ちあきなおみの「喝采」は、悲しい出来事を歌っているのに、泣き崩れる場面で終わりません。
大切な人を失った歌手が、それでも舞台に立って歌っています。
その人が人前で見せる顔と、胸の中にしまっている悲しみが、一つの歌に重なっています。
ちあきなおみの歌い方を考えるうえで面白いのは、声を聴いているうちに、歌の中の人物が目の前にいるように感じられることです。
よく伸びる声だけでなく、息をつくところや、誰かに話しかけるひと言までが、その人物の気持ちを伝えます。
「喝采」の舞台に立つ歌手、「ねえあんた」の男に語りかける女、そして「夜へ急ぐ人」の激しい呼び声。
同じ歌手が、ずいぶん違う人間の姿を見せてくれます。
「喝采」の主人公は、悲しくても舞台に立つ
1972年の「喝采」は、歌手を主人公にした曲です。
故郷に残してきた大切な人の死を知り、かつての別れを思い出す。
その記憶を抱えたまま、今は照明を浴びて恋の歌を歌っている。
過去の出来事と現在の舞台が、短い一曲の中で行き来します。
だから、ここで表現するのは悲しみだけではありません。
歌手には、観客の前で歌を届ける仕事があります。
客席に向けた華やかな歌と、主人公が胸に抱えるつらさは、同じものではないのです。
作詞した吉田旺は、この曲で人の死を描くことにこだわりました。
作曲家の中村泰士から変更を求められても、物語の中心に必要な部分だと考えて譲らず、最終的には中村が旋律を手直ししたと振り返っています。
明るい舞台の裏に、取り戻せない別れがある。
その落差は、偶然できたものではありませんでした。
曲名も「悲しみ」ではなく「喝采」です。
拍手を送る観客は、舞台の歌手が何を思い出しているのかまでは知りません。
ところが、この曲を聴く私たちには、その記憶まで分かってしまいます。
人前では歌い続けている人の、表には出しきれない気持ちを聴く曲なのです。
ちあきの歌を、単に感情をたくさん込めた歌と説明すると、この二重の状況が抜け落ちます。
主人公には、泣きたい気持ちも、舞台を務める姿もある。
一つの感情で押し通さないところに、この曲を歌う難しさと面白さがあります。
作曲家が驚いたのは、声と声の間にある息だった
中村泰士が最初にちあきの歌へ強くひかれたのは、デビュー曲「雨に濡れた慕情」をテレビで見たときでした。
注目したのは、声の美しさに加えて、息継ぎの巧みさです。
中村は、ちあきが息継ぎそのものを表現に取り込める歌手だったと述べています。
歌の息継ぎには、次の言葉を歌うための準備という役割があります。
一方、普段の会話でも、すぐに言葉が続くときと、息をついてから話すときでは、相手に伝わる気持ちが変わります。
ためらったのか、落ち着こうとしたのか、言葉にする前に思いがこみ上げたのか。
中村が評価したのは、そうした言葉にならない部分まで、歌全体の表現として扱えることでした。
もちろん、息が聞こえる箇所をすべて悲しみの表現と決めつける必要はありません。
大事なのは、声を長く伸ばす部分だけで、その歌の巧さを判断しないことです。
言葉が途切れたときにも、歌の中の人物の気配は続いている。
中村の指摘は、旋律を歌っていない瞬間にも耳を向けるきっかけになります。
「喝采」の作曲では、音が上下する動きや、大きく離れた音へ移る旋律が彼女に合うと考えたそうです。
歌手に完成した曲を渡して任せただけでなく、声を思い浮かべながら曲を作っていたのでした。
伸びやかな旋律と細かな息遣いの両方を使える歌手だからこそ、「喝采」の大きなドラマを託せたのでしょう。

「ねえあんた」は、誰に話している歌なのか
「ねえあんた」は、1974年のリサイタルのために作られました。
主人公は、売春で生活を支える女性です。
その女性が、そばにいる一人の男へ話しかける形で歌が進みます。
大勢の聴衆へ立派に歌ってみせる状況とは、そもそもの話し相手が違います。
作品の着想には、舞台の制作を担った砂田実が、熱海で出会った女性から聞いた身の上話がありました。
つらい経験を重ねてきたのに、その女性は砂田に明るく、親切に接したといいます。
砂田は、その出会いをもとに、一人の女性を描く芝居のような歌を考えました。
「ねえあんた」という呼びかけは、その女性が目の前の男に向ける、日常の言葉です。
その何げないやり取りを通じて、女性の人柄や、誰かを求める気持ちが少しずつ伝わってきます。
2004年発売の『VIRTUAL CONCERT 2005 ハンブルグにて』に収められた「ねえあんた」は、7分を超える長さがあります。
題名に2005とありますが、その年に開いた公演の記録ではなく、過去の音源で構成したアルバムです。
この歌唱を一人芝居にたとえる紹介が多いのも、歌詞に物語があるからだけではありません。
ちあき一人の声から、話しかける相手との距離まで感じられるからです。
男の役を別の歌手が歌っていなくても、女性の呼びかけによって、男がそばにいる場面が成立します。
「喝采」では、舞台に立つ女性の内面を聴きました。
「ねえあんた」では、もっと近い距離で、その女性の話に付き合うことになります。
声を大きくすれば気持ちもよく伝わる、という一つの方法では、この二人を歌い分けられません。
誰が、誰に、どんなつもりで話しているのか。
ちあきの表現力を考えるときは、声量とともに、この関係へ目を向けると、曲の違いがよく分かります。
「夜へ急ぐ人」には、静かな語りでは収まらない声がある
ところが、ちあきの歌を「静かに語りかける歌」とだけ覚えてしまうと、「夜へ急ぐ人」には驚くことになります。
1977年のこの曲では、人を呼び寄せる言葉が、穏やかな誘いのままでは終わりません。
同年の『NHK紅白歌合戦』で見せた、髪を振り乱し、手招きしながら声を張る姿も、強い印象を残しました。
こうした激しい歌が生まれた背景には、作者の友川かずきと、ちあきの出会いがあります。
友川に曲を依頼したのはちあきの側でしたが、友川は、まず本人のライブを見てから作りたいと考えました。
そこで見たのが、ジャニス・ジョプリンの歌を歌うちあきだったのです。
友川は、その姿に強く心を動かされたと語っています。
「喝采」のイメージだけを手がかりに作曲したのではなく、実際のステージで、ちあきがロックの歌をどう表現するかに触れていたのでした。
依頼されたから意外な曲を書いた、というだけではなく、歌手の中にすでにあった激しさが、作者の想像を刺激したわけです。
1977年発売の「夜へ急ぐ人」のスタジオ録音でも、呼び声が歌の中心にあります。
「ねえあんた」の身近な呼びかけと比べると、ここで人を呼ぶ声は、ずっと切迫したものとして描かれます。
誰かを呼ぶという身近な行為が、落ち着いた会話とは違う、ただならない気持ちを伝えます。
声をきれいに整えることだけを目指せば、この曲の不穏さは薄れてしまうでしょう。
穏やかな声も、激しく張り上げる声も、その人物の心を伝えるためにある。
ちあきの歌の幅は、歌えるジャンルの多さだけでなく、こうした感情の振れ幅にも表れています。

巧い歌手を聴いていたはずが、一人の人間の話になる
「喝采」の歌手は、観客に拍手されながら、誰にも見えない別れを抱えています。
「ねえあんた」の女性は、そばにいる男へ話しかけます。
「夜へ急ぐ人」では、呼びかける声が激しいものになります。
どの曲にも言葉を向ける相手がいて、その関係によって歌の表情が変わります。
ちあきなおみの魅力は、美しい声で物語を説明するだけで終わらないところです。
息をつくことや、ふだんの会話に近いひと言までが、歌の中の人物を身近にします。
反対に、激しく歌うことでしか見えてこない人物の切迫した気持ちもあります。
大きな声や広い音域は、歌手の技量を知る手がかりになります。
けれど、ちあきの歌では、そこからさらに、その人がなぜそんな声を出すのかまで気になってくる。
歌唱力に驚いていたはずが、いつの間にか歌の中の一人を気にかけている。
それが、ちあきなおみの歌を何度も聴きたくなる理由の一つなのでしょう。






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