしていた。
彼らが日本語で歌う映像をスタッフが見つけたことから、交流が始まった。
由紀がもう一度届けようとしていた歌は、すでに別の国の音楽家にも届いていたのである。
2011年の共演アルバム『1969』は、海外で知られる機会になっただけでなく、本人にとって歌声を見直す制作にもなった。
録音では、トーマスからもっと低く歌うように何度も求められたという。
由紀は、そのとき初めて、低音部で歌う自分のよさが引き出されたと振り返っている。
長く使ってきた声にも、共演者の求め方によって気づく持ち味があった。
『1969』には、「夜明けのスキャット」も新たな演奏と歌唱で収められた。
過去の代表曲をそのまま並べるのでなく、当時の歌を新しい仲間と歌う作品である。
「夜明けのスキャット」|『1969』(2011年)の再録版・Universal提供音源

画像出典:写真掲載元
客席の反応で、その場の音楽を変える
ピンク・マルティーニとのツアーでは、予定した曲順やテンポが、その場の客席の反応によって変わった。
由紀が感心したのは、拍手を受けて次の曲へ入るタイミングのよさだった。
客席を見ながら音楽を動かすリーダーの意図を、演奏者たちも受け取っていた。
由紀にとって、その場で変わる演奏に応じることは、まったく初めての経験ではなかった。
十代にジャズを習い、客前で歌った頃にも、舞台上で歌い出しの場所などを指示されていた。
当時は怖かった経験が、後の共演で生きたと話している。
そして自分のバンドにも、一定のリズムを示すクリック音を使わず、拍手から次の曲へ入るタイミングを考えてほしいと伝えた。
目を合わせ、互いの意図を受け取りながら舞台を進める大切さを、共演を通して改めて感じたのである。
聴き手へ歌を届けることには、その場にいる人の反応を受け取ることも含まれていた。
「夜明けのスキャット」|Pink Martini公式共演ライブ映像(2014年公開)
『スマイル』で、聴き手の気持ちを歌う役割へ
2013年の『スマイル』では、日本語で歌うこととジャズの融合を目指した。
大きな反響のあとの次作にも、新しい世代の制作陣と、昔の曲を新しい感性で歌う挑戦を選んだ。
「スマイル」「オ・シャンゼリゼ」|2013年・ユニバーサルミュージック公式MV(短縮版)
同じ年の取材で、由紀は、震災の経験も関わっているのかもしれないとしながら、聴き手のつらさや寂しさを代わりに歌う役割を、改めて実感していると話した。
自分が歌うことで精一杯だった頃から、一人ひとりの気持ちに寄り添う歌い手へ。
姉との歌、歌謡曲への再挑戦、海外での共演を経て、歌を向ける相手がよりはっきりしていた。
50周年にも、新しい曲で自分を試す
2019年の『BEGINNING ~あなたにとって~』では、若い世代の作家が作る曲を、どこまで歌えるか試そうとした。
亀田誠治に制作を託し、アンジェラ・アキや水野良樹らの新作を歌っている。
由紀には、大切にしてきた歌だけを歌い続けていては、自分の中のものが尽きていくような感覚があったという。
過去の歌を輝かせるためにも、新しい歌が必要だった。
ただ、新しい曲を歌うことは、自分が培った表現を手放すことではなかった。
録音では、伴奏が大きすぎると感じ、少し抑えてほしいと頼んでいる。
歌い出す前の息、間合い、声の震えまで、言葉の奥の思いを伝える表現として残したかったからだ。
新しい作り手の曲に応えながら、自分が歌で伝えたいものも明確に示していた。
「あなたにとって」|2019年配信のソロ版・Universal提供音源

撮影年不明。
画像出典:USEN encore
アンジェラ・アキが書いた「あなたにとって」について、由紀は、聴く人それぞれのテーマソングに育てたいと語っている。
自分がいなくなったあとも、歌は残る。
誰かの思いを代わりに歌うという役割は、その人が生きる時間に寄り添う一曲を残したいという願いにもつながった。
一曲の中の息や間合いの表現は、由紀さおりの歌い方で取り上げている。







コメント