中村一義の歌声の変遷|一人で重ねた声と、仲間と歌う声の間で

自宅スタジオの中村一義。2016年の取材掲載写真。撮影:豊島望 シンガー
自宅スタジオの中村一義。2016年の取材掲載写真。撮影:豊島望

中村一義の歌声の変化は、昔の曲を歌い直した『最高築』に、はっきりした形で残っています。
初期には何度も重ねていた歌を、この作品では一回の歌唱で聴かせる。
変わったのは声の印象だけでなく、録音で何を残すかという考え方でした。
自室で音楽を作っていた青年が、仲間や観客の声と出会い、再び一人での制作へ戻る。
その往復から歌の歩みをたどります。

『金字塔』の声は、自室で作った音楽から生まれた

1997年のデビュー作「犬と猫/ここにいる」とアルバム『金字塔』は、中村が自分で制作を指揮し、楽器の大部分も演奏して完成させた作品です。
曲を作る人、伴奏する人、歌う人を、一人で引き受けるところから出発しました。

その前には、友人とテクノを作っていた時期があります。
自分らしい曲を模索するなかでビートルズと向き合い直し、自室に楽器を集め、生の演奏を録音する方向へ進みました。
「犬と猫」は、作曲を始めてすぐに生まれた代表曲ではありません。
試行錯誤を続けた先で、冒頭の短い呼びかけが見つかり、曲が一気に形になったと振り返っています。

中村は、自分で録ったドラムに愛着があっても、ライブでは一人ですべての演奏を引き受けられない、と悩んでいました。
自分の音楽を一緒に演奏できる仲間が必要だったのです。

100sで、歌うことを仲間に支えられるようになった

2001年の野外フェスティバルに向けて集まった六人は、2002年の中村一義名義のアルバム『100s』を経て、2004年からバンド100sとして活動します。
アルバムの名前とバンドの名前は同じですが、名義を変えるまでには時間がありました。

2005年の『OZ』では、録音に入る前の話し合いにも長い時間を使っています。
中村が示す作品の構想を、各メンバーが共有し、それぞれの演奏へ変えていく。
自分の頭にある音を一人で録る段階から、他の人の解釈を含んだ音楽へ進んだのです。

同年のツアーでは、二人のギタリストが話や動きで客席を盛り上げ、中村が歌に集中する姿が記録されています。
本人が何から何まで担わなくても、曲の勢いが前へ進む。
演奏の中心に歌を置けるようになったことは、バンドで得た大きな変化でした。

2009年の野外フェスでは、「犬と猫」や「ジュビリー」などの旧曲と、『世界のフラワーロード』の新曲が同じステージに並びました。
大きな動きとともに高い声を張る中村の姿は、宅録の作者という初期のイメージからずいぶん広がっています。
昔の曲を捨てて新しい歌手になったのではなく、その曲を大勢の前で歌える場所が育っていました。

『対音楽』の後、客席とのやりとりが曲作りへ戻ってくる

2012年にはソロ名義の『対音楽』を発表します。
幼い頃から身近にあったベートーヴェンの音楽に向き合うこの作品を作り終え、中村には、音楽活動を終えてもよいと思うほどの区切りの感覚がありました。
そこから先を変えたのが、町田昌弘とのアコースティックライブです。

2013年に始めた「まちなかオンリー!」では、歌うだけでなく、話をしながら客席と一緒に場を作るようになります。
100sでは仲間の個性を見せるために一歩引いていた自分が、二人のステージでは話の中心にもなる。
この変化を、中村自身がライブでの大きな転機に挙げています。

やがて会場では、観客とフレーズを練習し、その歌声を録音することも行われました。
完成した音源をライブで披露するだけでなく、ライブで生まれた声を次の作品へ持ち帰る。
歌を届ける相手が、実際に録音へ参加する相手にもなったわけです。

2016年の『海賊盤』には、その観客の合唱や掛け声が取り込まれています。
「スカイライン」の広がりを作る声も、この流れのなかにあります。
中村は、一人で作品の考え方を固め切る方法から、周囲と共有できるアルバムを作りたいという方向へ動いていました。

自宅スタジオで制作する中村一義。2016年の取材掲載写真。撮影:豊島望
自宅スタジオで制作する中村一義。2016年の取材掲載写真。撮影:豊島望。
画像出典:画像掲載元

2017年の『最高築』では、歌を重ねずに残した

デビュー20周年の『最高築』は、昔の音源を集め直したベスト盤ではありません。
町田を共同サウンドプロデューサーに迎え、ライブで育ったアレンジによって代表曲を録り直した作品です。

初期には何度も録り直した曲が、今は一回で歌えることもある。
中村は、この変化を二十年間の成果として語っています。
『最高築』では歌の重ね録りを使わず、ハーモニーもごく少なくしました。
ライブのように、一度の演奏と歌で曲を進める録音を選んだのです。

長くライブを続けると、同じ曲でもテンポや中心になる楽器が変わっていきます。
中村は、ピアノが中心だったものがギター中心になることも例に挙げています。
そうした演奏者全員の工夫を新しい録音に残すことが、今回の歌い直しにつながりました。

つまり、声だけを取り出して若い頃と比べると、変化の一部を見落とします。
伴奏の組み方も、声の重ね方も異なる二つの録音です。
『金字塔』の「犬と猫」と『最高築』の同曲は、年齢の違いに加えて、歌を完成させる方法の違いが表れた組み合わせなのです。

声が出ない時期を経て、『十』で再び自分の歌を録る

順調にライブを重ねた後、声の不調という大きな問題が起こります。
中村は2020年の取材で、口腔内カンジダを患い、声が出にくくなった時期を明かしています。
歌い続けられるのかという不安のなか、次が十枚目のアルバムになると気づき、生命力を感じられる作品を残したいと考えました。

そうして作ったのが『十』です。
打ち込みで組み立てを確かめてから、自分の演奏へ置き換え、声も録音できる程度まで戻ってから歌を入れました。
一人で作る方法は初期と共通していても、今回は、自分に何ができるかを確かめ直す制作でもありました。

『十』の「それでいいのだ!」は、以前からあった曲を、この時期に完成させたものです。
「犬と猫」への応答という意味を持たせながら、長く聴いてきた人へ届けました。
新しく録音することは、昔の自分をそのまま再現することではありません。
同じ相手と時を重ねた今だから言えることを、昔の曲とのつながりのなかで歌っています。

アルバムには、迷いを肯定する歌も、失った相手を思う歌も、厳しく問いかける歌もあります。
終盤の「愛にしたわ。」まで、明るさだけにまとめない構成です。
声の不調を経験した事実だけで作品を説明するより、そこからどのような感情を歌に残したかを見るほうが、この再出発の中身に近づけます。

さらに2020年7月には、自宅スタジオから三井律郎とのアコースティックライブを配信しました。
『十』の曲と旧曲を歌い、画面の向こうへ再会を呼びかける公演です。
かつて録音のために使っていた場所が、その場で歌う姿を人へ届ける場所にもなる。
一人で作ることと人前で歌うことの間に、配信という新しい接点が生まれました。

2020年7月25日の配信ライブ。右が中村一義、左が三井律郎
2020年7月25日の配信ライブ。右が中村一義、左が三井律郎。
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「春になれば」と一座へ――一人の制作とバンドの歌を行き来する

2024年の「春になれば」は、構想から制作に約一年半をかけた曲です。
自分で録音を進めながら、ギターは高野寛に依頼しました。
離れた場所でデータをやりとりする二人が、初期の「永遠なるもの」を作った頃を思い出していたという話もあります。
昔の制作仲間との関係が、新しい曲へつながっています。

同じ年には新バンド、一座が動き出します。
海賊の活動が事実上止まり、三井律郎とのアコースティックライブを続けるなかで、再びバンドで演奏したいという思いが膨らみました。
新しい編成では鍵盤奏者を置かず、必要な鍵盤の音は録音素材を同期させています。
何でも以前と同じ人数で再現するのではなく、その場で演奏する部分を選び直したのです。

中村が大事にしているのは、自分の音楽を、生きた演奏として人前へ届けることです。
その喜びは100sの頃から変わっていないと話しています。
自分だけで作れるから、他の人がいらなくなるわけではない。
細かく組み立てた曲を、仲間ともう一度歌うことに意味があるのです。

変わったのは、歌声のそばにいる人たちだった

『金字塔』の宅録、100sでのライブ、観客の合唱、『最高築』の一回の歌唱、そして『十』での録音への復帰。
中村一義は、そのときに必要な歌の残し方を選んできました。
「犬と猫」の二つの録音を比べた後に「春になれば」へ進むと、一人で声を作り込むことと、誰かと歌うことが、対立せず続いてきた歩みをたどれます。

声の使い方と曲ごとの工夫は、中村一義の歌い方で詳しく扱っています。

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