強く歌える人にとって、優しく歌うことは簡単なのでしょうか。
アルルカンの暁は、その問いにうなずけない歌手です。
激しい曲、長い語り、ラップを使う曲を歌う一方で、柔らかく歌いかける曲に、これまでとは違う難しさを感じていました。
暁の歌い方は、声の迫力だけでなく、言葉をどんな声で相手へ渡すかに注目すると、輪郭がはっきりしてきます。
激しい音の中で、声まで一色にしない
2025年11月の姫路ベータ30周年記念イベントでは、「omit」の激しいシャウトに続き、「バール」で重低音の中に伸びる高音を響かせています。
冒頭の「世界の終わりと夜明け前」は独唱から始まり、切なさを持つ歌が演奏の中へ入っていきました。
同じライブの中にも、声を荒くぶつける場面と、旋律を伸ばして聴かせる場面があったのです。
激しいバンドの歌を、すべて叫ぶような発声として受け取ると、この違いを見落とします。
ざらついた声は音の勢いを強め、旋律を追える声は、強い伴奏の中でも歌の線を示します。
暁の場合も、曲の熱量と声の荒さをいつも同じ割合にする必要はありません。
演奏が激しい場面で、歌の切なさが残ること自体が、一つの対照になるのです。
2026年5月の「MASKED 2026」でも、「DAWN」の歌い出しから、輪郭のある高い声とスクリームを組み合わせる歌唱が披露されています。
強い演奏を突き抜ける高音と、感情を放つ叫びを、同じ歌手が担っているのです。
「DAWN」/スタジオ録音(2026年)
高い音と叫ぶ声を一括りにすると、音の高さの変化と、声の質感の変化が混ざってしまいます。
何の音を歌うかと、その音をどんな質感で出すかは、分けて考えられるものです。
暁の歌では、この二つを区別して追うことで、荒々しさの中に旋律が通る理由も捉えやすくなります。
その歌の背景には、ヴィジュアル系の先輩から受けてきた影響もあります。
DEZERTのSORAは、暁の歌い方にシドの影響を感じていると話し、マオとの交流にも触れていました。
激しい音だけでなく、歌そのものへの憧れも含めて、暁の表現を見ることができます。
「silly」で難しかった、相手を包む声
「silly」は、優しく歌うことが課題になった曲です。
暁は、苦しさや闘争心を前へ出す歌とは違い、相手を包み込むように歌いたかったと説明しています。
その表現には苦労があり、以前の自分なら素通りしていたような方向にも、歌として向き合うことになりました。
ここでいう優しさは、単に音量を小さくすることとは違います。
苦しさを一緒に叫ぶ関係もあれば、苦しんでいる相手の隣にいる関係もある。
同じ言葉を歌うにしても、前へ引っ張る声にするのか、受け止める声にするのかで、歌手が担う役割は変わります。
「silly」は、その違いを暁自身が課題として受け取った歌なのです。
強い表現に慣れた歌手が、そこから力を減らせば、自然に優しい歌ができるわけではありません。
激しさで伝えていたものを使わずに、それでも相手へ届く歌を作る必要があるからです。
暁の柔らかな歌を聴くときは、声の小ささだけよりも、誰へどんな距離で歌おうとしているかが手掛かりになります。

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語りでは、音程より先に言葉の流れを選ぶ
「PICTURES」の語りでは、暁の声とギターがぶつからないように、奈緒が反復を中心とした演奏を選んでいます。
声の内容を追う時間と、サビで曲が広がる時間を、バンド全体で支える作りです。
語りを、旋律のある歌の弱い代用品と考える必要はありません。
長い経緯や、簡単には言い切れない気持ちを、言葉の順序ごと渡せるのが語りの強みです。
一定の旋律へ毎回同じ長さで収める制約が薄くなれば、何を残し、どこまで語るかという選択が、歌の前面へ出てきます。
そのとき、声だけが頑張れば言葉が届くとも限りません。
ギターの動きが言葉と競い合わないようにすることで、聴き手は声の内容へ注意を向けやすくなる。
「PICTURES」で考えたいのは、声を大きくする方法だけでなく、声が意味を持てる余地を周囲の音とどう作るか、という点です。
ラップと語りを、同じ使い方にしない
一方、「SPELL」のラップでは、暁は言葉の意味を先に押し出すより、音としての面白さを楽しむ方向へ進みました。
以前から持っていた表現を、作品で試す機会にもなりました。
長い出来事を伝える「PICTURES」と、言葉の音で遊ぶ「SPELL」。
どちらも言葉の運びが目立つ曲ですが、声に任せる仕事が違います。
前者では内容をたどることが中心になり、後者では言葉が音楽の一部として動くことが面白さになる。
暁が選んでいるのは、単に歌うか話すかという二択ではありません。
『δυσ-τόπος ~Dystopia~』の「blackboxx」では、語りやシャウトを現代的に組み直す試みもありました。
作曲した來堵は、昔のヴィジュアル系で親しんだ表現を、新しい組み合わせで使おうとしたと説明しています。
慣れた声の出し方も、曲の中で置かれる形が変われば、別の役割を持ちます。
イメージに合う声は、録音の中で探す
2022年の『MONSTER』に入る「bash 脳 down」では、暁自身に歌のイメージがあっても、うまく形にできないところがありました。
そこで奈緒やYUTAROと相談し、もう一段踏み込んだ表現へ近づけていきます。
同じアルバムの「ブルーキャンディー」や「わかれうた」では、世界へ入り込んで歌う録音の楽しさも語っていました。
この違いから分かるのは、暁の歌が、あらかじめ決まった一種類の声を全曲へ当てはめるものではないことです。
すぐに気持ちが入る曲もあれば、頭にある表現へ声を近づける作業が必要な曲もある。
思い切り歌う姿の裏側には、曲ごとに合う声を探す、具体的な試行があります。

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強さを、声を荒らすことだけで測らない
暁が休養した2016年、奈緒は、暁が喉のケアを重ねていたことを明かしていました。
強い歌を続ける気持ちがあっても、体の状態は別に考える必要があったのです。
暁の歌で参考にしたいのは、いつでも声を限界まで追い込むことではありません。
荒い声、伸ばす旋律、内容を追わせる語り、音で遊ぶ言葉、相手を包む歌。
曲の中で必要な表現を選び、それが成立するよう周囲の音とも関係を作ることです。
「silly」で優しく歌うことが難しかったという話も、そこへ戻ってきます。
歌の強さは、音の大きさだけでなく、その感情に合う声を選べるかどうかにもある。
暁の歌い方の面白さは、激しい声の存在感を持ちながら、それだけでは届かない感情にも向き合っているところにあります。
こうした選択肢がどのように広がったのかは、暁(アルルカン)の歌唱変遷で時期ごとにたどっています。







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