麻倉未稀には、「ヒーロー」ばかり歌っていてよいのかと悩んだ時期がありました。
求められる歌があることと、自分が進みたい方向が見えることは、同じではなかったのです。
その代表曲は、のちに聴き手を励ますだけでなく、歌っている本人を支える歌にもなります。
歌声の変遷をたどる鍵は、力強さが増したかどうかより、同じ言葉をどんな気持ちで届けるようになったかにあります。
1981〜84年、大人の歌からドラマを背負う歌へ
1981年のデビュー曲は「ミスティ・トワイライト」。
麻倉は、もともと低めの声を持ち、アイドルとしてのデビューには自分でも向かないと感じていました。
高校へ通いながらレッスンを重ね、CMソングのオーディションを経て、歌手として出発します。
この曲を録音するとき、大野雄二が求めたのは、肩の力を抜いた、軽やかな歌でした。
後年の勇ましいイメージとは違う出発点です。
転機となった「ホワット・ア・フィーリング〜フラッシュダンス」は、最初から得意な歌として引き受けたわけではありません。
一度は断りながら、映画を見て挑戦しようと思い直した曲でした。
それが1983年の『スチュワーデス物語』へ、翌年の「ヒーロー」が『スクール☆ウォーズ』へつながります。
「ヒーロー」は当初、アルバムの一曲として録音していました。
麻倉によれば、途中で主題歌の話が決まり、歌い直すことにもなったといいます。
ドラマに合わせて最初から用意された歌手像というより、曲との出会いから大きな役割が生まれていったのです。
当時は録音、ツアー、テレビや取材が続き、本人には休む暇もなく、眠かった記憶が強く残っています。
低い音から高い音まで大きく歌い上げる姿が広く知られる一方、本人の日々は、次々に来る仕事へ応えていく時間でもありました。
1990年代〜2000年代、代表曲を歌い続けることへの迷い
30代には、これから何を歌えばよいのか、約3年にわたって迷ったと振り返っています。
それでも「ヒーロー」を歌うことはやめませんでした。
曲を捨てて別人になるのでなく、求められる一曲を抱えたまま、自分の歌を探していた時期です。
1990年代からはミュージカルにも出演し、2009年には『アニー』の舞台に立っています。
代表曲の外にある、役を担って歌う仕事も重ねていました。
2011年、被災地で「ヒーロー」が自分にも届く
東日本大震災のあと、麻倉は仙台で歌いました。
震災直後に予定していた訪問は中止になり、交通が戻ってから実現した機会です。
当初は、被災地で自分のCDを売ってよいのかというためらいもありました。
ところが、歌を待っていた人たちの笑顔に迎えられ、「ヒーロー」を歌う自分も涙が出てきたといいます。
聴く人を元気にするつもりの歌が、自分の中へも入ってくる。
長く歌った曲に、そうした実感が生まれました。
2016年の35周年アルバム『Voice of Power』には、新曲に加えて「ヒーロー」「黄昏ダンシング」の2016年版を収録しました。
この時点で、麻倉は緊張をほぐしながら発声する方法を人に教えてもいました。
復帰後に力を抜く感覚をつかむ話には、それ以前から続けてきた発声への取り組みも背景にあります。
2017年、戻りたい舞台と、変えていく呼吸
2017年に乳がんが見つかったとき、麻倉が強く望んだのは、再び歌うことでした。
手術前には、元気な歌だけでなく、落ち着いた大人の歌も歌えるように年齢を重ねたいと話しています。
舞台へ戻る願いと、これからの表現への思いが、同時にあったのです。
同年7月の復帰ライブは、手術から約3週間後。
共演したヴァイオリニストの牧山純子は、声や歌い方の変化を感じて涙を流したと、麻倉は振り返っています。
一方で、早い復帰を後から見れば頑張りすぎたとも感じていました。
体力を含めて以前のまま舞台へ戻れた、という話ではありません。
復帰時のリハーサルでは、痛みの少ない呼吸の仕方を探しました。
その結果、肩の力が自然に抜け、無理に力まなくても声が出る感覚を得たと本人は説明しています。
力強い歌を続けるために、体へ加える力を見直す。
これが、復帰後に本人が実感した具体的な変化でした。

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2019年には、以前は人を励ますつもりだった「ヒーロー」が、自分自身を励ます歌にもなったと語っています。
仙台で感じた、歌が自分にも返ってくる経験は、その後の人生の中でも意味を持ち続けました。
2022年、歌い慣れた曲と、今だから歌える新曲
40周年の『人生はドラマ これからも続く私のヒーロー物語』では、「ヒーロー」を「40th FIRST TAKE version」として収録しました。
この頃、麻倉は呼吸が楽になり、以前は歌いたくても歌えないと思っていた曲へ、ようやく向かえる感覚も語っています。
代表曲を保つことと、新しい歌を選ぶことが、同じアルバムの中に並びました。
新曲「The breath of life」を作曲した庄野真代は、2023年の共演時、その歌を、今の麻倉だからこそ歌える温かさや柔らかさを持ったものとして受け止めています。
周りを奮い立たせる声に、そばで気持ちを受け止める歌の役割が加わっていました。

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2026年、ギター一本で代表曲の別の表情を見つける
45周年の『My Soul』に入った「ヒーロー」のアコースティックギター版は、意外にも実用的な事情から生まれました。
あるディナーショーで、伴奏のカラオケを使えないのに「ヒーロー」を歌ってほしいと頼まれたのです。
相談を受けた長谷川友二が、スパニッシュ風のギターで歌う形を提案しました。
この経験から、船上で二度行うステージでも、それぞれ違う形の「ヒーロー」を披露できるようになります。
本人は、伴奏が変わることで歌詞の受け止め方にも新しい発見があったと話しています。
長く歌ってきたから完成して動かない、という曲ではありませんでした。
歌以外の場所での出会いも、新しい作品へつながりました。
富田京子と始めた「ピンクリボンふじさわ」は、その一つです。
2021年には、歌と啓発活動が半分ずつほどだと話すまでになっていました。
歌う仕事の外でも、自分の経験を人へ伝える役割を持つようになったのです。
同じアルバムには、富田京子が詞を書いた新曲「My Soul」と、1981年のオリジナル録音の「ミスティ・トワイライト」も入っています。
今の声で残した新作と、出発時の声を、同じ作品の中に置いた45周年です。
表題曲「My Soul」では、歌手としての歩みへの誇りと、未来への思いを歌っています。
人を励ましてきた歌手が、自分も歌に支えられてきた歩みを、今の言葉で歌う。
代表曲への迷いを経た麻倉の変遷は、歌い続けた曲から、何度でも新しい意味を受け取る歴史でもあります。
曲や場面によって力と声をどう使うのかは、麻倉未稀の歌い方で掘り下げています。







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