アレックス・ターナーの初期の歌と、近年の歌を続けて聴くと、同じ人とは思えないほど印象が変わるかもしれません。
言葉を次々と押し出す青年の声が、低い音を揺らし、裏声へ伸びていく歌になっているからです。
ただ、その間には単なる年齢の変化では片づかない、歌への考え方と録音方法の選び直しがありました。
初期、自分の言葉で歌う声を選んだ
初期の録音を手がけたアラン・スミスによると、デビュー前のセッションで、ターナーがアメリカ風の発音で歌った曲がありました。
そこで自分自身として歌うのかを問いかけると、次のテイクでは地元ヨークシャーの声に戻ったといいます。
後に個性となる話し言葉に近い歌も、最初から何も考えずに出てきたものではありませんでした。
2006年のデビュー作では、会話の細部を歌へ収める「Red Light Indicates Doors Are Secured」と、ゆったりした「Riot Van」が同居しています。
勢いだけでなく、速度を落として言葉を置く場所も、すでにあったのです。
一方で、本人は後に、最初のザ・ラスト・シャドウ・パペッツの作品を作るまで、声を主に言葉を運ぶ手段として考えていたと振り返りました。
歌詞に強い関心があることと、旋律や歌声そのものの可能性を探ることは、まだ同じではなかったのです。
2008〜2009年、旋律と声そのものを意識する
マイルズ・ケインと組んだザ・ラスト・シャドウ・パペッツは、2008年に最初のアルバムを発表します。
二人を結んだ音楽にはスコット・ウォーカーがあり、ターナーは若いうちにこうした音楽を作ることへ惹かれていました。
言葉を鋭く投げるだけでなく、大きな旋律を歌う、別の入口ができたのです。
本人も、この制作で初めて、それまでと違う歌い方を考えたと話しています。
別のユニットで得た経験は、Arctic Monkeysで歌うときにも影響しました。
2009年の『Humbug』では、「My Propeller」の低く豊かな声が、従来の鋭い叫びとは違う陰影を作っています。
ただし、同じアルバムの「Pretty Visitors」には、息せき切るように言葉を送る歌も残ります。
低い声へ完全に置き換わったのではなく、曲に応じて別の人物のように歌う幅が増えていました。
同じ時期の「Cornerstone」では、傷ついたような声と旋律が、人の弱さを感じさせます。
暗い音楽へ進んだという説明だけでは、この親密な歌を取りこぼしてしまいます。
声に重さを加えることと、感情を柔らかく見せることが、並行して進んでいました。
2010〜2011年、静かな歌をバンドへ持ち帰る
映画『Submarine』に使われた歌の録音では、歌と演奏を一続きで捉える方法も試しました。
プロデューサーのジェームス・フォードは、ターナーが最初から最後まで歌い切れること、本人もそのやり方を楽しんでいたことを挙げています。
部分を積み上げるだけでなく、一曲を通して生まれる流れを残す経験でした。
「Piledriver Waltz」などの曲は、もともと本人がArctic Monkeysには静かすぎると考えていたものでした。
映画で使われた後、バンドの新曲と並べても合うと感じ、2011年の『Suck It and See』にも収録しています。
静かな歌を別の場所へ出したことで、バンドでもできる歌の範囲が広がったのです。
ここで変わったのは、声を大きくしたり低くしたりする技術だけではありません。
自分のバンドでは歌えないと思っていた曲を、自分たちの音楽として引き受ける判断も変わっています。

画像出典:画像掲載元
2013〜2016年、裏声と重なる声を曲の力にする
2013年の『AM』では、フォードが、それまであまり使っていなかったターナーの高い裏声に言及しています。
ニック・オマリーの低い声や、マット・ヘルダースの高い声も重ね、歌の組み合わせで展開を作りました。
太いギターの印象が強い作品ですが、歌では軽さや高さ、複数の声の差も大切になっています。
ただし、以前の言葉の勢いが消えたわけではありません。
本人は「Do I Wanna Know?」の歌と、初期の「From the Ritz to the Rubble」をつなげて考えています。
学生時代にルーツ・マヌーヴァを聴き、ヘルダースとビートを作っていた経験が、その間にも通っているのです。
2016年のザ・ラスト・シャドウ・パペッツの活動でも、声の組み合わせがきっかけになりました。
「Aviation」の終盤で二人のハーモニーを試したことが、再び一緒に作る方向を開いたのです。
一人でどう歌うかに加え、相手と重なったときに何が生まれるかを探していました。
2018年、自宅で生まれた歌を完成形へ残す
『Tranquility Base Hotel & Casino』へ向かう時期、ターナーは、ギターを持つと展開を予測できてしまうように感じていました。
30歳の誕生日に贈られたピアノは、まだ行き先のわからない曲を作る入口になります。
楽器を変えたことは、曲の形や歌の置き場所を考え直す機会でもありました。
自宅で曲を作りながら録った歌の多くは、完成したアルバムにも残りました。
後から歌い直しても、最初の表情を再現できなかったためです。
一方、「The Ultracheese」の歌はフランスでの録音が生きたと本人は説明しており、すべてを自宅のテイクでそろえたわけではありません。
ここでは、より整った歌へ置き換えることだけが仕上げではなくなっています。
曲を発見したときに出た声を、録音の完成度と引き換えにしてでも残す。
何をよい歌と考えるかという判断にも、変化が見えます。

画像出典:画像掲載元
2022年、声が入る場所まで含めて曲を作る
『The Car』では、当初もっと大きな音の作品へ向かう可能性もありましたが、制作中に方向が動いていきました。
ターナーは、前作で大切だったのはピアノそのものだけでなく、思いついた段階で録音する方法だったとも話しています。
一度見つけた音色を守るより、作りながら次の表現を見つけようとしていたのです。
「There'd Better Be a Mirrorball」は、歌が始まる前の長い導入で曲の空気を作ります。
本人は、この作品のアレンジについて、すべての楽器を同時に鳴らさず、音が出入りする余地を作ったと説明しています。
歌声だけを前へ押し出すのでなく、その声が現れるまでの時間も表現になりました。
この時期には、旋律が求める音に合わせ、使う言葉を選ぶことも意識していました。
本人によると、スタジオの音に影響されて歌詞を変える試みは『AM』のころから始まっています。
最初に考えた言葉を声で届けるだけでなく、声として歌いやすい形から言葉を見直す方向へも進んでいました。
過去の方向へ戻る試みが、自分たちを真似するように感じられることもあったといいます。
初期の歌い方を捨てるための変化というより、同じ感覚を繰り返してしまわないために、今の曲へ合う歌を探していたのでしょう。
2026年、昔のアイデアを今の声で組み直す
2026年の「Opening Night」には、『AM』の時期に生まれたリフやサビのアイデアが使われました。
ただし、当時の完成曲をそのまま出したのではなく、新しいヴァースや言葉を加えた作品です。
昔の曲想も、後の経験を通して別の形へ育てられることを示しています。
ヘルダースも、この録音には、10年、15年前にはできなかったハーモニーがあると話しました。
長く一緒に演奏してきた関係を保ちながら、声でできることは増えていたのです。
ターナーの歩みは、速い歌をやめて、落ち着いた歌へ移っただけではありません。
旋律を意識し、他人の声と重なり、一続きの歌や最初に出た声を残し、曲全体の中で声の居場所を選ぶようになりました。
その選択を具体的な歌の場面から見ると、変化の中にもつながっている個性が見えてきます。
声の使い分けは、アレックス・ターナー(Arctic Monkeys)の歌い方で掘り下げています。

こちらの記事もおすすめ

具体的な録音から、アレックス・ターナーの声の使い分けを考えます。


デヴィッド・ボウイが曲の中で声に与えた役割の変化をたどります。



コメント