大貫妙子の歌い方|静かな声で、穏やかではない気持ちを歌う

2018年のインタビューで笑顔を見せる大貫妙子 シンガー
2018年の大貫妙子。撮影:天田輔/ARBAN

大貫妙子の「4:00 A.M.」には、夜明け前、一人で考え込んでしまう人がいます。
相手との関係をこのままにしておけず、もう一度の機会を求めている。
落ち着いた声で歌われるほど、その人が一人で考え続けている時間まで感じられる曲です。

大貫の歌声には、澄んだ響きや穏やかさという印象があります。
けれど、歌っている人の心まで、いつも穏やかとは限りません。
寂しさや焦りがあっても、声を荒らげずに言葉を置いていく。
感情を大きな声だけで示さず、言葉と旋律の関係で伝える。
その歌い方を知ると、耳に心地よい声の奥にある、意外に切実な歌が見えてきます。

「4:00 A.M.」は、静かな声のまま追いつめられていく

1978年のアルバム『MIGNONNE』に入っている「4:00 A.M.」は、短い言葉で進みます。
夜明け前に目が覚め、静けさの中で考え込んでしまう。
相手との間に何が起きたのか、詳しい出来事は説明されません。
それでも、今のままではもう会えなくなるかもしれない、という切迫感は伝わります。

ここで大貫の落ち着いた声は、気持ちに余裕がある人の声というより、誰にも話せずに思いを繰り返す人の声として聞こえます。
一つの言葉が終わっても、すぐに別の説明が続くわけではない。
旋律を伸ばす時間や、次の言葉を待つ間にも、気持ちが残っています。

もし出来事を順番に説明する歌だったら、聴き手は「この人に何があったのか」を知るでしょう。
この曲では、詳しい事情を知らないまま、「自分にもこんな夜があった」と思える。
声が感情を決めつけすぎないことと、言葉で説明しすぎないことが、同じ方向に働いているのです。

短い歌詞には、旋律を聴く時間がある

大貫は、自分の歌詞が短い理由について、聴く人の思い出に寄り添えるよう、説明しすぎないことを大切にしていると話しています。
曲作りでも、まずメロディーとサウンドがあり、その音楽に合う言葉を考える。
歌詞だけですべてを伝えようとはしていません。

これは、言葉をどうでもよいと思っている、という意味ではありません。
言葉を詰め込めば、声はその数だけ次の音へ進まなくてはならない。
少ない言葉なら、一つの母音を伸ばす時間や、フレーズの終わりを聴く時間が生まれます。
大貫の歌では、その時間にも、伴奏が続きを語っているように感じられます。

「4:00 A.M.」も、歌の意味を追う楽しさと、声が旋律をたどる心地よさを分けずに聴ける曲です。
歌詞を理解したから、声を聴く楽しみが終わるわけではありません。
やり直したいという言葉にも、願いだけでなく、うまくいかないかもしれないというためらいを感じ取れます。

身ぶりを交えて話す大貫妙子
インタビューで話す大貫妙子(2018年)。撮影:天田輔/ARBAN

「都会」の踊れる演奏と、そこを離れようとする歌

1977年の『SUNSHOWER』に収められた「都会」では、声と伴奏の関係が、また違った面白さを持っています。
演奏はよく動き、リズムには体を揺らしたくなる気持ちよさがあります。
ところが、歌は夜の街の華やかさに夢中になる内容ではありません。
むしろ、その華やかさから離れようとしています。

歌の中の人は、街の賑わいを見ながら、そこに居続けることへ疑問を向けています。
伴奏の楽しさに身を任せていると、ふと、歌っている人は同じ気分ではないと気づく。
この食い違いが、「都会」をただ明るい曲にも、ただ寂しい曲にもしないのでしょう。

大貫の声を、伴奏と競って前へ出る声としてだけ聴くと、この面白さを取りこぼします。
演奏の動きを楽しみながら、声が何を言っているかにも耳を向ける。
すると、軽快な音楽の中に、一人だけ少し距離を置いて街を見ている人が現れます。

声を張らなくても歌えるように、伴奏との関係を変える

大貫自身は、声量が豊かな歌手だとは考えていません。
バンドでは声量を要求される場面があった一方、弦楽四重奏との共演では、歌に対して丁寧になれたと振り返っています。
ヴァイオリンなど四つの弦楽器と歌う「ピュア・アコースティック」の経験です。

弦楽四重奏との共演で歌が丁寧になった理由は、伴奏の音量だけでは説明できません。
大貫の説明では、決まったビートに合わせることよりも、演奏者全員の呼吸や間で曲が進んでいきます。
歌の言葉を少し長く保つことや、次の言葉を急がずに出すことを、周りの演奏と一緒に作れるのです。

ただし、伴奏が少なければ楽に歌えるとも限りません。
2010年の『UTAU』で坂本龍一のピアノと向き合ったときには、自分の慣れた歌い方で先へ進むと、二人の音楽が離れてしまったと話しています。
ピアノの旋律を聴きながら、自分の歌も保つ必要がありました。

「a life」では、ピアノの音も歌の続きを担う

『UTAU』の「a life」は、食べることや身体を動かすことなど、日々の暮らしを歌った曲です。
大貫は、坂本のメロディーに触れたことで、自分が大切にしていることを素直に書こうと思ったといいます。
2010年のツアーでも、二人はピアノと歌だけでこの曲を演奏しました。

歌が休んでいる間にも、ピアノのフレーズは続いています。
声が入るまでのピアノと、その後の言葉をひと続きで聴くと、歌い出しの印象も伴奏によって作られていると分かります。
言葉を強く押し出すだけではなく、ピアノが作る流れにどう加わるかでも、伝わり方が変わるのです。

スタジオのピアノの傍らに立つ大貫妙子
2020年のインタビュー掲載写真。撮影:Chikashi Suzuki/Numero TOKYO

大貫は、この共演を重ねた後、歌うことが楽になったと振り返っています。
その変化には、若い頃から抱えていた自分の声への苦手意識も関わっています。
そこから舞台で歌を育てていく過程は、大貫妙子の歌声の変遷でたどっています。

静かに歌うことと、何も感じていないことは違う

「4:00 A.M.」には、もう一度やり直したい切実さがある。
「都会」には、賑わいの中に居続けたくない気持ちがある。
「a life」には、日々の営みを大切にしたいという思いがあります。
どれも、穏やかな声だからといって、歌の中の気持ちが薄いわけではありません。

短い言葉をどう伸ばすか、どこで終えるか、その後をどの楽器に続けてもらうか。
大貫の歌は、声と伴奏を一緒に聴くほど、言葉の伝わり方が豊かになります。
心地よく聴いていた歌が、気づくと自分の寂しさや願いにも触れている。
声を張ることだけでは得られない近さが、そこにあります。

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