森恵の歌声の変遷|路上で届けた声が、歌うたびに違う表情を持つまで

2018年、『1985』の取材に掲載された森恵のプロフィール写真 シンガー
2018年、『1985』の取材に掲載された森恵のプロフィール写真

森恵の歌を、アコースティックギターと力強い声で覚えている人は多いでしょう。
その歩みをたどると、力強さを磨くだけでなく、声を置く場所や、歌う自分の見せ方を変えてきたことが分かります。
一人で届ける歌から、仲間と作る歌へ。
そして、自分の古い録音を聴き直すところにも、変化を確かめる手がかりがあります。

路上で始まった、目の前の人に届く歌

森恵は広島県福山市で育ち、15歳からギターの弾き語りを始めました。
2005年には地元で初めてのワンマンコンサートを開き、2007年には訪れたハワイでも路上に立っています。
2010年7月、「キミ」でメジャーデビューしました。

最初から堂々と歌えていたわけではありません。
本人は、路上で歌い始めた頃、友人に見られることさえ気になり、地下道の隅でひっそりと準備していたと振り返っています。
音楽室にあったギターを手にした少女が、人前で自分の声を聴いてもらう楽しさを知っていったのです。

デビュー後にも、慣れない仕事への戸惑いはありました。
そこで支えてくれた人たちにも悩みがあるはずだと考え、2011年の「笑顔でいられるように」へ思いを込めます。
元気な自分を見せるだけでなく、聴く人が笑顔になるまでの時間に寄り添う。
早い時期から、歌の向こうにいる人を意識していました。

2014年――一つの集大成から、知らなかった自分へ

2014年の『10年後この木の下で』は、歌とギターを生かした、シンプルな音作りを目指した作品です。
表題曲は東北を応援する企画から生まれ、花が咲く風景に人々の笑顔を重ねました。
インディーズ時代の「愛せない人」も収め、長く歌ってきた自分と、その時点で伝えたい気持ちを一つの作品へまとめています。

ところが本人には、これで一区切りついてしまったような感覚もありました。
同年の『オーバールック』では、ASA-CHANGと組み、新しい表現を探します。
「僕が愛した時間」で出会った電子音は、もともと苦手だった種類の音でしたが、実際の仕上がりには喜びを感じました。
先入観で遠ざけていた音の中にも、自分の歌を生かす場所があると知ったのです。

『オーバールック』では、曲ごとに異なる音の背景が用意されました。
ギターポップだけでなく、電子音を取り入れた曲まで、歌とギターを中心に置いたまま周囲の景色を変えています。
弾き語りをやめて別の歌手になるのではなく、同じ歌い手が違う音と出会う作品でした。

2014年、『オーバールック』の取材で話す森恵(撮影:福岡諒祠)
2014年、『オーバールック』の取材で話す森恵(撮影:福岡諒祠)。
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2015〜2016年――声を加工しても、自分の歌は残る

次の『small world』では、「闘いの時」で歌声に大胆な電子加工を施しました。
本人が受け入れられたのは、声の質感が変わっても、歌い方による表現は残ると考えたからです。
弾き語りを大事にしながら、そこだけにとどまりたくない。
自分が歌えば自分の音楽になるという実感が、挑戦を支えました。
「Hello Smile!」では、主旋律を短い英語で歌うことにも初めて取り組みました。
前作の英語のコーラスが、その楽しさを知るきっかけでした。

カバー作品も、弾き語りから編成を広げています。
2013年の『Grace of the Guitar』に続く、2016年の『COVERS Grace of the Guitar+』では、さまざまな楽器を加えました。
ギター一本で育ててきた曲を、ほかの演奏者と組み立て直す機会です。

発売時には「歌うたいのバラッド」や「残酷な天使のテーゼ」を店頭イベントでも披露し、帰宅途中の人々が足を止めています。
新しい録音作品を作る活動と、その場にいる人へ歌を届ける活動は、ここでも地続きでした。

一方、歌の目的まで変わったわけではありません。
2016年、テレビの採点企画とライブの違いを尋ねられた森恵は、客席の反応と気持ちを通わせることを重視していると話しています。
練習通りに点数を狙う歌と、その場の人に応じて変わる歌には、意識の切り替えが必要でした。
新しい音へ進んでも、路上で育った、目の前の人へ歌う感覚は続いています。

2018〜2019年――自分で作り、自分の過去を聴き直す

2018年の『1985』では、初めて全曲をセルフプロデュースしました。
生まれた年を掲げたアルバムに、ライブで重ねてきた経験を持ち込んでいます。
長年の仲間である大坂孝之介らと、生の演奏らしさや舞台での再現を大事にして制作しました。
「そばに」もこの作品では歌い直しており、過去の曲を現在の作品へ迎え直しています。

本人にとって難しかったのは、自分を客観的に見ることでした。
今までと同じ延長では終えたくない。
その思いに対して松井五郎は、森恵が録音のたびに制作の方法を学び、自分の中で組み直してきたと語っています。
周囲の提案を受け取る経験が、自分で方向を決める力にもつながりました。

舞台でも、ギターを置いて歌ったり、ほかの楽器を弾いたりする形が増えました。
2019年には、編成や会場の空間に応じて、編曲の幅が広がったと振り返っています。
教会や美術館など、その場所の響きと向き合う公演も重ねました。
いつもの歌をどこでも同じ形で届けるのではなく、歌う場所からも表現を考えるようになっています。

同年、2009年のEP『そばに』がリマスターで再発売されました。
昔の録音を聴いた本人は、今なら違うフレーズや旋律を選ぶと思う箇所があり、10年間で引き出しが増えたと感じています。
これは、その場で歌い直した録音との比較ではありません。
当時の声を残した作品を聴き、自分の選択が変わったことに気づいた出来事です。
若かった歌を隠さずに出したのは、その頃の自分が今につながっているという思いからでした。

2020年代――弾き語りと電子音を、どちらも自分のものにする

コロナ禍には、歌う場所と録り方も広がります。
ミニアルバム『夜天光』は、キャンプ地へパソコンを持ち込み、一人で弾き語りを録音した作品でした。
2022年には、レコーディングスタジオからのライブを行い、バンド、カバー、弾き語りと日ごとに形を変えています。
同年の『music magic』では、エレクトロポップへ踏み出しました。
身近な環境で一人で歌うことと、新しい音を取り入れることが、並行して進んだ時期です。

2024年の『WORDCLOCK』には、ギターと歌だけの曲から、ホーンを使う曲、バンドの曲まで収められています。
広い音楽性の中に弾き語りも残っており、新しい作品へ進むたびに原点を置き去りにしてきたわけではありません。

発売後、本人は、何かを変えたい気持ちから作り、そこで得た発見を聴き手と共有したかったと話しています。
変化を完成形として見せるというより、自分にも新鮮だった音を届ける姿勢でした。

2024年9月30日、ラジオ出演時の森恵(右)
2024年9月30日、ラジオ出演時の森恵(右)。
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2026年――同じ曲を歌い直して、声の変化に気づく

2026年の『SAKURA MELODY』では、「鮮やかな旅路」と「桜がさね」を新しく録音しました。
前者では、10年以上の歩みを振り返る中で、本人も声の変化に驚いたといいます。
後者には、別れや環境の変化を経た今、再び聴き手と音楽の時間を過ごしたいという思いを込めました。
古い曲に戻ることが、そのまま昔へ戻ることにはならない。
今の自分で歌うからこそ、同じ歌の意味も変わっています。

森恵の変遷で目を引くのは、強い声を持つ歌手が、その強さの見せ方を固定しなかったことです。
路上で届いた声を、異なる編成や録音の中へ置き、古い曲にも新しい自分で向き合ってきました。
一人で歌う時間も、誰かと音を作る時間も、その声の行き先を増やしています。

母音や息遣い、曲の中での声の選び方は、森恵の歌い方で詳しく扱っています。

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