大貫妙子は、若い頃、自分の声が好きではなかったと話しています。
憧れていたのはジャニス・ジョプリンのような歌手でした。
けれど、自分の澄んだ声は、その憧れに思うようには近づかない。
今、大貫らしい声として親しまれている響きが、本人には悩みでもあったのです。
その後の歩みは、ただ歌い慣れて自信がついた、という話ではありません。
どんな伴奏なら言葉を丁寧に歌えるか。
自分に合わせてくれる演奏者のもとを離れたとき、どう歌えばよいのか。
共演相手との関係が変わるたびに、声の使い方も試されてきました。
初期――憧れの声と、自分の声が一致しなかった
大貫は、シュガー・ベイブやソロ初期には、後年より太い声を出そうとしていたと振り返っています。
まだ手本とする歌手の声にこだわっていて、自分の声を受け入れられなかった時期でした。
山下達郎と同じバンドで歌ったことも、彼女の自己評価に大きく影響しました。
山下の歌のうまさに圧倒され、ステージで自分の声が届かないと感じたのです。
当時の音響機材の事情もあり、単純な声量の比較だけでは片づけられません。
ただ、大貫にとっては、思い描いた歌と実際の自分の歌との距離を、強く意識する経験になりました。
1977年の『SUNSHOWER』も、本人が後に厳しく振り返った作品です。
坂本龍一らと、当時好きだったジャズやソウルに近いサウンドを作った。
演奏の出来に驚く一方で、歌ってみると自分の声に合わなかった、と感じていました。
同作の「都会」は、そんな時期の声が残る曲です。
リズムの強い演奏と、その中で言葉を歌う大貫の声を一緒に聴くと、後に彼女が伴奏との関係を考え続けた理由も気になってきます。
本人の反省を知っても、この録音の魅力を取り消す必要はありません。
大貫自身、聴き手は自分ほど否定的には感じていないのかもしれない、と話しています。
聴き手が若い日の声を好きでも、歌手自身には、もっと違う歌い方を試したい理由がありました。
1987年からの弦楽四重奏――自分の間で、丁寧に歌う
大貫が探していったのは、声を好きな音楽に無理に合わせる方法だけではありませんでした。
自分の声を生かせる音楽を、周囲の演奏者と作るという方向もありました。
1987年から続けた「ピュア・アコースティック」は、その大きな経験です。
共演するのは、ヴァイオリンなどによる弦楽四重奏。
バンドの決まったビートに歌を合わせるときとは違い、全員の呼吸や間で音楽が進みます。
大貫は、そこで歌に対して丁寧になれたと話しています。
ただ音量を下げればよかったわけではありません。
最初はクラシックの奏者たちと、言葉にしなくても分かるような音楽上の了解を共有するのが難しかったそうです。
強弱をどうつけるか、どこで待つか。
同じメンバーと演奏を重ねる中で、声と弦の音を合わせる方法も育っていきました。

大貫が、舞台で歌うことを楽しく感じるようになったのは、40歳を過ぎてからだといいます。
それまでは、客席との間に幕が下りているようで、声が届く実感を持てなかった。
ある公演で、客席の後ろまで声が届いたと感じたことが、長く残っていました。
決定的な一つの練習法ではなく、ステージに立ち続けた積み重ねとして語られている変化です。
2010年「UTAU」――自分に合わせてくれる伴奏から、対等な二人へ
歌が楽になっても、大貫はそこで満足したわけではありません。
2010年には坂本龍一と『UTAU』を制作し、二人だけのツアーに出ます。
ピアノと歌だけという編成は、音数が少ないぶん、歌の状態が公演全体に直接関わります。
大貫は、これを大きな試練として受け止めていました。
難しかったのは、声を出すことだけではありません。
それまでの伴奏者は、大貫が得意とする歌い方についてきてくれました。
しかし坂本のピアノには、ピアノ自身の旋律の進め方があります。
大貫が自分のタイミングだけで先へ行くと、二人の演奏がばらばらになってしまう。
相手を聴きながら、自分の歌も失わないようにする必要があったのです。
「a life」は、その2010年のツアーでも歌われた曲です。
ピアノがフレーズを続ける時間と、大貫が言葉を歌う時間が、一曲の中でつながっています。
大貫が話した「相手を聴く」という課題を思い浮かべると、歌のない間のピアノにも耳を向けたくなります。
ツアーでは、演奏を重ねるにつれて呼吸が合い、曲によってはアルバムと違う展開にもなったといいます。
大貫は、この経験を経て、歌うことが楽になり、自分のライブでも声が出るようになったと振り返りました。
歌手に合わせてくれる環境で得た丁寧さに、相手の表現を受け止めながら歌う力が加わったのです。

2023年の「都会」――同じ曲へ戻って、歌手と演奏の関係を聴く
初期の作品に厳しい言葉を向けてきた大貫も、「都会」を歌い続けています。
2023年の野外音楽イベント「EPOCHS」でも、バンドとこの曲を演奏しました。
1977年のアルバムから46年後です。
冒頭のスタジオ録音とこのライブを比べるなら、声の若さだけで優劣を決めず、歌と演奏がどう一緒に進むかを聴きたいところです。
どこで言葉を伸ばし、どこで伴奏の動きを聴かせるのか。
同じ旋律の、同じ言葉の終わりを聴き比べると、声の響きだけでなく、フレーズをどこまで保つかという歌い方にも耳が向きます。
大貫自身、過去の声について、若い頃の張りや透明感を認めながら、その後は伝える力が強くなったと話しています。
録音と野外ライブでは音の作りも違いますが、「昔の声をそのまま保てているか」だけが彼女の目標だったわけではない、と分かります。
「都会」の軽快な伴奏と寂しさを含む歌詞の関係は、大貫妙子の歌い方で、「4:00 A.M.」「a life」とともに掘り下げています。
変わったのは、自分の声を音楽の中でどう生かすか
初期には、憧れの歌手や好きなサウンドに、自分の声を近づけようとしていました。
弦楽四重奏との共演では、自分の呼吸や間を使って、言葉を丁寧に歌う方法を深めました。
『UTAU』では、相手の表現を聴きながら、自分の歌を続けることに挑みました。
この歩みは、大きな声が出るようになって解決、という一直線の成長ではありません。
自分の声を受け入れ、その声が生きる音楽を作り、さらに別の共演で歌を試してきた。
「都会」の古い録音も後年のライブも、その途中にある歌として聴くことができます。
長く歌い続けるとは、同じ声を保存することだけではなく、同じ曲との付き合い方を変えていくことでもあるのでしょう。






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