フェイ・ウォンの歌声の変遷|透明な響きの先で、声はどこへ向かったのか

2011年3月、香港公演のフェイ・ウォン。写真:lajabordidar シンガー
2011年3月、香港公演のフェイ・ウォン。写真:lajabordidar

2022年、「帰途有風(歸途有風)」でフェイ・ウォンが選んだのは、低い音域で語るように歌う表現でした。
作曲・制作の銭雷は、旋律があるので単なるラップとは違うと説明し、彼女にとってもあまり試してこなかった歌い方だと話しています。

フェイ・ウォンといえば、透明感のある、宙に浮くような声。
その印象を入り口にすると、この選択は少し意外かもしれません。
けれど、彼女の歩みは、ひとつの美しい声を守るだけの歴史ではありませんでした。
歌い継いだ曲を自分のものにし、言葉から離れて声の響きを試し、再び言葉の重さへ向かう。
その変化を、録音作品と制作の過程からたどります。

シャーリー・ウォンとして出発した頃

北京で生まれ、香港へ移った彼女は、1989年に王靖雯、英語ではシャーリー・ウォンの名でデビューしました。
初めから現在の名前と表現で登場したわけではありません。
1991年にはニューヨークへ渡り、翌年の『Coming Home』で大きく知られるようになります。

契約へつながった歌には、テレサ・テンの影響がありました。
プロデューサーの梁栄駿は、彼女がテレサの曲を歌った録音に強く心を動かされたと振り返っています。
当時のレコード会社社長、陳少宝が聴いた「小城故事」にも、テレサを思わせる魅力がありました。

1992年の転機となった「容易受傷的女人」は、ちあきなおみの「ルージュ」を広東語で歌った曲です。
翌1993年の『十萬個為什麼』には、勢いよく声を上げて始まる「流非飛」も収録。
音楽評論家の関谷元子は、この曲の勢いを、彼女の個性が前に出た場面として挙げています。

ここで大事なのは、後の浮遊感だけを初期へさかのぼらせないことです。
歌い継がれた旋律を届ける人として認められながら、曲が求める勢いも声で示していた。
その両方を持った歌手が、次にもっと異なる響きへ近づいていきます。

1994年、カバーが新しい声への入口になる

映画『恋する惑星』でも使われた「夢中人」は、クランベリーズの「Dreams」を広東語にした曲です。
1994年の『胡思亂想』では、コクトー・ツインズの曲も取り上げました。
同じカバーでも、以前のヒット曲とは参照する音楽が変わっていました。

コクトー・ツインズとの関係は、カバーだけでは終わりません。
1996年には、彼らの『Milk & Kisses』アジア盤に、フェイが歌う「Serpentskirt」が入りました。
エリザベス・フレイザーのバックボーカルを残した音の中へ、フェイの歌が加わる録音です。

サイモン・レイモンドは、映画を見たことも、彼女と制作することへの関心につながったと振り返っています。
両者はそれぞれの土地で録音を進めました。

好きな歌手をまねる段階から、その音楽の作り手に自分の声を渡す段階へ。
海外の影響を受けたという一言では見えにくい、歌い手としての距離の変化がありました。

1996年『浮躁』で、言葉になる前の声を探す

『浮躁』では、意味を持つ歌詞だけでなく、言葉にならない声や音節も音楽を作ります。
竇唯と張亜東が制作に関わり、コクトー・ツインズも「分裂」「掃興」を手掛けた作品です。
「何を言っているか」を追う聴き方から、声そのものの動きや響きを受け取る聴き方へ、入口が広がりました。

二曲を除いて、曲を書いたのはフェイ自身でした。
歌う素材を受け取るだけでなく、自分の声を置く音楽にも深く関わるようになっていたのです。

張亜東が覚えているのは、制作中の音楽を聴いた彼女が、すぐに「不安」という題を見つけたこと。
彼はその直感を高く評価しています。
また、成功した『天空』の方向を続ける代わりに、全く違う『浮躁』を作ったことも、彼女らしい選択として挙げています。

以前の美しい歌を捨てたというより、美しさの作り方をひとつに限定しなくなった。
完成されたメロディーを歌い上げる以外にも、短い声、意味を決めない音、伴奏と混ざる響きが歌になる。
『浮躁』は、その可能性を作品全体で引き受けた転機でした。

『我的王菲時代』収録音源

2000年『寓言』では、声と言葉を再び結び直す

1998年の『唱遊』、1999年の『只愛陌生人』を経て、2000年に『寓言』へ進みます。

1999年には、英語で歌った「Eyes On Me」が『ファイナルファンタジーVIII』の主題歌となり、日本でも広く聴かれました。
歌う言語と聴き手の広がりの中で、次の作品では中国語の言葉と音楽をどう結ぶかを探っています。

『寓言』の録音では、フェイと張亜東がスタジオで林夕の歌詞を待っていました。
ファクスが届くと、歌を録る。
張亜東は、言葉を変えずに受け取り、互いの仕事を縛らない関係だったと振り返っています。

林夕にとっても、張亜東からの励ましが、思い切った概念的な詞を書く支えになりました。
音ができ、言葉が届き、それをフェイが歌にする。
声と言葉の関係は、一人の歌手だけで決まっていたわけではありません。

歌詞から離れて声を遊ばせることと、届いた言葉を丁寧に歌にすること。
フェイの表現では、この二つは両立していました。
『浮躁』の後を、言葉がますます不要になっていく一本道としては捉えられないのです。

2001年「光之翼」で、高音の出し方も変える

2001年の『王菲』では、制作を担った梁翹柏が、従来の延長だけにはしたくないと考えていました。
その一曲「光之翼」では、以前なら裏声を使っていた高い箇所を、彼が真声と呼ぶ声で歌うことを求めています。

言葉や作風だけでなく、高い音をどんな声で出すかも、制作の中で選び直していた。
透明な高音が評価されたからこそ、その得意な方法に収まらない試みには意味がありました。

2003年12月、香港公演のフェイ・ウォン。写真:770
2003年12月、香港公演のフェイ・ウォン。
写真:770。
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活動の間隔が変わっても、新しい歌い方を選び直す

2005年に表舞台から距離を置いた後、2010年からは再びコンサートを行います。
「夢中人」など、90年代の曲も舞台で歌い続けました。

2010年の公演再開を伝える取材に掲載されたフェイ・ウォン
2010年の公演再開を伝える取材に掲載されたフェイ・ウォン。
画像出典:画像掲載元

昔の曲を残すことと、新しい声の使い方を試すことは、別々に続けられる。
後年の制作では、そのことがはっきりします。

2021年の「如願」に続き、2022年には映画『万里帰途』の主題歌「帰途有風」を録音しました。
銭雷は、前作と似た曲をもう一度作ることを避けたと話しています。

帰国への思いや戦争の厳しさを扱う映画に、どんな歌を置くか。
そこで試したのが、冒頭で触れた、低い音域の語りと歌でした。
制作中にはフェイとも何度も話し合い、映画が持つ深い感情をどう表すかを探っています。

透明な高い声の印象が強い歌手だからこそ、低い語りには別の重さが生まれます。
これは年齢を重ねて高音を使えなくなったという説明ではありません。
作品のために、あまり使ってこなかった表現を選んだという、制作側が確認している変化です。

2025年、響きの個性を言葉の近くへ置く

2025年の「世界贈予我的」では、作曲者の曹正杰が、歌詞の感情を旋律で押しのけないことを意識していました。
編曲も、当初の壮大な形から、澄んだ簡潔な形へと調整されています。
フェイの表現について彼が挙げたのは、言葉の発音や音のつなぎ方にある、独自の工夫でした。

フェイ・ウォンの変化は、声が強くなった、弱くなったという線だけでは追えません。
人の歌を自分の声で歌い、声を言葉から解き放ち、物語に合わせて低い語りも選ぶ。
その先では、響きの個性が、日常の言葉を届ける働きもしています。
曲の中で声や発音をどう選ぶのかは、フェイ・ウォンの歌い方で詳しく扱います。

アイキャッチ:2011年3月、香港公演のフェイ・ウォン。
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