佐野晶哉には、子供の頃から培ったミュージカルの歌い方を、抑えようとしていた時期があります。
映像の仕事では表現が大きくなりすぎる。
そう感じて切り離そうとしていた自分の一部を、2025年の映画『トリツカレ男』では、再び表に出せるようになりました。
得意だった歌い方が、別の場所では難しさになる。
けれど、そこで身につけた新しい表現が、昔の経験を使う方法まで変えていく。
佐野の歩みをたどると、ひとつの歌唱法を完成させることとは違う、声の育ち方が見えてきます。
舞台の子役から、アイドルとして歌う道へ
ミュージカル好きの兄に影響され、小学二年生でスクールへ通い始め、劇団四季の『サウンド・オブ・ミュージック』『ライオン・キング』にも子役として出演。
将来はミュージカル俳優になるつもりだったと振り返っています。
方向を変えたのは、中学生の時に見た堂本光一主演の『Endless SHOCK』でした。
舞台を見て感じた驚きを母に話すと、母がオーディションへ応募します。
ただ、佐野は初めからアイドルになることに積極的だったわけではありません。
グループでライブを経験し、客席を笑顔にできる手応えを得るにつれて、この仕事が好きになっていったのです。
役の世界に入って歌う楽しさに、お客さんと直接やりとりする楽しさが加わる。
歌う場所が変わることは、目の前の人に何を届けたいかを、改めて考える機会でもあります。
2016年に入所し、2019年にはAぇ! groupが結成されました。
2024年5月15日、「《A》BEGINNING」でCDデビューを果たします。
アイドルの活動と並行して、学校でも音楽を学び続けました。
高校では声楽、2022年春に卒業した短期大学では作曲を専攻しています。
歌う技術と、曲そのものを作る学びの両方が、活動の土台にありました。
高校時代に出会った、正確さだけでは説明できない歌
親しむ音楽は、中学生の頃から広がり始めていました。
母に連れられて行ったショッピングモールで石崎ひゅーいの歌を聴き、それまで主に聴いていたミュージカル以外の歌に夢中になります。
ギターを始めたのも、その出会いがきっかけだったといいます。
高校生の佐野は、知り合いのカフェで忘れられない歌に出会います。
居合わせた男性がアコースティックギターを持ち、床に座って歌った、ハナレグミの「家族の風景」です。
本人の記憶では、その歌は音程もリズムも正確ではなかった。
それでも心を動かされ、歌う人の生きてきたものが伝わるように感じました。
それまで親しんでいたミュージカルに加え、自分自身の感情を届ける音楽にも惹かれていく。
この体験を、佐野は自分の音楽への見方が広がった出来事として語っています。
音を正しく取ることと、その人の歌をもう一度聴きたくなることは、重なりながらも同じではありません。
技術を磨くほど、その外側にも心を動かすものがあると知る。
この発見は、後に役として歌う仕事へ戻った時にも、考え合わせたい経験です。

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Aぇ! groupで、客席と曲を育てる
デビュー後、佐野は「《A》BEGINNING」を歌うたびに新しい発見があると話しました。
録音やMV撮影を経ても、特にライブで歌うと曲の強さを実感する。
最初に良いと思った曲を、その後の実演で、さらに好きになっていったのです。
録音で一度仕上げた歌も、客席の前で歌うと受け取り方が変わる。
歌手自身が、曲の働きを実感し直す時間がそこにあります。
2024年のデビューツアーでは、佐野のソロ曲「愛してるって言わNight」も披露されました。
もとはYouTubeの大喜利で生まれた題名を、小島健の作詞と佐野の作曲で実際の曲にしたものです。
騎士風の衣装で歌う、大きなスケールと笑いのある場面。
ツアー最終日の二人は、曲が客席になじみ、一体感を生んでいたことを喜んでいました。
歌のうまさを見せるだけでなく、設定やユーモアごと楽しんでもらう。
アイドルのステージには、歌声をひとつの人物像や場面と結びつける余地もありました。
翌2025年の音楽朗読劇『ひまわりの歌〜ヘブンズ・レコードからの景色〜』では、阪神・淡路大震災から五年後の神戸を舞台に、青年タケルを演じています。
神戸公演の初日は、震災から三十年となる1月17日。
佐野は、当時を思う人と、舞台を通して知ろうとする人が並ぶ客席を前に歌い、稽古とは違うものを感じたと話しました。
客席を盛り上げる歌と、その場所の記憶を受け止めて歌うこと。
同じ人前の歌唱でも、引き受けるものは変わります。
佐野の活動は、その違いを実際の舞台で経験するものになっていきました。

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採点で磨いた技術と、作品で使う歌い方
佐野の歌は、テレビのカラオケ採点企画でも知られるようになりました。
2025年3月には、番組のために練習して100点を取れるようになった一方、最後の達成から二年以上が経ち、今も取れるかは分からないと話しています。
必要なのは、細かな知識や技術。
もう一度練習して挑戦したいという言葉も続きました。
この自己評価は、歌全体が衰えたという意味には取れません。
特定の条件を満たすために磨く技術があり、それを保つ練習もある。
その一方で、作品の中では、点数にならない人物の気配や言葉の感情を探す仕事が増えていました。
『トリツカレ男』で、昔の経験を使い直す
2025年公開の『トリツカレ男』で演じたのは、何かに夢中になると周りが見えなくなる青年ジュゼッペ。
風船売りのペチカとの出会いを描くミュージカルアニメーションで、劇中の音楽をatagiが手がけています。
佐野にとって、この現場は、以前は大きすぎると感じていた表現を生かせる場所でした。
ミュージカルで身につけたものを出してよい。
長く抑えてきた自分を肯定できたことが、大きな意味を持っています。
ただし、経験があるからすぐに歌が完成したわけではありません。
自分もスタッフも手応えを感じた歌に、髙橋渉監督から役の声とは違うという指摘が入り、録り直したこともありました。
歌を収録したのは、台詞のアフレコより前。
きらめきや、頭の中を旅するような感覚を求める監督の言葉から、佐野は声の正解を探していきます。
上白石萌歌の歌も、その探り方を変えました。
ペチカのまっすぐな歌声に触れ、うまく歌うことより、気持ちを正面から差し出す方を選んだと話しています。
声のトーンも、現実的すぎず、いかにもアニメらしく作りすぎないところを探りました。
以前のやり方を取り戻すことは、以前と同じ歌へ戻ることではありません。
舞台で培った表現を使いながら、目の前の絵や相手の声に合わせて調整する。
歌い慣れた人だからこそ持っている完成形も、役のために動かす必要があったのです。
新しく見つけた声を、次の歌へ持っていく
映画を経て、佐野は、歌い方の幅が広がり、自分の声への意識も変わったと語っています。
実写では出さなかったトーンを役のために使い、今後も生かせそうな出し方を見つけた。
一作品の役作りが、その作品だけで終わらない選択肢になりました。
2026年、Aぇ! groupへ楽曲を提供する川島亮祐も、録音された佐野の歌声に変化を感じていました。
もともと音程やニュアンスを扱うのが巧みで、そこにさらに磨きがかかっているという評価です。
川島自身がコーラス録音で新しい歌声に接する中での実感として語られています。
子供の頃の経験を手放し、新しい技術だけで塗り替える必要はない。
一度は持て余したものでも、作品や相手が変われば、次の表現に必要になる。
佐野の変遷で興味深いのは、できることが増えるとともに、すでに持っていたものの使い道も変わってきたところです。
曲ごとの声の選び方は、佐野晶哉の歌い方で詳しく扱っています。

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