Chageは、長く歌ってきた「終章(エピローグ)」を、60歳で録り直した時、別れの先に希望を感じるようになったと話しています。
歌詞を変えて明るい曲にしたわけではありません。
同じ言葉を歌う本人と、その声を囲む音が変わったのです。
高い声で人を引きつけてきた歌手が、なぜ歌い方を一から見直そうとするのか。
デュオ、バンド、ソロと活動を広げた歩みをたどると、声の強さを保つこと以上に、その声をどう届けるかを問い直してきたことが分かります。
「終章(エピローグ)」MEMORIAL VERSION(短縮版)。
19歳の曲を、後年の自分が歌い直す
「終章(エピローグ)」を作ったのは19歳の頃でした。
コンテストに出すつもりだったものの、似たタイプのバラードに埋もれるかもしれないと助言され、別の曲で出場します。
その後、デビューアルバム『風舞』に収録され、この歌は長く歌い継ぐ作品になりました。
Chageは1979年にチャゲ&飛鳥としてデビューしました。
1989年にはMULTI MAX、1998年にはソロでも活動を始めています。
本人は、それぞれで異なる自分を見せる必要があったと振り返っています。
ソロ20周年の2018年には、長い時間をかけて、もう一人のChageを築けたという手応えも口にしました。
ここで面白いのは、活動の名前が変わっても、古い歌を置いていかなかったことです。
新しい自分を示す方法には、新曲を作ることも、歌い慣れた曲へ違う気持ちで向き合うこともある。
「終章」は、その両方を見渡せる曲になっています。
二人の歌から、声の組み合わせを広げる
CHAGE and ASKAのハーモニーについて、ASKAは「恋人はワイン色」を一つの転機に挙げています。
プロデューサーとの対話から、ただ音を合わせる以上の面白さを知り、重なる声にも独立したメロディとしての流れを求めるようになりました。
後にこの曲をカバーした西寺郷太は、Chageの担当するハーモニーの高さに苦戦したといいます。
耳になじんだ曲でも、実際にその声を担ってみると難しさが現れる。
高音は、主旋律の向こうで曲を支える役割も果たしていたのです。
そしてMULTI MAXでは、デュオとは別にロックバンドとしての活動を広げました。
「WINDY ROAD」は、観客が紙飛行機を飛ばすライブの定番として育っていきます。
二人の声で作る世界から、バンドや客席を巻き込む歌へと、声を置く場所が増えていきました。
「細道」で、少ない音の緊張感を知る
2009年には、各地の町を訪ねる「Chageの細道」を開催しています。
大きな会場で歌い続けたChageにとって、アコースティック編成の「細道」は新しい経験でした。
普段は訪れない町へ出向き、近い距離で歌う。
会場が小さくなると、歓声や演出に紛れていた音まで聞こえ、一つひとつの演奏をおろそかにできないと感じたそうです。
その出発点を、Chageは後年、プロデューサーからアコースティックでやってみるよう勧められたことだと振り返っています。
条件は、自分もきちんとギターを弾くこと。
楽器を選ぶところから練習を重ね、吉川忠英の音の出し方やチューニングに触れて、その奥深さを知りました。
旅をともにしたことで、ギター一本で歌いたい気持ちが、その後も強くなったと振り返っています。
伴奏が減れば、歌手の仕事も簡単になるとは限りません。
声とギターの関係がはっきりし、小さな動きも客席へ届くからです。
大きな盛り上がりを作る経験に、細部を聴いてもらう経験が重なっていきます。
その一方で、別の人物になって歌う遊びも取り入れています。
2010年には架空のバンド、チャゲトルズを作り、チャーリーというボーカリストの設定で活動しています。
ビートルズから受け取った遊び心を、自分の音楽へ持ち込む試みでした。

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50代の終わり、歌い癖をいったん外したくなる
2017年、Chageは自分の歌い方には癖があり、それを一度取り払ってみたいと話していました。
以前は聴き手の心を強くつかむことに意識が向いていたものの、次第に日常へ自然に入っていく音楽を求めるようになったのです。
その気持ちを、水にたとえています。
濃い味を印象づけるだけでなく、すっと身体に入ってくるものを歌いたい。
経験を重ねたから表現を足す、という方向だけではなく、身についたものを減らしてみる方向へも関心が向いていました。
情熱のある歌でも、言葉が自然に届くように歌えるのか。
その問いが、次の録音にもつながっていきます。
2018年の「終章」は、別れの先を向いていた
2018年のベスト盤『音道』では、亀田誠治が手がけた「終章(エピローグ)」の新しい版を冒頭に置きました。
Chageはそのアレンジから、悲しむだけでなく、泣いたあとに未来へ歩き出す感覚を受け取ったといいます。
そして、自分の歌もその方向へ向けたと説明しています。
本人にとっては、60代の今だから歌える「終章」ができた、という喜びがありました。
長くライブで育ってきた曲を録り終えた時には、次の年代にも歌えるのだという楽しみまで感じたそうです。
同じ歌詞でも、別れの悲しみを中心に置くのか、そのあとを生きる人へ目を向けるのかで、歌の行き先は変わります。
原曲の感情を消すのではなく、その先まで見渡せるようになる。
長年歌った曲を録り直す意味が、ここにはあります。
還暦を迎えても、歌い方を一から見直す
同じ年、Chageはエラ・フィッツジェラルドやフランク・シナトラの歌にひかれていました。
注目したのは、力んだ印象がないのに隙もなく、声が演奏の中の一つの楽器として成立していることです。
そのあり方を前にして、歌い方をもう一度学び直したいと話しています。
ビルボードライブでの公演にも、熱唱して客席を引っ張るだけでなく、くつろぐ人の顔を見ながら、朗々と歌う心地よさを届けようとしていました。
ロックのステージで得た強みを捨てるのではなく、それとは違う距離感でも歌えるようになるための挑戦です。

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「飾りのない歌」と、年齢が変える歌の視点
2024年の「飾りのない歌」では、小説家の万城目学が書いた言葉に背中を押され、ほぼ一度の歌唱で録音できたといいます。
同名アルバムのセルフカバーも、ツアーバンドと一発録音で作りました。
ともに演奏してきた関係が、その場の歌を支えています。
翌年の『Instinto』で歌い直した「ベンチ」では、別の変化もありました。
かつて両親へ向けて描いた老夫婦の歌を、今は自分がその立場になって歌う瞬間があると話しています。
歌う本人の立場も変わりました。
2026年のChageは、「細道」で少ない音に向き合う中、声も楽器として見直し、ボイストレーニングを最初からやり直したことを明かしています。
本人は、その結果、声も変わったと感じています。
また、吉川忠英から、ギターを弾きながら歌う段階を越え、歌を届けるためのギターになったと認められたことも、大きな喜びでした。
Chageの変遷を貫くのは、歌い慣れた自分の声を完成品にしない姿勢です。
相手と声を重ねる、小さな会場で音を減らす、昔の曲の人物を今の自分から見る。
そのたびに、同じ歌から違う表現が生まれてきました。
「終章」を何度も歌うことは、過去へ戻ることと同時に、まだ知らない自分の歌を探すことでもあるのです。
曲ごとの高音や声の重ね方は、Chageの歌い方で掘り下げています。







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