2021年、Original Loveの田島貴男は、自分で作った「接吻」をOvallと録り直すとき、ベーシストのShingo Suzukiに歌のタイミングを教えてほしいと頼みました。
代表曲を30年近く歌ってきた人が、その日の演奏では、どこから言葉を出せばいいのか分からなかったのです。
やり取りの末に得た感覚を持ち帰り、後日、自分のスタジオで歌を録り直しました。
田島は声を大きく鳴らす方法を追い、一人で伴奏を担い、声の強さを抑えて歌うことも覚えてきました。
Ovallとの再録では、新しい演奏者のリズムへ自分の歌を置き直します。
その歩みで、声と伴奏の関係がどう変わったのかをたどります。
1993年の「接吻」は、答えではなく出発点だった
田島はパンクやニューウェーブを好んでいた若い頃、中古レコード店で働き、ソウルやR&Bのレコードに触れていきました。
1991年の「Deep French Kiss」は、その音楽に興味を持って書き始めた頃の曲だと振り返っています。
一方、演奏して歌い、曲のグルーヴまで自分たちで作ることには、まだ苦戦していました。
1993年の「接吻」は、テレビドラマの依頼を受けて短い時間で書き、忙しい仕事の合間に録音した曲です。
田島は後年、二十代の自分には演奏でグルーヴを作る方法がまだ見えていなかったとも語りました。
ヒットした後も、田島は「接吻」をどう歌うか探し続けます。
2006年、体を大きく鳴らす声を追う
一つの到達点が、2006年のカバーアルバム『キングスロード』でした。
SCOOBIE DOのコヤマシュウから、その頃の歌が全身を鳴らしているようだと言われた田島は、当時は下腹から頭上へ声を抜くことを、とりわけ意識していたと答えています。
本人の感覚では、そのほうが強い声が出たのです。
この時期、田島が追いかけたのは、体をどう使えば声の力が増すかという課題でした。
田島は歌うたびに小さな発見があり、その積み重ねで歌い方が変わったと振り返ります。
2011年から、伴奏を待たずに自分で拍を作る
2011年から始めた「ひとりソウルショウ」では、田島一人がギターやループマシンを使い、歌もリズムも受け持ちました。
目指したのは、一人でも客席が踊れる音楽です。
古いブルースの演奏者が、ギターを弾きながら客席を動かす方法にも学びました。
もともと弾き語りは、もっと年を取ってからやるつもりだったそうです。
しかし、各地でフェスが増え、ソロでも出演する機会が広がる一方、CDの売れ方も変わっていきました。
アルバムを出して年に一度ツアーをするだけでは活動を続けにくい。
そこでライブへ比重を移し、二時間を一人で楽しんでもらえる力をつけようとしたのです。
バンドならベースやドラムの上に声を置けます。
一人の舞台では、その土台を作る手も、自分のものです。
田島は2018年の取材で、ひとりソウルショウを始めたことで自分の歌が変わったと明言しています。
四十代になってから、歌だけでも面白いことができると思えるようになったとも話しました。
代表曲「接吻」も例外ではありません。
田島は一人で演奏するためにジャズギターを学び、何年も舞台で試しながら、その形を育てました。
曲の中で具体的にどこへ声を置くかは、田島貴男の歌い方の記事で詳しく扱っています。
ここで大切なのは、同じ歌を演奏し続けるうちに、歌い手自身が伴奏の作り手にもなったことです。
2015年、強く響かせるだけではない歌へ
ひとりで歌う経験を重ねたあと、2015年のアルバム『ラヴァーマン』では、かつての声の鳴らし方を見直します。
田島は『キングスロード』の頃の、下腹から大きく声を抜く方法を少しやりすぎたかもしれないと振り返り、以前は避けていた軽い響きも受け入れ、歌の抑揚を大切にするようになったと話しました。
曲によって歌唱法を変えるという考えも、ここにつながります。
アルバムの演奏には、以前のOriginal Loveで演奏した佐野康夫と小松秀行を迎えました。
昔の仲間と再び組みながら、その間に学んだギターも生かし、当時とは異なる音楽を目指しました。
アルバムには、Negiccoへ提供した「サンシャイン日本海」を田島自身が歌った版も収められています。
この頃のNegiccoとの仕事は、以前のOriginal Loveらしさを今のポップスとして出してもよい、という自信にもつながっていました。
過去の持ち味を避ける必要がなくなる一方、それを歌う声は試し直していたのです。
転機の一つには、CM曲「ウイスキーが、お好きでしょ」の録音があります。
何通りも歌った中から選ばれたテイクを聴き、制作側の耳を通して自分の声の生かし方を学んだといいます。
『ラヴァーマン』では、その声を探しながら歌の収録に三カ月を費やしました。
田島は、歌い方が分かっても、それを録音するのは難しかったと説明しています。
選ばれたCMのテイクも、そのよさを時間がたってから理解したそうです。
自分の手応えだけで即座に決めず、録音された声を聴き直す時間も、新しい歌には必要でした。
2019年、一人版「接吻」が別の曲のように育つ
ひとりソウルショウでの「接吻」は、田島によれば、四年ほど演奏する間に、いつの間にか今の形になった曲です。
一人で弾くために覚えたジャズギターも、その過程で身につけたものでした。
舞台で何年も歌う間に、歌の入り方と曲の進み方を組み替えました。
田島は、その一人の舞台で得た技術が、後にOriginal Loveのバンド演奏にも戻っていったと語っています。
2019年に語ったアコースティック編成での「接吻」が、その具体例です。
一人で作った編曲をもとにメンバーが加わり、ベーシストの鹿島達也がさまざまな動きを受け持ってくれたことで、一人のときより楽に演奏できたといいます。
伴奏を減らして一人になったところから、一人で成立する歌とギターへ伴奏を足す形になりました。
バンドで歌うときにも、自分が担う土台は変わっていたのです。
2021年、後輩のリズムに「接吻」を預ける
一人で拍を作れるようになった田島に、2021年のOvallとの再録は別の問いを投げかけました。
Ovallが作る新しいグルーヴでは、昔から知っているはずの歌のタイミングが、すぐにはつかめません。
田島はShingo Suzukiに歌唱の指示を求め、その場でやり取りを重ねました。
その日の歌は採用せず、後日、学んだ感覚で録り直します。
田島が意識していたのは、ディアンジェロ以降の、ヒップホップの影響を受けたリズムでした。
その演奏を得意とするmabanuaを含むOvallとの録音では、知っているメロディーでも歌の入り口を探す必要があった。
昔の完成形を再現する仕事とは違う難しさが、代表曲の再録にもあったのです。
一人で伴奏まで作った時期を通り、今度は人のリズムを聴き、自分の代表曲の歌を作り直す。
三十年近い経験があっても、新しい演奏者から学ぶことをためらわなかったのです。
2022年からも、客席が踊る声を探す
2022年の『MUSIC, DANCE & LOVE』で、田島は、演奏のリズムに合わせて客席の体が動くように歌うことは難しいと話しました。
グルーヴは単に伴奏に「乗る」ものではなく、歌い手自身が表現するものだというのが、この時期の本人の言葉です。
日本語でそれをやる難しさを語りながら、二十枚目で自分の技量がようやく伴ってきたと手応えを示しています。
翌年のツアーでも、田島は公演を重ねるほど演奏の熱とグルーヴが増していくと語りました。
コロナ禍には客席の声が返ってこなくても音楽の力を届けたいと考え、踊れるアルバムを作りました。
声出しが戻った舞台では、客席も演奏者もその楽しさを分かち合えていると話します。
録音で見つけた歌い方を固定して舞台へ持ち込むのではなく、ほかの演奏者や客席の反応の中で、その日の歌を作っていきます。
ツアー最終日の人見記念講堂で歌った「Music, Dance & Love」の公式ライブ映像にも、その時期の舞台が残されています。

撮影:俵和彦/出典:SPICE。
2024年のSTUTSとの対談では、長く歌に自信がなかったこと、歌い出すタイミングと演奏全体のグルーヴの関係が、近年になってようやく見えてきたことを打ち明けました。
1993年の「接吻」から、全身で響かせた2006年、一人でリズムを担った2010年代、Ovallと録り直した2021年へ。
誰とどんな拍を作り、客席をどう動かすかを考えながら、田島は今も歌う場所を探しています。







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