ボビー・キンボール(元TOTO)の歌声の変遷|復帰してからも、高音の出し方を学び直した

「Hold the Line」の高音を聴くと、ボビー・キンボールは初めから、あの声で歌う方法を知り尽くしていたように思えます。
けれども、TOTOに復帰した後の本人の話には、体力を整えること、公演後に休むこと、発声を学ぶことが何度も出てきます。

2008年には、ボイストレーナーのセス・リッグスに約一年学んでいると話していました。最初のヒットから、すでに約30年たった時期です。
昔の歌をもう一度歌えば復帰が完成するわけではありません。あの高音を持つ歌手が、バンドの中で歌い続けるために、何を変えてきたのでしょうか。

1978年:TOTOに加わった、ルイジアナ育ちの声

1978年のデビュー作『Toto』で、キンボールは「Hold the Line」を歌いました。
デイヴィッド・ペイチが書いたこの曲は、彼の声を広く知られるものにします。キンボールは後年、リードだけでなく、バックの歌の多くも担当したと振り返っています。

彼は、TOTOのために初めて歌を覚えた新人ではありませんでした。
ルイジアナで幼い頃から音楽に親しみ、地元でバンド活動を重ね、ロサンゼルスに移ってS.S. Foolsに参加。その練習に来ていたペイチやジェフ・ポーカロと知り合い、TOTOへつながっていきます。

キンボール自身は、スタジオでの仕事を知り尽くしたメンバーの演奏と、自分のルイジアナのブルースの歌い方が合わさったことに、バンドの特徴を見ています。
整った伴奏に高い声を乗せただけでなく、すでに持っていた歌の個性を、違う経験を持つ演奏家たちと組み合わせた出発でした。

1982年の『Toto IV』では、「Rosanna」「Africa」も代表曲になります。
ただし、どちらもキンボール一人がすべてを歌う曲ではありません。複数の声を使って曲を展開させる仕組みの中で、彼の高音が大きな役割を担っていました。

1984〜99年:戻る日のために、歌える体を準備した

キンボールは1984年にTOTOを離れ、その後はFar Corporationやソロ、録音の仕事を続けます。
再びTOTOの活動に加わったのは1998年。翌1999年には、復帰後のスタジオ作『Mindfields』が発表されました。

本人にとって、元のメンバーとまた演奏できたことは特別な喜びでした。
最初のリハーサルでは、長く離れていたとは思えない親しさが戻ったといいます。けれども、気持ちが昔に戻ったからといって、体も自然に昔のまま動くわけではありません。

キンボールは2001年のインタビューで、いつか呼ばれたら最善の状態で戻れるよう、以前から生活を変え、体力をつけていたと話しています。
TOTOの歌に必要なのは、高音、エネルギー、正確なタイミング。長い公演と移動を繰り返す中で、それを毎晩続ける準備でした。

『Mindfields』の「Caught in the Balance」は、復帰した声を新しい曲の中で聴ける一曲です。

このアルバムには、曲数の多さや長さを厳しく見る評もありましたが、キンボール自身の歌は好調だと評価されています。
キンボールの復帰を喜ぶことと、アルバム全体をどう評価するかは別の話です。それでも、新作の中で再び重要な歌を任されていたことは、昔のヒット曲を歌うためだけの復帰ではなかったことを示しています。

1998年のTOTOのメンバー
1998年のTOTOのメンバー。写真:Kamasami Kong / CC BY-SA 2.0

2006年:高音の迫力を、新しい重い曲にも使う

2006年の『Falling in Between』では、キンボールの力強い歌が改めて注目されました。
特にタイトル曲については、重いギターを持つ曲の中で歌声が生きていると評価されています。初期の代表曲と同じ雰囲気を再現するだけの作品ではありません。

当時のインタビューで歌の調子を褒められたキンボールは、単に自分の声がよくなったとは答えませんでした。
曲が自分の音域に合っていること、サイモン・フィリップスとペイチが、声のよさを引き出してくれることを挙げています。

この答えには、復帰後の歌を考える手掛かりがあります。
高い音を出せるかどうかだけでなく、その時の自分に合う旋律があり、歌をよく理解する相手と録音できるか。力強い歌の出来には、曲や制作する仲間との関係も影響していました。

作品には、グレッグ・フィリンゲインズやジョセフ・ウィリアムズら、ほかの歌い手も参加しています。
キンボールはそれを歓迎し、違う声が加わることでTOTOの表現が広がると考えていました。復帰した自分が全曲の中心に立つ、という作り方ではなかったのです。
「Spiritual Man」での具体的な歌の分担は、ボビー・キンボールの歌い方で紹介しています。

2000年代後半:大声に頼らず、高いパートを歌うために

新作で力強い歌を残しても、それで発声の勉強が終わったわけではありません。
キンボールは2008年、セス・リッグスのレッスンで、力いっぱい叫ぶときのような結果を、もっと話すときに近い感覚で得る方法を学んでいると説明しました。

本人は、声の調子が十分でない日にもレッスンが役立ったと話しています。
歌手としての経験が長くなっても、今の自分に役立つやり方を探していたのです。最初のヒット曲で知られる高音が、そのまま何の工夫もなく続いていたわけではありません。

公演後には休み、出演前に声の準備をする。本人は、毎晩バンドに必要な歌を歌うため、そうした生活を選んでいると説明しました。
一回の録音で高音を出せることと、長いツアーでその役割を担うことには、違う難しさがあったのです。

TOTOの後の活動と、現在伝えられていること

2008年に当時のTOTOの活動が終わったあとも、キンボールはソロや別の共演で歌を続けました。
TOTOの曲を知る各地の演奏家と公演を作るなど、長く歌ってきた曲を別の仲間と届ける時期です。

2013年12月、キルギスのマナスで公演に出演したボビー・キンボール
2013年12月、キルギスのマナスで公演に出演したボビー・キンボール。写真:U.S. Air Force photo/Senior Airman George Goslin / Public domain

一方、公式サイトの2023年10月の説明では、キンボールは前頭側頭型認知症を患い、公演できない状態にあることが伝えられています。
ドキュメンタリー『Kite on a String』の公式紹介でも、音楽活動とともに、病気や聴力の問題が扱われています。

映画を企画したのは、長年一緒に曲を作ってきたジョン・ザイカです。
かつて同じスタジオで歌を作った仲間が、その歩みを映画として伝えようとしている。公演ができなくなった後にも、キンボールが残した歌や、制作の記憶を伝える取り組みが続いています。

強い声を持っていても、歌い続ける方法は変わった

初期のキンボールは、ルイジアナで育てた歌をTOTOの演奏と結びつけました。
復帰に向けては体力や生活を整え、2006年の新作では自分に合う曲と仲間の助けを得る。その後も発声を学び、毎晩の歌に備えていました。

「Hold the Line」から「Caught in the Balance」、そして「Falling in Between」へ。声の迫力を求められ続けた一方で、その歌を支える方法は、本人の中でも更新されていたのです。
高音が出る人だから歌い続けられた、とだけ考えると、その仕事は簡単に見えてしまいます。キンボールの強い声の後ろには、強い声を必要とするバンドに応え続けようとした歌手の工夫がありました。

今入れる? 近くで入りやすい飲食店がわかる混雑予報マップ

こちらの記事もおすすめ

コメント

タイトルとURLをコピーしました