TSUZUMIの歌を考えるとき、高音が出ることだけでは説明し切れない面白さがあります。
同じ高いフレーズでも、地声を残すのか、裏声へ移るのか。
感動的な歌でも、悲しそうに歌うのか、笑顔を感じさせるのか。
ME:Iの曲とモアナ役での経験からは、その場面に必要な声を探す、具体的な選択が見えてきます。
「Click」は、地声をどこまで残すかが聴きどころ
「Click」の大サビ前のフェイクでは、TSUZUMIは、ある音域までは地声で歌う案を自ら出しました。
裏声へ移る前に、地声の存在感を残す選択です。
高い音に届くかだけでなく、そこへどんな声で進むかを考えていることが分かります。
全部を同じ種類の声で押し切る、と捉えると、この工夫を見落としてしまいます。
最後のサビでは、AYANEとのアドリブも曲の見せ場になります。
MOMONAが二人のパートを挙げているように、ここでは一人の歌唱だけでなく、二人の声が加わることで曲がどう盛り上がるかにも注目できます。
主旋律を順に歌う場面と、終盤を彩る声を加える場面では、同じ歌手でも担う役割が変わるのです。
力強い声を支え、裏声の柔らかさも残す
「Hi-Five」の録音では、TSUZUMIはおなかに力を入れることを意識して歌いました。
これは本人が感じた声の支え方です。
高音を勢いだけに任せず、体の使い方を確かめていたことが伝わります。
一方、AYANEはTSUZUMIの裏声を、優しく、つやがあり、涼しさも感じる声として捉えています。
芯のある歌声と、裏声の柔らかさ。
強い声が持ち味であることと、いつも強く歌うことは、同じではありません。

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「Golden」で目指した、高さの先の美しさ
MIU、AYANEと歌った「Golden」では、TSUZUMIは、難しい高音をきれいに仕上げられるかを気に掛けていました。
届いた音を、そのまま完成としないところに、このカバーへの姿勢が表れています。
練習より良いテイクが録れたとも話しており、録音の中で自分の予想を超える歌を探していました。
高音の見せ場を聴くときも、最高音だけを切り取るより、声をどんな質感で届けようとしたのかまで考えると、三人のカバーの面白さが深まります。
本人は、緊張すると固くなりやすいため、普段の自分でいられることも大事にしています。
緊張の中でも、普段の自分の感覚を失わない。
明るく伸びる声を活かすには、本番で自分を必要以上に固めないことも、本人にとって大切なのです。
「花咲く道」は、笑って歌うから胸に迫る
「花咲く道」の終盤には、少し静かになったところでTSUZUMIが歌うラップがあります。
ここで求められたのは、笑いながら歌っている本人を見て、周囲が涙するような表現でした。
TSUZUMIは、ついしんみりした歌い方になってしまうことが難しかったと話しています。
感動を伝えるために、歌い手自身が悲しそうな声になる必要はない。
むしろ明るく言葉を差し出すことで、その言葉を受け取る側に感情が生まれる。
このラップでは、音の強さを増すより、言葉を向ける表情を整えることが課題になっています。
モアナの歌では、発声を役の中で自然に使う
モアナ役では、普段のME:Iの歌とは異なる発声を学びました。
TSUZUMIが目指したのは、歌っている最中に一つずつ注意点を思い出す段階を越えて、自然にできるようになることです。
そのために、毎日練習を続けたと説明しています。
歌う動作を自分のものにしておくから、場面の中では人物の気持ちへ意識を向けられる。
役として歌う準備には、そうした積み重ねがあります。
本人は、モアナのための発声を教わる難しさに、弱音を口にしたこともあったと振り返りました。
得意な歌い方がある人にとっても、役に合う声を身につけることは別の課題です。
すでに出せる高音を見せることだけでなく、その声を人物の歌として使えるようにする必要がありました。
声で演じるうえでは、二つの相手に向き合う難しさもありました。
一つは、屋比久知奈が演じたアニメーション版モアナの印象。
もう一つは、実写版のキャサリン・ランガイアの演技です。
TSUZUMIは、親しまれてきたモアナらしさを残しつつ、実写の演技へ合わせることに悩んだといいます。
好きだった歌をそのまま再現するだけではなく、今、画面の中にいる人物の声として届ける。
自分の歌を歌うときとは違う、この前提がありました。
完成した映画を見たAYANEは、普段のTSUZUMIらしさと、モアナとしての声が一つになっていると感じました。
2026年の実写版・日本語歌唱。
同じ「どこまでも」でも、場面によって歌う気持ちは違う
「どこまでも ~How Far I'll Go~」では、歌唱の注意点を楽譜へ細かく書き込み、迷いから決意へ進む人物の心を追っています。
伸びやかな声だけで全体を一色に塗るより、なぜ今この言葉を歌うのかを確かめる準備です。
高音が印象に残る歌でも、その前にどんな気持ちがあるかによって、響く意味は変わります。
本人が特に好きだと挙げたのは、祖母を残すことへの葛藤を抱えながら海へ向かう、同曲のリプライズの場面でした。
同じ曲の再登場でも、物語が進めば歌う理由は変わる。
その気持ちの違いまでが、モアナとしての歌の一部になります。
2026年の実写版・リプライズ。
沖縄では、この曲を小禄高校の合唱部と歌う機会もありました。
TSUZUMIは、皆の顔を見ながら歌えることに、いつもとは違う楽しさを感じたと話しています。
映画の人物として歌うときと、同じ舞台に立つ人へ笑顔を向けて歌うとき。
声の持ち主は同じでも、誰と、誰に向かって歌っているかによって、歌う感覚は変わります。

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2026年6月、沖縄で小禄高校合唱部と共演。
仲間や伴奏が変わると、高音の役割も変わる
2026年のLuckyFesでは、「Cookie Party」や「Hi-Five」をバンドのアレンジで披露しました。
その舞台では、AYANEとTSUZUMIが同時に高音を歌う場面も聴きどころとして取り上げられています。
録音で整えた歌を、別の伴奏や観客のいる空間へ持っていく。
二人の声の強さは、個別の技巧を見せるためだけでなく、グループ全体の盛り上がりを作る力にもなります。
TSUZUMIの歌い方をたどると、地声を残す範囲、おなかの支え、裏声の柔らかさ、言葉を届ける表情がつながって見えてきます。
「Click」では声の選択が山場を作り、「花咲く道」では笑顔を感じさせる表現が感情を伝える。
モアナの歌では、学び直した発声が、人物の迷いや決意を運びます。
力強い高音を持つ人が、その力をどこへ向けるのか。
そこに、TSUZUMIの歌を曲ごとに聴く楽しさがあります。
こうした選択が増えてきた歩みは、TSUZUMI(ME:I)の歌唱変遷でたどれます。

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