城南海の歌声の変遷|シマ唄の誇りと、飾らない自分の声に出会うまで

2026年、『ウタアシビ』について語った取材の城南海(撮影:Keisuke Tanigawa) シンガー
2026年、『ウタアシビ』について語った取材の城南海(撮影:Keisuke Tanigawa)

城南海の歌の歩みには、奄美のシマ唄を届けたいという思いが通っています。
けれど、そのために選んできた声は一つではありません。
シマ唄とポップスの間で歌い方を探したデビュー期。
曲の世界を伝える語り部としての歌。
そして、自分自身の小さな声にも価値を見いだすようになった近年。
こぶしを増やすか減らすかだけでは捉えられない、歌う時の立ち位置の変化があります。

2009年――シマ唄とポップスの距離を縮めた「アイツムギ」

学生時代の城南海が中心に学んでいたのは、クラシックのピアノでした。
シマ唄を本格的に歌うようになったのは、奄美を離れてからです。
兄や音源から学び、鹿児島で人々が集まって歌う場にも加わりました。
旋律だけでなく、その歌が生まれた背景や言葉の意味を知ることも、歌の勉強だったのです。
しかし、シマ唄が歌えても、ポップスを同じように歌えるわけではありませんでした。
初めは別々のものとして考え、ポップスでは声の出し方に戸惑ったといいます。
レッスンと録音で両者の接点を探すうちに形になったのが、「アイツムギ」でした。

2009年のデビュー曲となったこの作品は、後のシマ唄とポップスを行き来する活動の出発点です。

最初から完成した歌唱法を持って東京へ来た、と考えると、この過程は見えなくなります。
故郷で育まれた感覚と、これから人へ届けるポップスを、自分の声の中でつないでいく。
その試行が、初期の歌の土台にありました。

2011〜2014年――自分の色を残しながら、曲の語り部になる

2011年の「兆し」では、作詞した一青窈の仮歌に立ち会っています。
歌う表情から曲の気持ちを受け取る一方、その歌を聴き込みすぎないようにもしました。
受け継ぎたいのはニュアンスであり、録音にはグインと呼ばれるこぶしなど、自分の色も残したかったからです。

2013年の「チョネジア」には、さらに包み込むような歌への関心が表れます。
城南海は、古謝美佐子と歌った時の安心感や、その存在への憧れを語っています。
「童神」を歌う時にも、その温かさを表したい。
初期から大切にしていたシマ唄の心が、別の歌い手と過ごす時間を通じて、母性を感じさせる表現へ広がっていました。

2014年、『綾蝶〜アヤハブラ〜』の取材に掲載された城南海
2014年、『綾蝶〜アヤハブラ〜』の取材に掲載された城南海。
画像出典:画像掲載元

2014年の『綾蝶〜アヤハブラ〜』に収めた「ヒカリあれ」では、囁くように語る歌を目指しました。
また当時は、自分の中にある苦しさも音楽で表してよいと考えるようになり、「Silence」にそうしたものが出ていると話しています。
誰かに書いてもらった歌を伝えることと、自分の内側を声にすることは、すでに重なり始めていました。

この頃にも柔らかな歌の選択があったことは、後の変化を考えるうえで大切です。
近年になって突然、小さい声を使えるようになったのではありません。
以前からあった表現を、自分の歌の中心へどう置くかが、やがて変わっていきます。

2014年以降――カバーで問われた、正確さと自分らしさ

「THE カラオケ★バトル」への出演も、大きな転機でした。
城南海は、採点される歌に取り組む中で、正確に歌うことと、自分らしさを出すことの両方を考えたと振り返っています。
一曲を繰り返し練習する経験は、カバーとの向き合い方を深めました。
知っている曲を歌うだけでなく、どこまで原曲に応え、どこに自分を置くかを問われる機会になったのです。

番組では初の10冠を達成。
その後も舞台や大河ドラマの音楽などへ活動を広げています。

2019年――大きな世界から、身近な言葉へ

デビュー10周年の2019年に発表した『one』では、曲の題材と歌の表情が変わります。
ジャズやロックの要素を取り入れ、自然や平和といった大きなテーマだけでなく、身近で現実味のある言葉を歌いました。
城南海自身も、30歳を前にした自分が歌える内容として捉えています。
その曲の世界に合わせると、持ち味のグインも自然に控えめになったといいます。
特徴を目立たせることより、今の自分が歌う言葉との釣り合いを選ぶようになった作品でした。

故郷を大切にする気持ちが薄れたわけではありません。
ルーツを示す声と、日々を生きる一人の人の声を、同じ歌手が持てるようになっていく。
『one』の変化は、次の「産声」を考えるための前提にもなります。

2020〜2021年――「産声」が変えた、歌う時の距離感

2020年には映画『ムーラン』の日本版主題歌「リフレクション」を担当。
同年に配信された「産声」は、森山直太朗が作詞・作曲を手掛け、翌年のアルバム『Reflections』にも収められました。

「産声」の録音前、森山直太朗から伝えられたのは、ごく身近な人へ届く鼻歌のような距離感でした。
舞台に立つ歌手として声を整える感覚をいったん離れ、部屋で自然にこぼれる声を思い描く。
城南海は、強く張ったりこぶしを入れたりする、それまでの歌の常識を外して録音に臨みました。
上手に歌うために積み重ねてきたものを、必要な時にはほどいてよい。
そんな新しい選択を与えてくれた曲だったのです。

「産声」はアルバムのほかの曲より先に録音され、その時に得た感覚が、続く歌にも影響したと本人は話しています。

ここで変わったのは、音量だけではありません。
大勢へ歌を届けようとする時の自分と、親しい誰かのそばで歌う自分。
後者の声も作品の真ん中に置いてよいと分かったことで、歌の基準が広がったと捉えられます。

2023〜2024年――『爛漫』で、自分の内側を歌う

2024年の『爛漫』では、その感覚を引き継いでいます。
それまで外へ向けて届けてきたメッセージから、自分の内側に向き合う作品へ。
城南海は、曲の語り部であるだけでなく、自分自身として歌う必要を感じたと説明しています。
そのため、グインを前面に押し出さず、声そのものの響きへ意識を向けました。
先に発表した「柔らかな檻」では歌を形にするまでに試行があり、制作チームと方向を合わせながらアルバムへ進んでいます。

自身で作詞・作曲した「陽だまりのワルツ」では、普段の話し言葉を使うことにも挑みました。
日常の小さな幸せを、自分の目線で歌う。
この曲ができたことは、今後の曲作りへの自信にもつながったといいます。
自然な声を選ぶ変化が、何を歌詞にするかという創作の部分にも及んでいます。

2024〜2026年――自然な声のまま、共演とシマ唄へ

2024年2月には、ドラマーのユセフ・デイズらと富士山を望む場所で共演しました。
翌年公開された「Amami」の土台は、奄美の「豊年節」です。
さらに2025年のGlastonburyでは、相手の音に応じながら歌う舞台へ。
共演者からは、自分たちが合わせるからそのままでよい、と背中を押されました。
新しい音楽に入るために別の歌手になるのではなく、自分の歌を持って相手と出会う経験です。

2024年、富士山を背景にユセフ・デイズらと共演する城南海(写真:SUZU〈fresco〉)
2024年、富士山を背景にユセフ・デイズらと共演する城南海(写真:SUZU〈fresco〉)。
画像出典:画像掲載元

2026年1月の『ウタアシビ』では、自身が全体をプロデュース。
奄美での録音や海外の歌手との共演を取り入れ、歌い合う楽しさを作品にしています。
「豊年節」に加え、宮沢和史が作詞・作曲した「きょら島 〜うつくしい島〜」も収録。
受け継がれた歌と新しい歌を、一つのアルバムに並べました。

「ヨイスラ」は、幼い頃に遊んだ奄美の森でのアカペラ録音です。
本人は、その場所で飾らない自分として歌えたと振り返っています。
原点へ戻ることは、デビュー前の歌い方へ時間を巻き戻すことではありません。
さまざまな曲や人と出会った今の声で、故郷の音の中へ入っていくことでもあるのです。

城南海の変遷には、シマ唄を広める声と、自分自身を表す声が、ともに育つ過程があります。
こぶしを加えて自分の色を出す時もあれば、抑えることで言葉が身近になる時もある。
そして歌い合う場では、その声が人と人をつなぐ。
変わらず持ち続ける故郷への思いが、異なる歌い方を選ぶ力になっています。

グインの扱いや、低音、母音、伴奏との呼吸については、城南海の歌い方で掘り下げています。

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