阿部真央の「ふりぃ」を知っていても、同じデビューアルバムに収められた「Don't leave me」を聴くと、別の人の歌のように感じるかもしれない。
発売当時の批評は、同じ一枚に怒りを帯びた声と柔らかな声があると記した。
阿部自身は、曲ごとに声を変えることを当時は意識していなかったという。
なぜ一人の歌手に二つの印象が生まれるのか。
音域の数字や発声名だけで片づけず、曲が相手に向ける感情から読み解く。
「ふりぃ」は、まず言葉を前へ押し出す
2009年のデビュー作で、タイトル曲「ふりぃ」は強い声の代表として受け止められた。
アイナ・ジ・エンドは後の阿部との対談で、テレビで歌う阿部の姿に衝撃を受けたと話している。
大きな声だったから、というだけではない。
自分の思いを言い切る言葉と、バンドの音に向かって前へ出る歌が、見る人に一つの人物像を残した。
阿部は2009年の取材で、歌っていると人が立ち止まってくれる、だから歌を頑張ろうと思ったと振り返った。
曲に託したのは、聴き手からよく見られるために整えた台詞ではなく、当時の自分が思ったことだった。
2018年には、初期には自分の存在を証明したい気持ちが強く、ライブでも押しの強さがあったと認めている。
この背景を知ると、「ふりぃ」の迫力は単なる発声の強度ではなく、人へ言葉を渡す切実さを伴っていたと分かる。
アルバムのほかの曲へ目を移すと、その切実さは違う声の表情にもつながっている。
「Don't leave me」は、同じ強さで迫らない
『ふりぃ』には「Don't leave me」も収録された。
2018年、歌手ASCAは、初めてこのアルバムを聴いたとき、格好いい歌い回しの曲と、この曲のように胸を締めつけられる曲の両方があったと語った。
失恋を実体験していなかった中学生の自分にも、歌詞と声がまっすぐ届いたという。
その証言からも、曲によって感情の届け方を変えられることが、作品の幅を作っていると分かる。
「ふりぃ」が自分の立つ場所を前へ示す歌なら、「Don't leave me」は去ってほしくない相手へ気持ちを向ける歌として受け止められる。
前者の勢いを後者にそのまま当てはめれば、相手に届くより先に言葉の繊細さが失われかねない。
両曲の違いは、声を何種類持っているかではなく、同じ歌手が誰に何を伝えようとしているかにある。
この対談でASCAは、「Don’t leave me」を音楽教室でも繰り返し練習していたと明かした。
阿部は彼女のカバーを高く評価し、長く歌い込んだことと、多感な時期に感情を重ねたことの両方に触れている。
大好きで心を動かされた曲は、歌うときも気持ちを込めやすいというのが阿部の見方だ。
つまり阿部自身も、この歌の魅力を自分だけの声質に閉じ込めていない。
歌詞を何度も自分の声にし、その言葉に自分の記憶が結びつくことで、別の歌い手にも表現が育つと考えている。
「ふりぃ」との対照を聴く際も、強い声か弱い声かに加えて、言葉を言わずにいられない気持ちがどう伝わるかを追いたい。

写真出典:OTOTOY取材
「曲ごとに違う声」は、本人の設計図ではなかった
面白いのは、阿部がデビュー作の録音時に歌い分けを意識していなかったことだ。
発売後、「曲によって声が違う」と何度も言われて初めて気づき、その後の二、三年間は意識した時期があったという。
最初から計算して一曲ごとに声色を割り当てた、と説明すると本人の証言を逆にしてしまう。
彼女は、相手に伝えるために歌詞を書くことを大切にしてきた。
「貴方の恋人になりたいのです」については、相手を敬う言葉を使い、その言葉の歌ったときの口当たりにも触れている。
発音しやすい言葉だけを選ぶという意味ではない。
相手との関係をどう言葉にし、その言葉を自分の口でどう歌うかがつながっている、ということだ。
敬語の恋の歌は、叫ぶ言葉とは違う距離を作る
「貴方の恋人になりたいのです」は『ふりぃ』発売後の2009年にシングルとして出た。
阿部によれば、好きだった相手が年上で、相手を尊敬する気持ちもあったため、歌詞を敬語で通した。
日常の会話なら遠回しに聞こえる言葉が、この曲では相手に近づきたいのに踏み込みきれない距離を形にしている。
語尾まで言葉の意味を担うため、「です」「ます」を取り去って勢いだけを残す歌ではない。
本人は、歌ったときの言葉の口当たりも選ぶ理由の一つに挙げた。
相手をどう呼び、どう文を終えるかが、そのまま歌の表情になるという作詞と歌唱の接点だ。
「ふりぃ」の強い主張を知る聴き手にとって、この恋の歌は声の力を抑えた別人格というより、相手との距離が違えば言葉の終わり方も変わることを示す。
同じ初期作品であっても、勢いのある「ふりぃ」、引き留める「Don't leave me」、敬語で願う「貴方の恋人になりたいのです」は、言葉を向ける相手が違う。
声を一つの強さで統一しなかったことは、別々の歌手を演じたというより、歌の中の関係を一曲ごとに作った結果として捉えられる。
だから『ふりぃ』の多彩な声は、歌唱テクニックの展示会として聴くより、曲ごとに違う相手と感情が声の距離を変えていると考えるほうが豊かだ。
怒り、恋しさ、寂しさを一つの声量で均す必要はない。
同じ歌手なのに違う、とASCAが感じた点こそ、アルバムを通して聴く価値になる。
バラードでは、声の選択肢と落ち着いて歌う感覚が支えになる
感情に応じた声を出すには、それを歌える準備も必要になる。
2013年の「最後の私」をめぐる取材で、阿部は以前バラードを得意としていなかったと話した。
声の出し方を学んだことで使える声が増え、バラードを歌いやすくなったという。
ステージでも焦らず、曲の流れに身を任せられるようになったと説明している。
同じ思いを持っていても、声を出すことに精いっぱいなら、言葉の細かな表情へ意識を向けにくい。
本人の話からは、扱える声の幅と、落ち着いて一曲を進める感覚が、繊細な表現を支えていることが分かる。
デビュー作にあった感情の幅を、歌唱として無理なく届かせるためにも学びを重ねてきたのだ。
「最後の私」は、恋をしていた頃の自分を、現在の自分が振り返る視点も持つ曲だ。
相手に感情をぶつけるだけでなく、好きだった自分の気持ちを見つめる。
そうした歌では、声を押し続けずに物語の流れを保てることが、言葉の意味を伝える助けになる。
一本の「理想の声」に寄せない
阿部は2018年の対談で、一時期は声の違いを意識したものの、今は細部を考えすぎず自由に歌うと話した。
これは技術を捨てたという宣言ではなく、曲を先に聴いて必要な声を決める余地を残す姿勢として読める。
強い曲を歌う阿部だけ、繊細な曲を歌う阿部だけを本物と決めれば、デビュー作の中にすでにあった幅が見えなくなる。
「ふりぃ」と「Don't leave me」をつなぐのは声質の同一性より、言葉を自分の感情から切り離さずに歌う姿勢だ。
前へ出すべき言葉は前へ、相手に近づける言葉は近くへ。
その選択を年を追ってどう変えてきたかは、阿部真央の歌唱変遷でたどれる。

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