ボビー・キンボールの歌声はどう変わった? 「Hold the Line」から復帰後の発声、ソロ作まで

2017年、ボビー・キンボールは新しいソロ作『We’re Not in Kansas Anymore』について、自分の歌がこれまでで最もよい出来だと思う、と語りました。
「Hold the Line」で知られるようになってから、約40年後の発言です。
高い声を若い頃のまま保存できた、という意味ではありません。
本人が振り返るTOTOへの復帰には、長い公演を歌い切るための準備があり、2006年の新曲には今の音域に合う旋律がありました。
さらに、歌い慣れた後にも発声を学び、ソロ作では録音の進め方を変えています。
代表曲の声と、後年の本人が手応えを覚えた声の間で、何が変わったのでしょうか。

1978〜82年|「Hold the Line」の高音が、TOTOでの役割になる

1978年のデビュー作『Toto』から「Hold the Line」がヒットしました。
ルイジアナで多くのバンドを経験してから加入したキンボールにとって、TOTOは初めて歌う場ではありません。
それでも、曲を書き、録音を重ねてきたメンバーたちの新しいバンドで、あの高い歌は彼を代表するものになりました。

加入前、ロサンゼルスで活動していたS.S. Foolsのリハーサルには、ジェフ・ポーカロとデイヴィッド・ペイチも足を運んでいました。
公式略歴によると、キンボールはそこで二人と知り合い、同バンドを離れた後にTOTOへ誘われます。
互いの音楽を知らないまま高い声だけで選ばれたのではなく、すでに演奏を通じた接点がありました。
その関係の中で、ルイジアナで育てた歌を新しいバンドへ持ち込んだのです。

TOTOにはペイチやスティーヴ・ルカサーなど、ほかにもリードを歌うメンバーがいます。
1982年の『Toto IV』でも複数の歌い手が参加しました。
キンボールが全曲を一人で歌うのではなく、曲によって高い声を任される編成です。

後年、本人はTOTOで歌う仕事を、それまでで最も難しいものだったと話しました。
理由に挙げたのは高音だけではなく、必要な勢いと、演奏に合う正確なタイミングです。
レコードに一度声を残すことと、その歌を長い公演で続けることは同じではありません。
その違いに向き合うのは、バンドを離れ、再び戻ってからでした。

1998〜99年|復帰前から、長い公演に備えていた

1984年にTOTOを離れた後も、キンボールは別のバンドやソロの録音を続けました。
再びTOTOのメンバーと向き合う機会になったのは、1998年の回顧盤『Toto XX』に伴う活動です。
その後正式に復帰し、1999年には新作『Mindfields』へ参加します。

再会の最初のリハーサルは、長い空白を感じさせないほど自然だったと本人は振り返っています。
ただ、懐かしさだけで歌えるようになるとは考えていませんでした。
いつか呼ばれた時に最善の状態で戻れるよう、以前から生活を変え、体力もつけていたそうです。

本人が説明した公演は、約3時間に及び、長距離移動を挟みながら連日続くこともありました。
昔の高音を一曲だけ再現するためではなく、新しい曲を含む一公演を毎晩担うための準備です。
『Mindfields』の「Caught in the Balance」は、復帰したキンボールが過去のヒット曲だけではなく、新たなTOTOの歌にも加わったことを示します。

1998年のTOTOのメンバー
1998年のTOTOのメンバー。
写真:Kamasami Kong / CC BY-SA 2.0

2006年|迫力だけでなく、「自分の音域に合う曲」を選ぶ

『Falling in Between』の録音では、メンバーが演奏しながら曲の素材を作り、そこへ歌詞や旋律を加えていきました。
キンボールもその場に参加し、タイトル曲の歌詞を書いています。
1999年の復帰に続き、新しいTOTOの作品を作る側に立っていました。

本人の説明では、サイモン・フィリップスが長いジャムを録音し、冒頭やヴァース、サビに使える箇所を選んで一曲へ組み立てました。
キンボールは、その演奏を収めたCDを受け取って歌詞を考えます。
完成した曲に声を当てはめるだけでなく、演奏が生む勢いや展開を、言葉のある歌へ変える仕事でした。
歌い手として加わる前に、書き手として曲の形を理解する時間もあったのです。

当時の取材で、冒頭のタイトル曲の力強い歌を褒められたキンボールは、ただ声の調子がよくなったとは答えていません。
曲が自分の音域に合っていること、フィリップスとペイチが自分の声のよさを引き出してくれたことを挙げました。

しかも本人は、録音したものは公演でも歌わなければならない、と考えています。
タイトル曲は難しい歌でも、自分の音域の中にあり、本人には比較的歌いやすいとも話しました。
聴き手に強く聞こえることと、歌い手が無理を重ねることは同じではありません。
復帰後のキンボールは、迫力を新曲に残しながら、舞台で続けられるかどうかも気にかけていました。

2007〜08年|発声と、自分の声を聴く環境を変える

長く歌ってきた後にも、キンボールは発声を学び直しました。
2008年には、セス・リッグスに約一年教わっていると話し、力任せに叫ぶ感覚に頼らず高い歌を出す方法が、声の調子が十分でない日にも役立ったと説明しています。

舞台での聴こえ方も変わりました。
以前はモニターから離れると自分の声が聞きにくく、立つ位置が限られていたそうです。
その後は片耳にイヤーモニターを使い、ステージの別の場所でも自分の声を確認できるようになりました。
もう片方では床置きのモニターからバンドの音を聴いていたそうです。
自分の声を確かめながら、演奏との関係も失わないよう、本人に合う聴き方を選んでいました。

声そのものの変化とは別に、毎晩歌うための環境も整えていたのです。

本人によると、2003年のアムステルダム公演を収めたDVDでは歌の録り直しをせず、後のパリ公演の映像でも直したのは納得できなかった数か所だけでした。
スタジオの一曲とは違う条件で歌い続けた時期の記録です。
『Falling in Between』のような新曲も、こうした公演へ持ち込まれていきました。

一曲の中でキンボールの声がどこに入り、別の歌い手とどう役割を分けるかは、ボビー・キンボールの歌い方で詳しく扱っています。

2016〜17年|ソロ作では、録音済みの演奏に声と言葉を合わせる

2008年に当時のTOTOでの活動が終わった後も、キンボールは公演と制作を続けました。
ジョン・ザイカらと作ったソロ作『We’re Not in Kansas Anymore』の題名には、もはやTOTOのメンバーではなく、自分の作品を作るという意思を込めています。
日本では2016年に、米国では2017年に発売されました。

この作品の録り方は、バンドが一緒に演奏から曲を組み立てた『Falling in Between』とは異なります。
キンボールのツアー中に共作者が曲の土台を作り、彼は送られてきた旋律や仮の歌詞に手を加え、帰った時に声を録りました。
本人によると、録音の合間にも伴奏を聴いて歌詞を変えています。
完成に近い演奏へ自分の歌を置く、別の作り方でした。

アルバム本編ではバックコーラスも共作者側で録音済みで、キンボール自身は担当していません。
本人は、その準備をありがたく受け止めていました。
ツアーの合間に録音を進める中で、仲間が整えた演奏にリードの歌と言葉を加える役割を引き受けたのです。

ロックだけでなく、R&B、ファンク、ゴスペルなど好きな歌を一枚の作品にまとめたいとも語っています。
ただし、多くのジャンルを歌ったから以前より音域が広がった、とは言えません。
TOTOでも言葉を作ってきたキンボールが、今度は自分の名で届けたい音楽を共作者と一枚にまとめました。
歌詞を書く役割を保ちながら、作品全体で取り上げる音楽の幅を広げたのです。

2017年の取材では、公演によっては自分の声が十分に聞こえず、歌いにくいこともあったと明かしました。
その一方で、このソロ作の歌を誇りに思い、本人の評価では、自分の歌がこれまでで最もよい出来だと話しています。
1978年の高音を持ち続けられたかどうかだけでは、後年の歌への手応えは測れないのでしょう。

2013年12月、キルギスのマナスで公演に出演したボビー・キンボール
2013年12月、キルギスのマナスで公演に出演したボビー・キンボール。
写真:U.S. Air Force photo/Senior Airman George Goslin / Public domain

今、過去の歌をどう受け取るか

公式サイトは2023年、キンボールが前頭側頭型認知症を患い、公演できない状態だと公表しました。
現在の病状を、過去の録音や舞台での歌い方へさかのぼって結びつけることはできません。

「Hold the Line」の録音に残る若い日の高音、復帰に備えて体を整えた本人の証言、今の音域に合うと語った2006年の新曲、そしてソロ作への本人の自信。
それぞれは、同じ声を使いながら、異なる条件で歌った記録です。
ボビー・キンボールの変遷は、高い声が衰えたか保たれたかという一つの物差しよりも、歌う曲、制作する仲間、長い公演への備えを選び直した歩みに表れています。

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