RIRIの歩みには、若い頃から力強かった歌声を、どう曲へ生かすかという変化があります。
英語の発音を磨くこと、日本語で気持ちを届けること、あえて歌の装飾を減らすこと。
歌える力を持っていた人が、歌い方の選択肢を増やしてきた過程です。
2016〜2017年、すでにあった迫力と、独学で育てた耳
2016年、AIのツアーに参加していた16歳のRIRIは、ラジオのスタジオで「Yes Be Free」をアカペラで披露しています。
伴奏がなくても強く印象を残す歌として紹介されており、声の迫力は活動初期からの持ち味でした。
AIとの縁も、若いRIRIを舞台へ導きました。
2012年に憧れのAIへインタビューする機会があり、その場で歌を披露したことから、同じ事務所へ入ることになったのです。
家で覚えた歌を、プロの歌手やその観客の前で試す機会が、活動の初期に生まれていました。
その出発点は、毎日一曲ずつ洋楽を課題にして歌う、手探りの練習です。
身近にボイストレーニングを受けられる環境がなく、母の支えを受けながら自分で研究していました。
本人は当時を振り返り、正しい方法なのか不安もあったと話しています。
最初から迷わず歌えた、という話ではありません。
2011年のオーディションでは、ビヨンセの「Listen」に取り組みました。
大きな会場に立つと緊張はしたものの、歌い始めると楽しさが勝り、歌手になる決意が固まったそうです。
2017年のSXSWでは、短いメロディーを使った観客との掛け合いにも初めて挑戦しました。
一人で磨く歌が、客席の反応を受け取る歌にもなっていきます。
2017年の「RUSH」では、控えめなヴァースから、フックで大きく歌う展開も注目されました。
初期のRIRIにも、強い声をずっと押し続けるだけではない表現があったのです。
2018年、『NEO』で発音と自分の意見を磨く
2018年2月、アルバム『RIRI』でメジャーデビューしました。
メジャーデビュー直後のリリースパーティーには、新しい舞台での表情も見られました。
序盤は一音ずつ丁寧に歌い、後半の「That’s My Baby」では観客を見ながら楽しむ姿が印象を残しました。
新しい曲を確かめるように歌う時間と、歌い慣れた曲で客席へ向かう時間。
初めから完成された堂々たる姿だけでなく、舞台の中で調子をつかんでいく面も見られたのです。
同年11月には、2ndアルバム『NEO』を発表。
高校卒業後のLA滞在では、作家と英語の発音を細かく確認しました。
本人も前作を聴き直し、その部分の成長を感じています。
英語で歌うことをすでに得意としていても、録音で求める精度には次の課題がありました。
「LOVE」では、簡潔なメロディーとトラックに合う発音を、一つずつ教わりました。
「Maybe One Day」でも歌い方の助言を受け、作家と相談しています。
同時に、制作が速く進む場でも、違和感を感じたら遠慮せず伝えるようになりました。
教わるだけでなく、自分が納得する歌を相手と作る姿勢が育った時期です。

撮影:山辺学。
画像出典:画像掲載元
「Forever」で、歌えるからこそ引き算を覚える
『NEO』の「Forever feat. 清水翔太」は、日本語の表現を正面から考える機会になりました。
英語詞を多く歌ってきたRIRIにとって、日本語で何をどう伝えるかは新しい課題です。
作詞作曲を手がけた清水翔太が、録音にも助言を寄せました。
清水からは、フェイクを控えた方が伝わる部分もある、と教わりました。
歌の装飾を選び直す視点にも出会ったのです。
発音を整え、必要なところで歌い回しを抑える。
『NEO』の変化には、表現を増やす方向と、整理する方向の両方があります。
これが、単に声量が増したという説明では収まらない理由です。
2019年、共演とダンスが歌の表し方を広げる
小袋成彬、KEIJUと組んだ「Summertime」では、これまでの自分の曲と違う爽やかさに向き合いました。
主旋律は本人が描いたイメージを生かし、フェイクやハモリは小袋と相談して録音しています。
共演者にすべてを委ねるのではなく、自分の歌を持ち寄って仕上げる関係になっていました。
LAの制作では、繰り返すトラックにまず鼻歌で応じると、作家が喜んでくれた経験がありました。
自分のアイデアを出す一歩が、共演への自信につながったのです。
同年のツアーではダンスを取り入れ、振りが身につくにつれて、自分らしく動く楽しさも感じるようになりました。
また、前年からの葛藤や困難を経験したことで、歌に込める決意が、実感を伴うものになったと語っています。
大きな夢を掲げる言葉が、乗り越えてきた自分の気持ちと結びついたのです。
2019年2月9日の東京公演では、「LOVE」や「Sugar Free」でダンサーと踊る一方、「Yes Be Free」はピアノバラードとして歌いました。
さらに「This Is Me」をアカペラで披露する場面もありました。
踊る歌手になったことで、声だけを聴かせる持ち味を手放したわけではありません。
伴奏の少ない歌と、体を動かす歌を一つの公演で切り替えるようになったのです。
発音やフェイクの選択に加えて、体の動きと、歌う言葉の重みも変わっていく。
この頃の成長は、録音の中だけで完結していません。
独立後は、歌を作り届ける環境から選ぶ
2020年に独立し、2021年からはLAで一人で活動の基盤を作り始めました。
2024年には群馬とLAを拠点に活動していることを明かしています。
本人は、努力しなければという気持ちに追われる状態から、楽しんで取り組む意識へ変わったとも話しました。
自分を中心に活動するようになった頃、持ち歩くものにも変化がありました。
2021年には、制作以外の資料作りや事務作業も担うため、パソコンと名刺入れが欠かせないと話しています。
スタジオで自分の希望を伝える段階から、歌う場を成立させる仕事も引き受ける段階へ。
2021年の「WHEEL of FORTUNE〜運命の輪〜」では、困難を新しい可能性へ変える思いを作品にしています。
コロナ禍で次の挑戦が見えにくかった時期に、前へ進もうとした歌でした。
活動の仕組みが変わっても、自分の歩みを誰かへの励ましにする姿勢は続いています。

画像出典:画像掲載元
2023年の「I Need U」では、LAの制作チームづくりから録音、ミックスの手配まで本人が関わりました。
Nick Leeを迎え、メロディーや歌詞の制作にも参加しています。
一方、歌が伝えるのは、一人で頑張り続ける人が誰かに頼ってもよい、という気持ち。
制作を自分で担うことと、歌の中で強さだけを見せることは、同じではありませんでした。
2024年の「THE WORLD.JOURNEY」は、発表より二年以上前に完成していた曲です。
公開の順番だけで、歌い方が順に変わったとは捉えられません。
本人は、一人で海外へ挑む中で生まれた曲として説明しました。
意志を強く持つだけでなく、思いどおりに進まない時間も受け止める視点が、その背景にあります。
RIRIの変遷で確かに見えてくるのは、得意な声を出す力に、伝え方を判断する力が重なったことです。
独学で養った耳が、作家の助言によって発音を磨き、共演によって歌い回しを選び直してきました。
その先では、自分が歌う作品の制作環境まで選ぶようになる。
初期からの迫力を土台に、歌の主導権を少しずつ自分のものにしてきた歩みといえるでしょう。
高音での力の抜き方や、言葉とフェイクの具体的な選択は、RIRIの歌い方で扱っています。

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