エンヤは、オペラ歌手のヴェロニカ・ダンに約一年間学んだ経験があります。
けれど、その訓練は続けませんでした。
理由は、そこで歌う方法を身につけていくと、自分の歌声が変わってしまうと感じたからです。
学んだ時間を良い経験としながら、守りたい声もあったのです。
大勢の合唱のように響くエンヤの歌にも、出発点にはこの一人の声があります。
その声をどう歌い重ねるか。
独特の広がりを生む、歌唱の選択を見ていきます。
一つの声で、和音を組み立てる
「Orinoco Flow」の録音で、エンヤは一つずつ別のパートを歌い、和音を作っていきました。
録音担当のジェームズ・バートンによると、ニッキー・ライアンがギターで和音を示し、そこに必要な音を確かめることもあったそうです。
主旋律を何回もなぞるだけではなく、和音のどの音を自分の声で受け持つかを考えて歌っています。
初期の制作でも、一つの声部を繰り返し録り、別の声部と重ねる方法が使われました。
一人で複数の高さや役割を歌い分けながら、音楽を組み立てていたのです。
『Watermark』制作時、ニッキーは、録った音を呼び出すサンプラーを声には使わず、その都度歌ってもらったと説明しています。
気に入らなかった母音の重なりを消し、録り直したこともありました。
歌詞のない短い声にも、その曲に合う響きかどうかを選ぶ工程があったわけです。
一回ずつ、最初から最後まで歌う意味
2000年の『A Day Without Rain』を発表した時、エンヤは、録音でも人前で演奏するように、最初から最後まで通す方法を説明しています。
細かい部分に分けるより、音楽の流れを保ちたいという考えでした。
「Only Time」を含むこの時期の作品も、録音技術に囲まれた環境で、演奏する時間の連続性を大切にして作られています。
2008年にも、本人は、声を採取して使い回す方法では自然な声の質感が失われると話しました。
同じ歌手が同じパートを重ねていても、その一回一回は、新しく歌われた声です。
音の厚みは、実際に歌った回数の積み重ねでもあります。
ここでの歌唱は、主役の一声だけに注目すると見えにくくなります。
和音の一部を担う時にも、曲の始まりから終わりまでの流れを歌う。
それを別の音で繰り返し、組み合わせていく。
エンヤの合唱には、声を出す技術と、一曲を歌い通す感覚の両方が必要なのです。
歌っている時から、声を残響の中に置く
ニッキーが1989年に明かした方法には、スピーカーのある部屋でエンヤが歌う録音もありました。
声に長い残響をつけ、その響きも再びマイクへ入る状態で録っていたといいます。
完成後に声へ効果を足すだけでなく、歌っている時点で、すでに響きに包まれた環境があったのです。
一方、「Orinoco Flow」の仕上げでは、バートンが複数の残響機器を使い、音が一つに濁らないようにしました。
声をどれだけ響かせるかは、歌い手の身体だけで決まるものではありません。
歌う声、録る空間、重なった声の扱いが結びついています。
エンヤの広い響きを、すべて本人の息の多さや声量に置き換えると、この大切な部分が見えなくなります。

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物語を歌う声と、意味を離れて響く声
「Ebudae」では、一方の声が物語を担い、もう一方が、記憶や創作から生まれた音の断片を歌います。
ローマ・ライアンは、この二つの役割を分けて説明しました。
同じ曲の中でも、すべての声が同じように言葉を伝えているわけではありません。
「Exile」は、言葉を伴わない歌唱に、後から詩を与えた例です。
旋律の寂しさを、故郷を離れた人の気持ちとして歌う形になりました。
言葉を加えるかどうかで、声の役割も変わります。
2009年リマスター音源。
エンヤの声をすべて「歌詞が聞き取れる主旋律」として追う必要はありません。
ハミングや意味のない音も、一曲を作るための声です。
反対に、言葉を与えられた旋律では、その言葉が曲の情景を具体的にします。
この行き来が、声だけで風景を描くような表現を支えています。
歌いやすい音から、言葉を作る
エンヤは『Watermark』の頃から、言葉を音としても使い、作った音楽にどうなじむかを重視していました。
ゲール語、ラテン語、英語という違いより、その曲に合う響きかどうかが、選ぶ基準だったのです。
「The River Sings」などで使うロクシアン語は、発音が分かるように記して渡されたと本人は説明しています。
自分が歌っていた音やゲール語に近い響きがあり、なじみやすかったそうです。
「菫草」では、日本語を選びました。
『Amarantine』の中に、日本語の歌と創作言語の歌が共存していることからも、エンヤが一つの言語だけで表現を決めていないことが分かります。
『And Winter Came…』には、ロクシアン語に合う曲がなく、採用しなかったと本人は説明しています。
言語を先に決めず、曲が求める響きを確かめる順序なのです。

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ハミングを残すか、さらに声を重ねるか
「The Humming」は、作曲中に口ずさんだ部分を、ハミングとして残すのがふさわしいと感じた曲でした。
すべてを歌詞に置き換えず、その声の形を作品に残しています。
完成した曲では、ハミングを重ねることが、広い空間を感じさせる響きにつながりました。
単純な音が多層の声になる、その組み合わせを、ジョン・ディリベルトも印象的な表現として評しています。
エンヤは、ローマが完成途中の歌を聴いて涙を流す時、最初の旋律にあった気持ちが演奏や編曲の中にも残っていると確かめられる、と話しています。
重ねた声の豪華さだけで完成を決めてはいません。
声を重ねない曲では、何が前に出るのか
「I Could Never Say Goodbye」では、伴奏も声の重なりも絞られています。
当時のアルバム評は、普段のハーモニーを大きく減らしたことで、言葉を歌う声の明瞭さが際立つと評価しました。
対して表題曲「Dark Sky Island」では、主旋律と厚いハーモニーの対照があり、男性の声を思わせる音色の層も指摘されています。
高く透き通った声の印象だけでなく、異なる声の色を組み合わせることにも、この歌唱の幅があります。
二曲を並べると、豊かさを作る方法が一つではないと分かります。
低い声や和音を加えて広げる曲もあれば、声の数を減らして一つの旋律に耳を向けさせる曲もある。
エンヤの歌声は、同じ厚みのまますべての曲を覆っているわけではありません。
自分の声を守り、別のパートを歌い、時には言葉になる前の音を残す。
エンヤの歌い方を形作るのは、一回の高音や音量だけでは測れない、こうした選択です。
一人ひとりが集まる合唱とは異なる、同じ声ならではのまとまりを、毎回新しく歌うことで作っています。
こうした表現が作品ごとに広がった過程は、エンヤの歌唱変遷でたどっています。

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