亜蘭知子の歌声を、「Midnight Pretenders」の印象だけで思い描いている人もいるでしょう。
この曲を収めた1983年のアルバム『浮遊空間』では、曲によって声の表情が大きく違うと評されています。
伸びやかな歌声、囁くような歌い回し、そして不気味な低音。
その違いをたどると、声の持ち味に加えて、歌い方と録音の音づくりが歌の人物像を変えていることが見えてきます。
「Midnight Pretenders」(1983年作品、WM Japan提供音源)
伸びやかな声が、メロウな曲を支える
『浮遊空間』の魅力の一つは、愛らしく伸びやかな歌声と評される声です。
「Midnight Pretenders」のメロウな味わいも、その歌声と結びついています。
穏やかな曲調の中で、歌声の伸びやかさを楽しめるという捉え方です。
同じ方向から親しめる曲として、「I’m in Love」も挙げられます。
レコード店デシネ・ショップの作品紹介では、この二曲がメロウな魅力を持つ曲として取り上げられています。
『Mikiki』の作品評も、「I’m in Love」のAORらしい音づくりに触れています。
この二曲を入口にすると、亜蘭知子には心地よく流れる歌の印象を持ちやすいでしょう。
声が伸びることと、強く押し出して歌うことは同じではありません。
穏やかな曲の中で伸びやかな声がどう収まるか、という見方ができるのです。
ただ、同じアルバムには、その印象から大きく離れる曲もあります。
『浮遊空間』を親しみやすい歌声の一枚として聴き始めた人が、別の曲で驚く。
その振れ幅が、この歌手の声を一つの形容だけでは説明しにくくしています。
「ジ・レ・ン・マ」では、囁くような歌い回し
1983年のアナログ盤に入った「ジ・レ・ン・マ(25才の憂鬱)」は、ゆっくりしたニューウェーブ寄りの録音です。
この版の歌は、甘く囁きかけるような歌い回しと評されています。
歌詞を強く言い切る声とは違う、相手に近づくような声の表情が注目されているのです。
「ジ・レ・ン・マ(25才の憂鬱)」(1983年アナログ盤の版、2022年復刻音源)
この曲には別の録音もあるので、版の区別が必要です。
1988年の初CD化で入った版も、実際には1983年に用意されていたものだと、後に本人が説明しました。
ここで扱っているのは、2022年の復刻盤でボーナストラックに収められた、アナログ盤発売時の版です。
再発売の年を、その歌い方で新しく歌った年と取り違えないようにしたいところです。
二つの版が生まれた事情も、本人がエンジニアから伝えられた説明をブログで紹介しています。
当初の音源ではバスドラムが左右に振り分けられ、その低音がアナログ盤の溝を刻む工程で問題になったため、別の版が使われたというものです。
後にCDへ入った版は、もともと発売する予定だった音源でした。
つまり、二つの「ジ・レ・ン・マ」を比べるときに注目したいのは、五年間で歌手がどう成長したかではなく、異なる音づくりの中に声がどう置かれているかです。
同じ曲名でも、伴奏やテンポの印象が変われば、言葉の届き方を考える手掛かりも変わります。
囁くような歌い回しという説明も、どちらの版についての評なのかを押さえておくと、曲を選びやすくなります。

画像出典:写真掲載元
「HANNYA」は、低い声と高い声の対比まで使う
「HANNYA(般若)」になると、声の受け取られ方はさらに変わります。
アルバム評で指摘されているのは、重ねて加工された低く濁った声と、サビの不気味な高い声との対比です。
怒りや嫉妬にとらわれた人物を、叫びを交えて歌う曲としても捉えられています。
「HANNYA(般若)」(1983年作品、2022年復刻音源)
ここで印象的な低音は、録音の加工を含めて語られているものです。
加工前の地声がどれほど低いのか、あるいは喉をどう使ったのかを、この評から決めることはできません。
けれど、声の高さや濁り、叫びが、穏やかな歌とは違う人物像を生むという聴かれ方は、はっきりしています。
主旋律の声と、重なるコーラスを聴き分ける
声の表情を考えるときは、前面で歌う主旋律と、後ろや横で重なる声を分けて捉えることも大切です。
『Mikiki』の作品評では、『浮遊空間』の随所で使われるコーラスも、音づくりの聴きどころに挙げられています。
一人の声だけを取り出して説明するより、重なる声を含めて曲の印象を見る必要がある作品です。
たとえば「BODY TO BODY」の個人批評では、西村昌敏の特徴的なコーラスに注目が向けられています。
この曲の中で目立つ声を、すべて亜蘭一人の声色の変化として受け取ると、参加者の役割が見えなくなります。
主旋律を追った後に重なる声へ耳を向けると、歌手の表情と、録音全体で作る迫力を考えやすくなります。
歌の人物に命を与える、作詞家としての視点
亜蘭知子は、他の歌手に詞を提供してきた作詞家でもあります。
『歌ネット』の「言葉の達人」では、作曲家を建築家、編曲家を内装を考える人になぞらえ、作詞家を、その中で生きる人に命を与える脚本家のような存在として説明しています。
曲の仕組みや響きが用意されても、言葉によって、そこで生きる人物が立ち上がるという考え方です。
さらに、自分が苦労して書いた詞も、歌手が歌ってくれた瞬間に、その苦労が報われると話しています。
文字として詞を完成させることと、声になって届くことの間に、大きな意味を感じているのでしょう。
歌手の声が加わる瞬間を大切にしている、作り手の言葉です。
この考えを手掛かりに『浮遊空間』へ戻ると、曲ごとの声の違いも捉えやすくなります。
親密に囁く人物と、怒りにとらわれた人物では、相手との距離も感情も違います。
どちらも同じ明るい声で整えるより、その人物を感じさせる声の表情に注目するほうが、このアルバムの振れ幅を楽しめます。
「Midnight Pretenders」の物語を、相手の声から見直す
ザ・ウィークエンドの「Out of Time」は、「Midnight Pretenders」をサンプリングした作品です。
ユニバーサルミュージックが掲載した本人のコメントには、音の利用だけではない興味深いやり取りが残っています。
亜蘭が、歌詞は「Midnight Pretenders」の女性へ語りかけるつもりなのかと尋ねると、彼は肯定したというのです。
ここには、曲の中にいる人と、その人へ呼びかける相手という関係があります。
亜蘭が物語のつながりを喜んだことは、歌声を、音色の美しさだけでなく、誰の気持ちを誰に届ける声かという面から聴く入口になります。
相手の存在を考えてから元の曲へ戻ると、歌う人物に関心を向ける楽しみ方もできるのです。
『浮遊空間』で見えるのは、一つの美しい声をどの曲にも同じように当てはめる歌い方ではありません。
伸びやかさを楽しませる曲もあれば、囁きかける声や、録音でつくられた異様な声を聴かせる曲もある。
歌声の魅力と、曲の中でどんな人を感じさせるかが、結びついているのです。
ステージに戻るために歌う感覚をつくり直した2010年の過程は、亜蘭知子の歌唱変遷で扱っています。







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