中村一義の歌には、柔らかな声なのに言葉が強く残る面白さがあります。
高い音を出すことに加え、言葉をリズムへ押し込んだり、一つの声を重ねたり、仲間の声に主旋律を任せたりする。
その選択によって、同じ歌手の声が、親密な呼びかけにも、大勢で歌う曲の中心にもなります。
声の質感と言葉の扱いを、曲ごとに見ていきましょう。
高い声を、ずっと強く張っているわけではない
中村の歌では、裏声を交えた高い声が特徴として挙げられます。
2002年の高松公演でも、「ジュビリー」「セブンスター」などを歌う姿とともに、ファルセットを多く使う歌唱が記録されています。
ファルセットは裏声のことです。
ただし、曲中の高い音すべてを、同じ出し方だと決めることはできません。
『海賊盤』の歌声には、柔らかさのなかに鋭い部分があるという特徴があります。
音が上がっていく旋律でも、声をただ太くして押し切る印象とは違う。
この柔らかさがあるから、強い内容の言葉も、怒鳴り声だけの表現にならずに届きます。
一方、2009年の野外フェスでは、大きく体を動かしながら声を張る姿も見られました。
「犬と猫」から「ジュビリー」、終盤の「キャノンボール」へと続く場面です。
柔らかな声の持ち主という説明だけでは、この人前での勢いは捉えきれません。
どの曲を、どの場で歌うかによって、声の強さを受け取る印象も変わります。
三井律郎と二人で行った2020年の配信ライブでは、アコースティックギターと伸びやかな歌を組み合わせています。
「セブンスター」の澄んだ雰囲気から、「キャノンボール」の呼びかけへ移る流れです。
編成を小さくしても、すべてを静かに歌うわけではなく、曲の展開に応じて熱を高めていきます。
声の厚みには、歌い方と録音の両方が関わっている
初期の録音では、同じ歌を重ねるダブルを多く使っていました。
中村にとっては、後期ビートルズの録音を通じて親しんだ方法です。
歌声そのものの細さと、重ねて作った響きは、分けて考える必要があります。
一人が同じ旋律を二度歌って重ねても、発音や音の始まりは完全には一致しません。
そのわずかな違いを含めて、一つの歌の響きになります。
和音になるよう別の旋律を歌うハーモニーとは、役割が異なります。
録音で聞こえる声の広がりを、喉だけで作った厚みと考えないことが、中村の声を捉える手がかりです。
その違いを確かめやすいのが、原曲を録り直した2017年の『最高築』です。
「犬と猫」「永遠なるもの」など、初期から歌ってきた曲を、ライブで育った演奏に置き直しています。
同じ曲名でも、最初の録音と再録では、声を支える楽器や作品としての狙いが違います。
「運命」では言葉を畳みかけ、「ウソを暴け!」では穏やかに歌う
声の柔らかさと、言葉の強さの関係が分かりやすいのは、「運命/ウソを暴け!」の二曲です。
「ウソを暴け!」は、温かな伴奏に寄り添う穏やかな歌と、厳しい言葉が組み合わされています。
強いことを言うために、声まで一様に強める必要はありません。
「運命」では、打ち込みの細かいリズムに言葉を次々と乗せます。
自由な文章に近いAメロから、サビでは短い呼びかけを繰り返す形へ移る。
情報の多い言葉を追わせた後に、同じ言葉を畳みかけることで、歌の伝わり方が変わるのです。
これは単に早口かどうかではなく、言葉の量と反復の使い分けです。
中村自身も、文字として読んだときの意味と、旋律に乗ったときの響きが違って感じられるよう、意識していると話しています。
『十』の「神▱YOU」などにもつながる考え方です。
一語ずつ文章として理解する前に、声になった言葉の連なりが届く。
その響きも含めて歌を作っています。
この感覚の背景には、本人が親しんできたテクノとバンド音楽の両方があります。
細かく組み立てたビートにも、人が演奏するリズムにも、感情は宿ると考えているのです。
声や思いを誰かへ届けるには、旋律と言葉が必要になる。
その考えを持つ人だからこそ、言葉の意味だけでなく、声がリズムに乗ったときの面白さも手放しません。

画像出典:画像掲載元
他の声を加えると、自分の歌の役割も変わる
『海賊盤』の「あれやこれや」では、あずままどかが主旋律を担当しています。
さらに「アドワン」にはウルフの声が入り、「MAD/MUD」では平床政治が語りを聴かせます。
中村名義の作品でも、聞こえる歌声をすべて本人の声色の変化と受け取ると、曲の作りを取り違えます。
あずまは、以前から中村の仮歌も担当していた歌手です。
誰に旋律を任せ、誰が周囲で歌うか。
曲の中で、それぞれの声の役割を選んでいます。
また、観客の声を録音するときには、その場でフレーズを練習する過程もありました。
偶然録れた歓声だけを足したわけではないのです。
歌う側と聴く側が同じフレーズを共有し、その声が作品に入る。
中村の歌の広がりには、こうして自分以外の人が歌える場所を作る工夫もあります。
声に残る感情を、きれいさだけで整えない
『十』の「すべてのバカき野郎ども」について、中村は自分の歌に泣き声が交じっていると話しています。
亡くなったヨースケ@HOMEへの思いを、歌詞にするまでにも時間がかかりました。
完成した歌を、明るい声か暗い声かの二択に分けられない理由がここにあります。
この曲は、いなくなった仲間へ送る手紙のような位置にあります。
悲しさを説明するだけでなく、相手へ話しかける形で歌う。
感情の背景を知ると、滑らかに整った声だけを求めていたのではないことが分かります。
歌い手が何を思いながら声を残したかも、歌唱の一部です。
舞台では、声だけで曲を始め、客席へ歌を渡す
2017年の「エドガワQ」では、「犬と猫」を、楽器で音程を確かめる動作を挟まず、声から歌い始めています。
一方の「ショートホープ」では、ギターと本人の歌で始まり、サビで客席の大きな合唱へ広がりました。
一人で歌い始める場面と、大勢が歌う場面とで、声の受け渡し方が違います。
同じ公演の「ワンリルキス」では、あずまを前へ呼び、二人で歌いました。
コーラスの人が後ろにいる形から、二人の歌手が並ぶ形へ変える。
本人の声量を上げる以外にも、歌を前へ出す方法があることを示す場面です。

画像出典:画像掲載元
こうした客席とのやりとりは、100sと回った2002年のツアーにもあります。
高松公演で風邪をひいた中村が一緒に歌ってほしいと呼びかけると、二曲目の「1,2,3」で大きな合唱が起きました。
本人がいつも同じ調子で歌えるわけではない。
その日の声を、バンドと客席が支えることも、ライブの歌を形にしてきたのです。
柔らかい声を、何のために使うのか
中村一義の歌を特徴づけるのは、高さや細さだけではありません。
「ウソを暴け!」では穏やかな声で鋭い言葉を届け、「運命」では言葉の密度と反復で聴き手を引きつける。
さらに、自分の声を重ねる方法も、他の人へ歌を渡す方法も持っています。
どこを強く歌ったかに加えて、どの言葉を残し、誰と歌ったかへ目を向けると、その柔らかな声が持つ強さが見えてきます。
時期ごとの選択と歩みは、中村一義の歌唱変遷でもたどっています。







コメント