森高千里の歌唱変遷|声を取り戻し、昔の歌を今の気持ちで歌うまで

2026年の取材に掲載された森高千里(撮影:柴田フミコ) シンガー
2026年の取材に掲載された森高千里(撮影:柴田フミコ)

長い間ステージを離れた森高千里は、歌を再開しようとした時、最初から以前のように声が出たわけではありませんでした。
ボイストレーニングと体力づくりを重ね、少しずつ歌える身体を取り戻していきます。

長年親しまれている曲を、再び人前で歌う。
その裏には、声を準備し直す作業と、昔の歌を今の自分から見つめる時間がありました。
森高千里の歌唱の歩みをたどると、同じ曲を歌い続けること自体が、表現を育てる過程になっていることが分かります。

一曲に三日かかった、デビュー当時の歌入れ

森高千里は1987年、「NEW SEASON」で歌手デビューしました。

もともと歌手を目指していたわけではなく、オーディションをきっかけに、映画やCMとともに歌の仕事も始めた人です。

初期の歌入れには一曲に三日かかったものの、1995年にはノリを重んじてテイクを選ぶようになったと話しています。

最初から完成した歌い手として録音に入ったのではなく、現場で歌を身につけていったのです。
一つの音をきちんと出すことと、一曲として聴きたくなる歌を残すこと。
経験を重ねる中で、その両方に目を向ける余地が生まれていきました。

「雨」は、歌うたびに自分の曲になっていった

1990年の「雨」も、初めから思いどおりに歌えた曲ではありません。
森高は後年、当初はうまく歌えなかったものの、コンサートで重ねて歌ううちに、自分のものになり、好きになっていったと話しています。

代表曲になることと、本人がその歌をつかむことは、同時に起きるとは限らない。
「雨」の話は、その違いを教えてくれます。
一度録音して終わるのではなく、人前で繰り返し歌う中で、曲との距離が変わっていく。
歌手にとっての完成には、発売日以降の時間も関わっているのです。

1992年の『ペパーランド』では、多くの楽器を自分で演奏する挑戦もしています。
本人にとっては、自分の曲を自分で表現するための試みでした。

歌うことに加え、伴奏を鳴らす側にも立つ。
ここで広げた音楽との関わりは、後年、歌とドラムの両方を録り直すセルフカバー企画を知るうえでも、大切な背景になります。

子育ての時間を経て、声を準備し直す

1999年の結婚後は、子育てを優先する生活に入りました。

本人によると、子育て中は歌うことだけでなく、自分の曲を聴いたり曲を作ったりすることからも離れていました。
再び歌うとは考えていなかった時期もあったといいます。
転機になったのは、デビュー25周年を迎えた2012年に届いた、復帰を待つファンの声でした。

この間も、2010年には久石譲が作曲した「ペコちゃんの歌」の録音に参加しています。

一曲の録音に応えることと、長いコンサートを担う歌手として戻ることは、同じではありません。
2012年からの本格的な再開は、歌う機会を少しずつ増やしていく出発点にもなりました。

再開にあたり、森高は昔の音源を聴き直しています。
若い頃は気づかなかった歌詞の意味が、生活の経験を経た今なら分かる。
過去の曲を客観的に眺められるようになったことも、再び音楽に向かう気持ちにつながりました。

声を出す準備と、曲を受け取る準備。
復帰には、この二つがありました。
以前の衣装や曲目をそろえるだけで、歌う感覚まで元に戻るわけではありません。
昔の自分をそのまま再現するのではなく、離れていた時間も含めて歌に向き合う再出発でした。

2012年『ザ・シングルス』の森高千里
2012年『ザ・シングルス』の森高千里。
画像出典:画像掲載元

約200曲の歌い直しで、過去の作品と向き合う

2012年に始めたセルフカバー企画では、約200曲を歌い直すという大きな目標を掲げました。
本人も途方もない計画だと感じながら、そこからライブへつなげたいと考えていました。

企画は約五年に及び、録音では一日に七〜十曲の歌とドラムを収録することもあったそうです。
本人は、ずいぶん鍛えられたと振り返っています。
2017年には「私がオバさんになっても」のゆったりした版を公開し、締めくくりを迎えました。

懐かしい曲を数曲取り上げるのと、作品の大部分をもう一度歌うのとでは、向き合う範囲が違います。
よく歌う代表曲だけでなく、しばらく離れていた歌にも、今の声で入り直す。
この企画は、過去の曲を紹介すると同時に、歌う日々を積み上げる場にもなりました。

歌い直さずに残す曲と、新しい相手に出会う歌

ただし、すべてを新しい録音へ置き換えようとしたわけではありません。
「渡良瀬橋」は元の形で残しておきたいという本人の意向で、このセルフカバー企画では取り上げませんでした。
一方、2017年のCOTTON CLUB公演では別の編曲で歌い、その映像は作品化されています。

残すことと、歌い直すことを、曲ごとに選んでいるのです。
原曲への愛着があるからといって、ライブで新しい表情を探す道まで閉じてしまうわけではありません。

復帰後には、tofubeatsとの「Don’t Stop The Music」という新しい出会いもありました。
森高は、彼が歌い手の個性をつかむことに感心し、この曲の旋律にも心地よさを感じていました。
クラブでの共演を経て、2015年にはブルーノート東京での公演にも挑戦しています。

昔の歌を取り戻す過程に、新しい曲や演奏の場が加わる。
復帰後の歩みは、過去の再現だけで完結してはいません。
同じ声の持ち味を、別の音楽の中で生かす経験も広がっていきました。

歌い慣れた曲が、気持ちの余裕を作る

2018年には、シングルの曲を発売順に、二日間で45曲歌う公演も行っています。
本人は、知っている曲ばかりでも、普段とは違う公演の流れに苦労したと振り返りました。
一曲ずつ歌えることと、一つのステージとして通せることにも、違いがあるのです。

2019年の全国ツアーについて、森高は若い頃との違いを語っています。
かつて新しいアルバムを携えて回った時は、歌詞やステージの段取りを覚えることにも必死でした。
今は歌い慣れた曲が多く、そのぶん余裕を持って臨めるといいます。

ここでの余裕は、歌の難しさがなくなったという意味ではありません。
曲を身体になじませるために使っていた注意を、目の前の客席や、その日に届けたい気持ちへ向けられる。
長く歌ってきた時間が、舞台に立つ時の助けになっているのです。

2022年、森高は「私がオバさんになっても」を歌う時の気持ちを、明るく前向きで幸せなものだと説明しています。
年齢を問わず愛される歌であり続けてほしいという思いも持っていました。

発表当時の年齢を通り過ぎても、歌は終わらない。
本人が今どんな気持ちで歌うかによって、長く知られた一曲にも、新しい受け止め方が生まれます。

2017年のセルフカバー版。

2019年の取材時の森高千里(撮影:Masanori Naruse)
2019年の取材時の森高千里(撮影:Masanori Naruse)。
画像出典:画像掲載元

変わらず歌うためにも、準備は続いている

2026年にも、森高は、復帰時に声も身体もすぐには戻らなかったことを振り返っています。
今もステージは体力的に大変だと感じながら、そこでしか得られない喜びが、歌い続ける力になっているといいます。

同年のライブでは、普段あまり歌わない曲を中心にした夏の公演と、ヒット曲も交えた秋からの公演を用意しました。
長いレパートリーの中から、今歌いたい曲を選ぶ楽しみも広がっています。

森高千里の歌の変遷には、一曲を長く歌うことでつかめる感覚と、歌うための準備をやり直す努力が重なっています。
「雨」が少しずつ自分の曲になり、復帰後には昔の歌詞を別の気持ちで受け取るようになった。
変わらず親しまれる曲の裏で、歌い手と曲の関係は動き続けているのです。

音程や歌のノリ、曲に応じた声の扱いは、森高千里の歌い方で掘り下げています。

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