岸谷香が歌う「Diamonds」は、時代を越えて残った歌です。
この曲と、新しいバンドで作る歌が、今の公演では隣り合っています。
その間に、声の届け方はどう変わったのでしょうか。
1980〜1990年代|バンドの前へ出る声と、ソロで広がる響き
プリンセス プリンセスの出発点には、自分たちの音楽を自分たちで作ろうとする意思がありました。
前身の赤坂小町では与えられた曲を演奏していたものの、メンバーが思い描いていたのはロックバンド。
その思いを確かめ合い、自作の曲や言葉で進む方向を選びます。
岸谷は幼い頃から曲を作っており、バンドのオーディションでも自作曲を歌っていました。
1994年、奥居香として発表した初ソロアルバム『Renaissance』では、歌の響き方も広がります。
冒頭の「Mercy」は、オーケストラを背に声を大きく響かせる曲。
ミュージカルのような華やかさがあり、バンドとは違う伴奏の中で声の魅力を引き出しています。
ソロで歌う可能性は、プリンセス プリンセス在籍中から試されていました。
1996年の解散を経て、翌年には伴奏の形を大きく変えます。
本人が選んだのは、キーボードを入れず、男性のドラム、ベース、ギターに自分のギターを加える編成でした。
以前と同じ形にせず、いったん気持ちをリセットして始めたかったといいます。
歌う人は同じでも、その声を囲む音を変えることで、新しい音楽へ向かったのです。
「ハッピーマン」(1997年の録音)
2012年|もう一度歌う「Diamonds」の意味が変わる
解散後、子育ての時期にも年に一度のライブなどは続いていました。
2012年の再結成に向けては、一年半ほどかけて準備を重ねたといいます。
再結成は、以前の歌を現在の自分で受け取る機会にもなりました。
「Diamonds」が生まれた頃に重ねていたのは、武道館公演のような特別な成功。
家族を持ち、震災を経験した後には、子どもが健康でいるような日常の小さな幸せにも、同じ輝きを見いだすようになったといいます。
歌詞を変えなくても、歌う人が大切に感じるものは増えていく。
この曲には、そんな変化が起こっていました。
2014〜2017年|一人で歌う時間が、歌の距離を変えた
2014年にソロ活動を本格化させると、バンドと並んで、弾き語りが大きな柱になります。
2015年12月の公演は「友達のまま」「ジュリアン」「DREAM」をピアノで届ける静かな始まりでした。
その後は楽器や声をその場で録音し、繰り返す音を重ねる場面もありました。
一人の演奏から歌の空間を作り、曲ごとに親密さやにぎわいを変える形が育っていきます。

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2016年には、一人で各地を回る弾き語りツアーへ。
最初は一人で公演を持たせられるか不安もあったといいますが、回数を重ねる中で、観客から返ってくる拍手の深さが印象に残りました。
そこで強まったのは、自分の音楽を必要としている人のためにも歌いたいという思いです。
歌を届ける相手の存在が、以前より具体的になっていきました。
2017年にニューヨークで歌った「パパ」には、その変化がよく表れています。
以前は娘の気持ちになって歌っていた曲を、このときは父と娘のやり取りを聞く母親の立場から捉えていたそうです。
若い頃の歌を現在の自分へ引き寄せることで、同じ物語に新しい視点が生まれます。
同年の『Dialogue〜涙の理由〜』では、チェロとの対話を軸に、声を別の響きへ置き直しました。
「パパ」や新曲を収め、初回盤の映像には「M」も収録。
過去の代表曲だけを並べるのでなく、今の曲と以前の曲を同じ小さな編成で扱う作品です。
歌と楽器の関係を組み替えることが、曲を新しく受け取る入口になっていました。
2017〜2018年|自分の声に重なる、もう一つの明るさ
弾き語りと並行して、2017年にはUnlock the girlsを結成します。
その前のツアーで女性のコーラスを迎えた喜びが、新しいバンドへ向かうきっかけの一つでした。
岸谷はそれまで、コーラスを外すことや、男性の声を加工すること、重ねる音の高さを変えることも試していたといいます。
自分の歌にどんな声を合わせれば、求める明るさが生まれるか。
その試行錯誤が、新しい仲間と歌う形につながりました。
2021〜2023年|客席へ向ける歌を、もう一度選び直す
新しいバンドでの活動が続く中、歌の届け方を見直すきっかけも訪れます。
2021年11月、岸谷は歌詞を表示するプロンプターに頼らず歌うことに挑戦しました。
Official髭男dismの公演を見て、客席へ視線を向け続ける姿に心を動かされたからです。
一つひとつの言葉が自分へ向けられていると感じられるステージを、改めて目指しました。
演奏の手元や表示された言葉へ向いていた意識を、目の前の人へ向ける試みでした。
メンバーも自主練習に付き合い、ハンドマイクで歌う曲を設ける提案が生まれます。
歌い手一人の課題を、バンド全体で支える形になったのです。
2023年には、弾き語りの組み立て方にも変化を感じていました。
自分が意図したとおりに伝わっているかをプロデューサーに聴いてもらい、曲順や見せ方を確かめる。
以前は大きな拍手や声援を求めていたものの、じっくり聴き入ってほしい場面も大切にするようになったといいます。
勢いで観客を動かす力に、静かな時間を作る意識が加わりました。
2024年|「Beautiful」で、メロディーの動きを広げる
2024年の「Beautiful」は、ダンスミュージックのトラックを受け取り、その上に旋律を作る方法から生まれました。
自分でコードとリズムを同時に考える普段の作曲とは、出発点が違います。
同じリズムとコードが続く中で変化をつけるため、声が動く範囲も広くなりました。
本人は、フェイクを含めると約二オクターブを使った曲だと説明しています。
同年7月の公演では、1997年のソロ曲「ハッピーマン」に、今のバンドの個性が表れました。
解散直後の男性ミュージシャンによる編成から、今度はサビに女性のコーラスが重なる演奏へ。
重いギターの響きと、歌の華やかさの対照が鮮明になります。
さらに、1988年のアルバム『HERE WE ARE』の曲も、鍵盤奏者を迎えて演奏しました。
新曲に挑みながら、過去の歌が今の声の組み合わせで更新されていったのです。

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2025〜2026年|言葉を伝える歌と、仲間へ開く歌
2025年の「ボディガード」では、亀田誠治との制作が新しい確認の場になります。
バンドの格好よさを伝えたい気持ちに加え、旋律と言葉が届くことを改めて重視しました。
最初に考えた、男性が女性を守る設定を、自分が歌う必然性のある母親の視点へ変更。
自分の経験と声が一つの歌につながりました。
2025年7月の公演では、「Dear」をほぼ声だけで始める構成も選んでいます。
少しのピアノ伴奏を添え、四人が楽器を持たずに並んで歌う。
「REGRET」や「One」でもコーラスを生かし、本人も、声の重なりに焦点を当てたライブだと語りました。
歌い手が一人で引っ張る強さに、仲間と声を合わせる強さが加わっています。
この時期にも、声を強く響かせる場面は健在です。
2025年の中津川のステージでは「世界でいちばん熱い夏」の力強い歌で始まり、「M」はピアノからバンドへ広がる構成で届けられました。
新曲の「ボディガード」と、観客も歌う「Diamonds」が同じ公演に入る。
今の言葉を持つ歌と、長く共有されてきた歌が、互いを支えています。
2026年に本人が大切な曲として挙げた「Signs」も、演奏を重ねて姿を変えました。
出発点は、シンプルなロックバラードを格好よく演奏できるバンドへの願い。
その後、弾き語りで育つにつれ、誰かの大切な人へメッセージを運んでいるように感じる歌になったといいます。
岸谷香の歌は、以前の輝きを保ちながら、誰へ何を届けるのかを深め続けています。
「One」「Signs」(2020年の自宅スタジオ配信)
現在の声の使い分けは、岸谷香の歌い方で掘り下げています。

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