清竜人の歌声の変遷|「痛いよ」の先で、声を変えることと残すこと

2025年12月21日、KT Zepp Yokohamaの清竜人25(中央が清竜人) シンガー
2025年12月21日、KT Zepp Yokohamaの清竜人25(中央が清竜人)

清竜人は、どの時期に出会ったかで印象が変わる歌い手です。
「痛いよ」のバラードを思い浮かべる人もいれば、清竜人25の華やかなステージが先に浮かぶ人もいるでしょう。
その歩みを、次々に別人へ変わった歴史として眺めるだけでは、見落とすものがあります。
変えてきた表現と、変えずに生かした声。
その両方をたどると、一見離れた活動がつながってきます。

2009〜2011年、自分へ向けた歌が、聴く人の存在と出会う

2009年にデビューした清竜人は、ライブで歌を口ずさむ観客を見て、作品が届いていることを実感しました。
同年の「ヘルプミーヘルプミーヘルプミー」では、ピアノで作った曲をラフなバンドの音へ置き換えます。
歌詞を書く際にも、それまでかけていたフィルターが外れたと振り返っています。

2010年の『WORLD』でも、自問自答から歌が生まれるという根本は変わっていません。
ただ、聴く人の存在を知ったことで、以前なら照れて言えなかったことも素直に言えるようになった。
本人は、その違いを大きな変化として捉えていました。
「痛いよ」は、歌詞、曲、アレンジがかみ合い、自分の思い描いていたものを具体化できた曲だったのです。

2011年のライブには、その内向きの切実さが表れた場面もあります。
「ぼくが死んでしまっても」から「痛いよ」へ続く一連の歌では、ギターを置き、マイクだけを持って下を向いて歌っていました。
一方、終盤には「がきんちょのうた」など、客席も一緒に歌える曲が並びます。
一人の心へ沈む歌と、人と共有できる明るさは、この時点ですでに同居していました。

デビューした2009年のインタビューに掲載された清竜人
デビューした2009年のインタビューに掲載された清竜人。
画像出典:画像掲載元

2012〜2014年、歌の中へ芝居と他者の声が入ってくる

2012年の『MUSIC』では、声優や女優が参加し、台詞を交えたミュージカルのような世界を作ります。
きっかけとなった「ゾウの恋」は、十代半ばに書いていた曲でした。
突然思いついた方向転換というより、以前からあった表現を作品にできた時期です。
本人が気を配ったのは、台詞だけが曲から飛び出さないこと。
歌と芝居の流れで場面を伝えるようになりました。

翌年の『WORK』は、賑やかな世界を生楽器でも作り込み、音楽家として自立した作品を目指したアルバムです。
このときはメッセージより、メロディを美しく聴かせることを優先して言葉を選んでいました。
本人は、仕事として音楽とよい距離を取り、自然に楽しく作れていたと説明しています。
自問自答の言葉を届ける歌から、言葉も旋律の魅力を引き出すために使う歌へ。
声に託す役割が広がっていました。

2014年には、清竜人25を始動。
男女がともに歌うことを前提に曲を作り、自分もセンターで身体を使って表現する形へ進みます。
『MUSIC』で試した舞台表現を、違う形でも続けたかったという思いがありました。
共演する人たちとの関係そのものが、継続するグループの歌を形作るようになったのです。

ここで見過ごせないのは、本人が2014年の時点で、デビュー以来の声そのものはあまり変わっていないと捉えていたことです。
作品の姿が変わっても、この声で歌うことが聴き手の安心感になるのではないか、と話していました。
楽器を弾きながら歌うより、踊りを含めた大きなパフォーマンスのほうが楽しいとも語っています。
変わったのは、声を置く場所と、身体全体での見せ方でした。

2017年、客席の声まで含めて一つの歌にする

清竜人TOWNでは、観客と演者の境界そのものを動かします。
2017年2月2日の初ライブでは、公募した奏者たちと演奏し、清竜人自身もフロアへ降りて歌いました。
観客がマイクを使う場面もあり、最後の「ほどほどに生きましょう!」では一緒に歌うよう呼びかけています。
一人の歌を静かに受け取る場から、そこにいる人たちの声で成り立つ場へ。
歌い手が客席に対して果たす役割まで変える試みでした。

2018〜2019年、歌謡曲の中へ、今の自分の声を置く

ソロへ戻った2018年には、「平成の男」「目が醒めるまで」を発表します。
昔の歌謡曲のよさに、自分のメロディと歌い方を合わせる方向でした。
「サン・フェルナンドまで連れていって」でも、編曲者・星勝が手がけた歌手の歌い方を模倣せず、今の自分の声を置いています。

過去の曲にも変化が現れます。
2018年11月17日のバンド編成のライブでは、「あくま」に原曲とは異なる歌謡曲的な歌い回しが加わりました。
「痛いよ」ではマイクを両手で包み、感情を込めて歌う姿も見せています。
昔の曲にも、その時点の歌い手として向き合っていました。

2019年の『REIWA』でも、歌は飾りすぎず、自分のままで歌う姿勢が続きます。
ベテランの編曲家たちとの制作は、ボーカルを引き立てる音の組み方を学ぶ機会にもなりました。
声を変える以外に、周囲の音によって歌の魅力を生かす方法を学んだ時期です。

演奏との関係も柔軟になりました。
デビュー当初は、歌い手も楽器を弾くべきだという意識があった清竜人。
そこから、作品がよくなるなら演奏を任せてもよいという判断へ移っています。
歌だけに集中する姿も、彼にとっては表現を選んだ結果です。

2022年、「痛いよ」を避けずに、バラードへ向き直る

次のソロ作品へ向かうきっかけは、2019年の音楽劇『今、出来る、精一杯。』にありました。
そこで歌った「いない」を、デビューのきっかけを作ったディレクターが気に入り、再び一緒に制作する話が生まれます。
さまざまな企画を経験した後、シンガーソングライターとしての歌を改めて出したいという時期に重なったのです。

2022年の「離れられない」では、「痛いよ」以後、同種のバラードを避けてきた姿勢を見直します。
代表曲を繰り返すことへの抵抗が、十二年の経験を経て薄れていた。
過去の得意な表現を、今の自分で選び直す転機でした。

アルバム『FEMALE』では、一つの設定へ全曲を当てはめるより、よい曲を積み重ねる作り方を取りました。
多くの表現を経験したからこそ、余計なことを考えず、歌詞とメロディに向き合えたと説明しています。

2024年以降、同じ企画にも違う声の届け方を探す

2024年に再び始まった清竜人25でも、以前と同じものを再現することは目標ではありませんでした。
「青春しちゃっていいじゃん」はTENDRE、「Will you marry me ?」の再録はDinoJr.と組み、制作陣も見直しています。
かつてのアイドルシーンとの関係を大切にしながら、より広いJ-POPの聴き手へ届ける。
本人は、その時代に発表する意味を考えていました。

「KARESHIいるんだって」の時期には、一曲を通して物語を見せる従来の方法に加え、短い部分でも楽しめる言葉や音楽性を意識しています。
物語を全部受け取ってもらう歌と、短い時間で人を引き込む歌。
同じ清竜人25でも、聴き手との出会い方に合わせて、声が働く時間の長さを考え直していました。

2025年12月21日、第二期の最後のライブで歌った「GOOD BYE!愛してるよ!」は、その集団の物語を閉じる歌になりました。
メンバーが順に声を重ね、サビでは五人が合流する。
やがて他のメンバーが去り、最後のサビは清竜人一人が残って歌いました。
同じ曲の中でも、誰と歌い、最後に誰の声が残るかによって、舞台の意味を変えていたのです。

2025年12月21日、最後に一人でステージに残って歌う清竜人
2025年12月21日、最後に一人でステージに残って歌う清竜人。
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2026年には清竜人FRIENDSを始動し、七月に「イッツ・マイ・ダンス!」を発表しています。
一つの企画を終えても、声を届ける新しい形を探す歩みは続いています。

清竜人の変遷は、弱い声が強い声になるような一本道ではありません。
一人で歌う、相手と歌う、客席へ渡す、舞台の人物として歌う。
その選択を重ねながら、自分の声のよさへ何度も立ち返ってきました。
「痛いよ」と、その後の華やかな活動は、切り離された別の顔ではなく、同じ声の可能性を違う場所で試した歩みとして捉えられます。

裏声や抑揚、伴奏との関係を曲ごとに掘り下げた清竜人(ソロ/清竜人25)の歌い方もあわせてどうぞ。

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