Kj(降谷建志)の歌声の変遷|Dragon Ashの熱量から、ソロで見つけた声へ

降谷建志(2015年ソロアルバムのインタビュー掲載写真) Kj(降谷建志)
降谷建志(2015年ソロアルバムのインタビュー掲載写真)

Dragon AshのKjと、ソロ名義の降谷建志。
同じ人だと知っていても、歌が向かってくる距離の違いに戸惑うことがあります。
バンドで人を動かす声と、日常の小さな感情に触れる声。
その間には、実際に音域や発声を選び直し、言葉の乗せ方まで考え直した過程があります。

ただ、ソロを始めて急に優しく歌うようになった、という歩みでもありません。
Dragon Ashの中にも、勢いを外へ放つ曲と、聴き手の内側へ入っていく曲がありました。
その両方を持つ歌手が、活動の場を増やしたことで何を選べるようになったのか。
作品と制作時の言葉をたどると、声の変化の意味が見えてきます。

初期からあった、ラップで歌を運ぶという発想

1998年の「陽はまたのぼりくりかえす」は、初期のKjを考える出発点になります。
バンド編成によるラップ/ヒップホップを打ち出した、7分を超える曲です。
短い見せ場で印象を残すだけでなく、長い時間を使って言葉とメッセージを届ける。
ラップをする人というイメージの中にも、こうして一曲の時間を支える歌い手がいました。

この時期を、後の歌声と比べて未完成だったと片づける必要はないでしょう。
言葉を積み重ねることと、メロディーで気持ちを運ぶことは、どちらもその後のKjにつながっていきます。
変わっていくのは、それをどんなリズムの中で、どんな相手へ届けるかです。

2000年代、身体を動かすリズムの中へ旋律を置く

2005年の『Río de Emoción』では、サンバの要素が加わりました。
ダンサーのDRI-Vは、この作品によってリズムを以前より細かく、16ビートで感じるようになったと振り返っています。
歌の周囲で鳴る音だけでなく、バンドの中で身体をどう動かすかまで変わる転機でした。
Kjの声を追うときも、歌だけを切り離すと見えなくなる変化です。

その先にある2009年の「Freedom」。
代々木公園での発表時のライブにも、ラテンの高揚感と、Kjの旋律が持つ憂いの両方がありました。
踊れる曲だから歌まで明るく塗りつぶす、という作りではない。
身体は前へ動くのに、メロディーには切なさが残る。
当時の歌には、その二つを同じ曲の中で成立させる場所がありました。

2012年、走る声と歩く言葉が並んだ

2012年の「Run to the Sun/Walk with Dreams」では、攻める感覚と包み込む感覚を、走ることと歩くことに分けています。
後者のきっかけは、仕事と自分の目標の間で揺れる友人との会話でした。

同年のROCK IN JAPAN FESTIVALでは、「Walk with Dreams」の日本語ラップも、穏やかな始まりから次第に熱を帯びていきました。
最初から最大の勢いで押すだけでは、こうした変化は生まれません。
同じステージで激しい曲も演奏するKjが、相手の歩く速さに寄り添うような表現を持っていた。
ソロ以降の声を知るうえでも、この時点の柔らかさは大切です。

Kj(2012年 ROCK IN JAPAN FESTIVAL)
Kj(2012年 ROCK IN JAPAN FESTIVAL)。
画像出典:画像掲載元

2013年の「Lily」では、トラックを作る自分と、完成した音に向かって詞を書くボーカリストの自分を、本人が分けて説明しています。
音楽の形ができたあとで、そこに何を歌うかを考える。
歌のもとになった個人的な出来事を詳しく明かさないのも、聴いた人が自分の歌として受け取れる余地を残したかったからです。
声が伝えるものは、作り手の事情の説明だけではありませんでした。

2015年、ソロで音域と発声を選び直す

初のソロアルバム『Everything Becomes The Music』に向かったのは、2014年のDragon Ashのツアーで達成感を得たあとでした。
バンドを続けながら、一人で音楽を組み立てる時間を持つ。
楽器の演奏や録音を進め、歌の録音ではエンジニアとディレクターが加わる、という制作です。
活動名だけでなく、声が入るまでの音楽の作り方が変わりました。

そこで起きた歌唱上の変化は、本人の説明が明確です。
Dragon Ashより低めの音域で歌い、いつもなら声を荒げるところでファルセットを選ぶ。
旋律を優先した結果、使う声が変わったのです。
単にバンドの曲を静かな伴奏へ移しただけではなく、歌い手自身が別の選択肢を使ったところに、ソロの意味があります。

日常のわずかな出来事も曲になるという、このアルバムの考え方は、音楽の始まり方にも表れています。
冒頭では、作品のテーマをタイプする音まで音楽に取り込んでいました。
大きな舞台で一斉に身体を動かすための音楽とは別に、自分の周囲の小さな音や感情から一曲を始められる。
声の選択を広げた背景には、そうした制作の自由もありました。

ソロで得た自由は、Dragon Ashにも戻っていった

2017年の『MAJESTIC』では、ソロの経験がバンドへ持ち帰られます。
Kjは、ソロで英語詞を多く使い、自分が思い描くメロディーを歌える楽しさを感じたと話しています。
その作り方をDragon Ashでも採り入れたのです。
英語が誰にとっても歌いやすいという一般論ではなく、彼の頭の中にある旋律と、言葉の収まり方の話でした。

ソロで見つけた声を、バンドから切り離してしまわなかった。
この往復があるため、Kjの変化は、激しい歌から穏やかな歌へ一方向に進むものにはなりません。
メロディーを自然な形で歌える方法を増やし、それをバンドの熱量と組み合わせていく。
歌う場所が増えることが、元の場所での自由にもつながっています。

2018年、自分のための制作から、誰かに届く日本語へ

2作目のソロアルバム『THE PENDULUM』では、聴き手への意識が変わりました。
前作は自分が作ること、バンドでは使わない方法を試すことが中心だった。
今回は他の人に聴いてほしい気持ちが強く、日本語で詞を書くことにも、その思いが反映されたといいます。
英語で旋律の自由を得た歌手が、今度は言葉を直接届けるため、日本語に向かっているのです。

それは気軽な置き換えではありませんでした。
Kjは、英語を想定したメロディーへ日本語を乗せ直す難しさも語っています。
言いたい内容を訳せば、同じように歌えるわけではない。
自分にとって歌いやすい形と、聴き手へ届く形の間を考え直したところに、この時期の変化があります。

また、前作以降のソロでのライブ経験から、一緒に演奏する人の顔を思い浮かべて曲を作るようになりました。
『THE PENDULUM』には、フェスでの景色をもとにした「落日」や、ライブへ来る人を思う「Prom Night」もあります。
一人で音を完成させるところから始まったソロが、誰かと演奏し、誰かが聴く場を含むものになっていく。
歌の柔らかさを、本人の内面だけで説明しきれない理由です。

降谷建志(2018年「THE PENDULUM」インタビュー掲載写真)
降谷建志(2018年「THE PENDULUM」インタビュー掲載写真)。
画像出典:画像掲載元

The Ravensでは、他の人の音と一緒に歌が変わる

ソロの演奏を支えたメンバーとの活動は、The Ravensへつながります。
2022年の『ANTHEMICS』では、Kj以外のメンバーも作曲を担当しました。
一人で思い通りに完成させることに加え、他の演奏家が自分の予想しないものを持ち込む面白さを求めたのです。
歌の土台を、自分だけで決める関係からも踏み出しました。

この作品には、語りかけるような表現と、開放的に広がる旋律の両方があります。
多くの曲が日本語で歌われ、生活の不確かさや不安も作品に入っている。
以前に得た柔らかい声や、言葉を届けようとする意識が、別のバンドの音と出会った段階として捉えられます。
ソロを通過したことは、再び人と音を作るときにも意味を持っていました。

Kjの歌声の歩みには、強く歌えるようになった、優しく歌えるようになった、という一つの物差しでは測れない変化があります。
音域を変え、発声を選び、言葉と旋律の関係を考え直す。
その選択がバンドとソロの間を行き来して、声の居場所を増やしてきました。
曲ごとの発声や言葉の乗せ方は、Kj(降谷建志)の歌い方で詳しく取り上げています。

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