JAY'EDの歌には、相手の声を包み込みながら、自分の存在も残す柔らかさがあります。
JUJUとの「明日がくるなら」で広く知られたその声は、共演を重ねるだけでなく、一度歌った曲へ戻ることで表情を変えてきました。
2017年には代表曲を歌い直し、ピアノだけの伴奏にも、ラップへ近づく歌にも挑んでいます。
誰と、どんな言葉を、どの音の中で歌うか。
その選び方をたどると、再出発の意味が具体的に見えてきます。
歌を録って確かめるところから始まった
高校時代に観たK-CI & JOJOのライブが、歌を始めるきっかけでした。
すぐ人前へ出たわけではなく、最初は周囲に話さず、一年ほど練習していたといいます。
短く歌って録音し、自分で確かめることを繰り返した。
憧れの音楽へ近づくために、自分の声をいったん外から受け取る時間があったのです。
ニュージーランドで育ち、十歳で日本へ来たJAY'EDは、言葉の選び方も変えていきました。
初めは英語で書き、その後に日本語を増やしていたのが、2009年には日本語を先に考えるようになっています。
リズムに合う箇所は英語へ置き換える。
二つの言語は経歴を示す飾りではなく、言葉を伝えることと、曲の流れを作ることの両方に関わっていました。
2009〜2014年、相手が変わると声の役割も広がる
2008年にメジャーデビューし、翌年にはJUJU with JAY'EDの「明日がくるなら」が多くの人へ届きます。
自分の曲を歌うだけでなく、別のシンガーと一曲を分け合う声が、彼を知る入口になりました。
本人も、この曲を長く歌い続けたこと、JUJUの仕事への姿勢を近くで見たことを大きな経験として振り返っています。
さらにレゲエの共演曲「伝えたい事がこんなあるのに」を機に、違うジャンルへ入って自分の可能性を試したい気持ちが強まりました。
柔らかな声を同じ場所で磨くだけでなく、異なる音楽の中へ持っていく時期だったのです。
2011年にJUJUと再び組んだ「永遠はただの一秒から」では、男女がすれ違いながら向き合う姿を描きました。
女性の声が必要だと考えたうえで、曲の質感に合う相手としてJUJUを選んでいます。
以前の成功をもう一度、というだけでなく、今回の二人はどんな関係を歌うのかが先にある。
共演の経験は、声を重ねる理由を具体的にすることにもつながっていました。
2013年4月のビルボードライブ大阪では、「Human Nature」から槇原敬之の「僕が一番欲しかったもの」までを歌い、ゴスペルクワイアとも共演しました。
Ms.OOJAとの「Be…」では、彼女の力強さとJAY'EDの甘く切ない声が並びます。
洋楽のカバー、日本語の歌、複数の声。
同じライブの中で、それぞれに合う居場所を作っていました。

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同年のカバーアルバム『JAY'EDISCO』は、こうしたライブ企画から生まれています。
「September」はロサンゼルスで録音し、ラリー・ダン、アル・マッケイ、ヴァーダイン・ホワイトらと共演。
憧れの音楽を選曲するところから、その音楽を作ってきた人たちの演奏に自分の声を重ねるところへ、経験が広がりました。
2016〜2017年、歌い続けるために曲の作り方を変える
一方で、ライブが続いていることと、新しい作品を作れることは同じではありませんでした。
2017年の再出発を前に、本人は過去の曲で生活できても、新曲へ向かう力を失っていた時期を語っています。
周囲には平気だと見せながら、自分の中では行き詰まっていた。
EXILE ATSUSHIからの誘いは、その状態を変えるきっかけになりました。
2016年にLDHへ所属し、翌年の『Here I Stand』はATSUSHIと共同制作します。
表題曲の作曲をさかいゆうへ頼んだのは、これまでと違うバラードを歌いたかったからでした。
「Here I Stand」はピアノだけを伴奏にした曲です。
本人にとっても、久しぶりにその少ない音で歌う挑戦でした。
歌い続ける覚悟を伝えるために、音を足して安心するより、声と言葉が前に出る形を選ぶ。
再出発は肩書きの変更だけでなく、歌を置く環境の選択にも表れています。
この時期の作品では、以前のヒット曲と新曲が同じアルバムに収められています。
過去を切り離して別人になるのではなく、代表曲も引き受けたうえで、新しい歌へ進む構成です。
最後に表題曲を置くことで、それまでの共演や再録も、一人の歌い手の決意へつながっていきます。
代表曲を、当時の自分のままには歌わない
過去の曲を歌うことには、本人の中で葛藤もありました。
それでもATSUSHIから、今の自分を示すために歌い直してはどうかと提案されます。
「ずっと一緒」は長くライブで歌ってきた曲だからこそ、現在の声でどう表現できるかを確かめたい作品になりました。
同じ曲へ戻ることが、足を止めることとは違う意味を持ち始めたのです。
2017年版の「ずっと一緒」は、Duranを迎えたバンドの音で組み直されています。
「明日がくるなら」は、JUJUとの二人の歌から、キーも変えたソロ版へ。
違う空気を持つ曲になったといいます。
伴奏、調、歌う人数を変えることが、同じ旋律を担う自分の役割も変えています。
本人も再録では、当時から声が変わったことを実感しています。
若い頃の感覚を再現するより、今ならどう作るかを優先した。
年月を重ねた声を、現在の作品に生かす選択でした。
再録を聴き比べるなら、声色だけでなく、相手が歌っていたところを一人でどう引き受けるかにも注目したくなります。
以前の録音には二人の出会いがあり、ソロ版には、その曲を歌い続けてきた一人の時間がある。
代表曲があるから変われないのではなく、代表曲に戻れるからこそ、現在の立ち位置を確かめられるのです。
2017年、歌とラップの境目を近づける
同じアルバムでは、DOBERMAN INFINITYとの「Takers」でラップへ近づく歌い方も試しています。
言葉になる前の音をビートに乗せ、サビやヴァースを作りました。
「P.B.E」では今市隆二と本格的な男性デュエットに挑戦。
女性との共演やラッパーとの分担とは違う、二人の声の置き方を考える経験になっています。
その年のAKLOとのEP『Sorry… come back later』では、二人で物語の人物を演じる面白さが加わります。
「Pick Up The Phone」は、JAY'EDの恋愛の訴えに、AKLO側の事情が重なる曲。
「Break It」ではロック寄りの伴奏から、新しい歌のイメージも引き出されました。
同じ組み合わせでも、ラップの隣でサビを歌うだけに役割を固定していません。
2020年以降、誰かと作ることで歌い直せるもの
2020年のLeolaとの「ふたり」では、しばらく書きづらくなっていたラブソングに、もう一度向き合っています。
プロポーズを題材に話し合い、サビも二人で納得するまで作り直した曲です。
かつては想像で描いた結婚を、自分に家族ができた後で考える。
共演は声の組み合わせだけでなく、歌う言葉へ戻るきっかけにもなりました。

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2025年の「Blue Sky」は、バハマ滞在中にNAO the LAIZAと書いた、全編英語の曲です。
日本語で伝える作品を重ねた後も、その場所で感じた空気に合わせて言語を選び直している。
初期の英語から日本語への移行を、一方通行の成長として見る必要はありません。
JAY'EDの変遷を支えているのは、柔らかな声の個性を持ちながら、歌う状況を変え続ける姿勢です。
二人の歌を一人で歌い、音の多い場所からピアノだけの場所へ移り、共演者の発想で新しい言葉に出会う。
同じ声で何ができるかを問い直すたびに、以前の曲まで違う意味を帯びてくる。
その歩みが、甘さだけでは語りきれない歌の深さになっています。
柔らかな高音や、曲ごとの声の置き方は、JAY'EDの歌い方で掘り下げています。

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