ビリー・アイリッシュの歌には、大声で押されているわけではないのに、声から耳を離しにくい曲があります。
2019年の「bad guy」も、その一つです。
小さく歌うことと、録音の中で声が目立たないことは、同じではありません。
ビリーと兄のフィニアスは、声を近くに感じさせたり、一人の歌を何層にも重ねたりして、その小さな声を曲の中心に据えてきました。
囁くような歌い方を、ただ声量を抑える技術として捉えると、この作り込みが見えなくなります。
小さな声を、遠くから聞こえる声にしない
「bad guy」を含む最初のアルバムを仕上げたのは、ミックスを担当したロブ・キネルスキーでした。
ミックスとは、別々に録った歌や楽器の音量、響きなどを整え、一曲として仕上げる作業です。
そこでビリーたちが求めたのは、低音に迫力がありながら、歌がはっきり前に出ている音でした。
キネルスキーが初期の作業で残響を加えると、二人はそれを外してほしいと伝えています。
声の周りを、広い会場のような響きで飾りたかったわけではありません。
歌がすぐそばにある感じを保つために、余計な響きを足さない判断をしていたのです。
小さく歌った録音を前に出せば、口元の細かな音まで目立つようになります。
キネルスキーはそうした不要な音を取り除きながら、処理しすぎないようにしたと説明しています。
声を大きくするだけでなく、近くで聴いても邪魔にならないよう整える。
ビリーの静かな歌には、そんな手間がかかっています。
だから「bad guy」の声を考えるときは、強く声を張れるかどうかだけでは足りません。
歌い手が抑えた声を出し、録音する側がその細部を聴き取れる状態にする。その組み合わせが、小さな声の存在感を支えています。
一人で歌っていても、録音は一つの声とは限らない
さらに、すっきりした伴奏だからといって、歌の録音まで少ないとは限りません。
フィニアスによれば、「when the party’s over」は声、低音、ピアノを中心に作られていますが、歌だけでおよそ100本もの録音を使いました。
同じ旋律を重ねた声、別の音程で支える声などが積み上がっています。
一人が大きく歌って曲を満たす代わりに、同じ歌手の声を何度も録り、曲の中に配置する。
これなら、主役の声の細さを残しながら、その周りに厚みを作れます。
ビリーの歌を「囁いているだけ」と言い切れない理由は、ここにもあります。

声を重ねる方法自体は珍しくありませんが、主役の歌を強くする以外にも、声の存在感を作る方法があることが分かります。
水の中の言葉には、水の中のような声を
その工夫が歌詞と結びつくと、声は物語の場面まで伝えるようになります。
2019年の「everything i wanted」には、水中で声を出そうとする場面があります。
フィニアスはそこでビリーの声の高い周波数を減らし、こもった音にしました。
音程を低く歌わせるのではなく、録音した声の明瞭さを変える処理です。
水中という言葉を、歌詞の意味として理解するだけでは終わらせない。
その瞬間の声自体を聞き取りにくくすることで、歌の人物が置かれている状況を音にもしています。
この曲では、ビリーがどんな声で歌うかに加えて、その声がどんな状態で聞こえてくるかも表現の一部なのです。
ビリー自身も、この曲には、分けて聴かなければ気づかないような歌がたくさん入っていると話しています。
短い囁き、言葉の繰り返し、ハーモニー。
どれも、一つずつが主役として目立つための歌ではありません。
曲全体を聴いているときには一つの感情として受け取っていたものが、実際には複数の声の組み合わせでできている。
そのことが分かると、静かな歌の聴き方も変わります。
強い一声が来るのを待つだけでなく、言葉の終わりや、主旋律の後ろで何が起きているかにも耳を向けたくなります。
強く歌えるようになっても、小さな声の価値は変わらない
ビリーは後年、自分が大きく張り上げるように歌わないため、歌が下手なのだと思って育ったと振り返っています。
けれど、彼女が好きだった歌手たちには、繊細な声を細かく扱う魅力がありました。
2024年には、ジャズを思わせる「L’AMOUR DE MA VIE」の歌を、自分でも気に入っていると話しています。
ここで大切なのは、静かに歌うことを、強く歌えるようになるまでの仮の方法と考えないことです。
歌える音域や声の出し方が増えても、近くで話しかけるような歌が必要なくなるわけではありません。
本人がその選択肢を広げた経緯は、ビリー・アイリッシュの歌声の変遷でたどっています。
「bad guy」では声を前に出し、「when the party’s over」では何層にも重ね、「everything i wanted」では言葉の場面に合わせて聞こえ方まで変える。
その声の細部が届くように、伴奏や録音の響きまで整えられています。
ビリーの小さな声は、曲の隅で控えめに鳴っているのではありません。聴き手が最も気になる場所に置かれているのです。






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