鈴村健一の歌声の変遷|舞台への不安から、観客と歌を育てる声へ

鈴村健一/2018年『Going my rail』取材の掲載写真 シンガー
鈴村健一/2018年『Going my rail』取材の掲載写真

鈴村健一の歌は、目の前の人と一緒に育ってきました。
ライブを不安に思っていた時期を経て、観客へ声を渡し、その声を受け止める歌い手になっていきます。
その変化は心構えにとどまらず、声の扱い方や、昔の曲を歌い直す時の選択にも表れています。

2008年――声優の経験が、そのままソロ歌手の自信にはならなかった

2008年、「INTENTION」でソロ活動を始めた鈴村には、学生時代にバンドを組んでいたような音楽経験はありませんでした。
それでも、音楽が短い時間で人の感情を動かすことに可能性を感じ、自分でも取り組みたいと考えます。
用意された台詞を表現する経験から、言葉そのものを生み出す経験へ進もうとしたのです。
自分で歌詞を書くことも、始める際に希望した条件でした。

ただし、人前で歌うことへの不安は別にありました。
2015年の振り返りでは、活動初期のライブは心配で仕方がなかったと話しています。
ソロの舞台には、声の仕事とは別の自信が必要だったのでしょう。

2011〜2015年――歌を届ける意味と、会場で一緒に遊ぶ感覚

2011年のツアーは、東日本大震災後の電力事情を考慮し、アコースティック形式へ変更されました。
4月17日のShibuya-AXでは、「春の日よ」を力強く歌う一方、「フタリジカン」では優しく伸びやかな歌を届けています。
編成を小さくしても、歌の表情は一色になりませんでした。
「and Becoming」では客席と合唱する。
声を交わすライブが形になっていました。

鈴村健一/2011年4月17日、Shibuya-AXでのアコースティック公演
鈴村健一/2011年4月17日、Shibuya-AXでのアコースティック公演。
画像出典:画像掲載元

その後、大きな転機となったのが「SHIPS」です。
観客との掛け合いやライブ用の編曲で一体感が育ち、鈴村自身が舞台を心から楽しめるようになったといいます。
他の歌手の格好よさを追いかける気持ちから、自分の歌を丁寧に届ける意識へ。
2014年の『VESSEL』に収められたこの曲は、その変化を象徴する存在になりました。

2015年には、やり遂げた経験を積むうち、ステージで歌うことを以前よりシンプルに捉えられるようになったとも語っています。
何も考えずに歌えるようになったという話ではありません。
また不安になるたびにゼロへ戻るのではなく、前にできたことを次の舞台の支えにできるようになったのです。

2017年――歌の掛け合いを、舞台全体の遊びへ広げる

2017年の「NAKED MAN」ツアーは、バンドをヒーローのチームに見立てた舞台でした。
豊洲PITでは、「SHIPS」の掛け声を男性、女性、年代などで客席に振り分けています。
一人ひとりへ呼びかけを広げたのです。
歌を作って披露する活動から、観客が声を出す場面まで含めて作る活動へ、変化が具体的になっています。

2018年――変わった喉の使い方と、昔の録音への敬意

2018年の再録を振り返り、初期はライブのたびに声が枯れたが、使い方の研究で喉を制御できるようになったと話しています。
歌唱を続けるなかで、声の使い方を意識できるようになったのです。

ベスト盤『Going my rail』では、過去の曲に改めて向き合いました。
「INTENTION」などのNew Vocalは歌を録り直したもの。
一方、「あすなろ」「シロイカラス」のAnniversary Editionや、「月とストーブ」などのLive Arrange Versionも収録されており、同じ「再録」でも変更の範囲は一様ではありません。

「SHIPS」と「ミトコンドリア」は、ライブで明るさを出すために上げていたキーも反映しました。
原盤と違う高さは、歌える範囲の拡大を示すためでなく、会場で育てた形を残す選択でした。

「INTENTION」の再録で鈴村が感じたのは、経験を誇る余裕ばかりではありませんでした。
昔の録音には、その時にしか出せなかった初々しさがある。
緊張の末に、当時の自分を再現するより、今の自分で歌うしかないという考えへ落ち着いたのです。

声を扱いやすくなったことと、新しい録音が古い録音の価値を消すことは、別の話です。
歌い継いだ年月を持ち込めるようになった一方で、最初の一度にしかない表現も残る。
この両方を認めたところに、10年目の歌い直しの意味があります。

2019〜2022年――客席の反応を、次に歌う形へ返す

2019年1月6日の「WARAUTA」では、ファンから届いた曲の思い出を読み、関連する曲をメドレーで歌う場面がありました。
「新しい音色」「messenger」などをじっくり届ける姿には、歌を作った本人の思いに加えて、その歌を聴いて暮らしてきた人の時間を受け取る姿勢が表れています。

以前は、意図したことが伝わらないともどかしかったという鈴村も、2019年には解釈の自由を受け入れるようになったと話しています。
自分の思いを込めつつ、聴き手には聴き手の歌があると認める変化です。

同年の「My Life Summer Life」も、ライブで褒めてもらう喜びが制作につながりました。
今度は一緒に歌う人が褒められる曲にしたい。
そう考えて作られた夏の歌です。
声援を受ける側だった歌い手が、歌で相手へ返す。
観客との関係が、出来上がった曲の披露だけでなく、その前の制作にも入り込んでいます。

2021年には、歌の仕事と芝居を、互いに経験が生きる関係として説明しています。
発声の基本を歌で訓練すれば台詞にも生かせる一方、相手の話を聞き、反応することは演技の基本でもある。
音楽を始めた時の「声優へ還元したい」という思いが、声を扱う技術と、人に応じる表現の両面でつながってきたのです。

ところが2022年のツアーでは、観客が声を出せませんでした。
4月2日の豊洲PITでも、鈴村は掛け合いそのものをやめず、客席に心の中で応じてほしいと呼びかけます。
「リズム」では手拍子が応答になりました。
声が返らない条件でも、一緒に歌を進める関係を残そうとしたのです。

2023年以降――歌い続ける自分と、歌ってくれる人がいる

2023年10月8日の「ROOTS」神奈川公演では、「INTENTION」の1番を観客が歌いました。
鈴村は腕を広げ、その歌声を受け止めています。
続く「声」には、伴奏を離れたアカペラの歌唱もありました。
自分の歌声だけを前へ出し続けるのでなく、客席へ任せる時間と、自分の声で引き受ける時間が並んだのです。

鈴村健一/2023年10月8日「ROOTS」パシフィコ横浜公演(撮影:草刈雅之)
鈴村健一/2023年10月8日「ROOTS」パシフィコ横浜公演(撮影:草刈雅之)。
画像出典:画像掲載元

2024年の「満天FES」を振り返った際には、「月とストーブ」を、日が暮れる頃に歌いたかったと話しています。
冬の歌に、夕方の涼しさを重ねたかったものの、自然は思いどおりには進まなかったそうです。
何度も歌ってきた曲でも、その日の景色や空気と出会い直す。
昔の曲は、固定された過去の再現だけにはなっていません。

2026年の「ステラグラフ」も、「満天LIVE」を思い描いて作られました。
2024年には実現しなかった新曲作りが、次の開催をきっかけに動き、本人にとっても改めて創作へ向き合う機会になったといいます。
この時期の鈴村は、曲は聴き手に届き、同じ場所で歌うことで完成すると語っています。
同時に、30代で書いた曲を50代でも等身大で歌えることを大切にしている。
選ぶ言葉や声の扱いが変わっても、自分が長く歌えるものを作るという軸は残っています。

鈴村健一の変遷をつないでいるのは、昔の歌を捨てて新しい歌い手になることではありません。
声を扱う経験を重ねながら、同じ曲に、歌った場所や聴いてくれた人の時間を加えていくことです。
曲ごとの声の出し方や歌い分けは、鈴村健一の歌い方で掘り下げています。

2026年11月のシンガー人気投票。投票期間は11月1日〜11月30日。11月の投票はこちら。

こちらの記事もおすすめ

コメント

タイトルとURLをコピーしました