ラッセル・アレンの力強さは、最初から最後まで同じ声で押し続ける強さではありません。
ざらつく声で始めた曲が、サビでは明るい旋律へ開く。
別の歌手と重なるときには、言葉の運びや声の揺れまで合わせる。
大きな声の内側にある、こうした調整を具体的な曲から見ていきます。
「Nevermore」は、荒い声のままサビへ進まない
『Underworld』収録の「Nevermore」には、アレンの切り替えを捉えやすい対照があります。
歌い出し付近の唸るような声に対して、サビでは声の印象が明るく、軽やかになります。
当時の批評では、冒頭の粗さを強すぎると感じながら、サビへ進んだときの変化を歓迎する受け止め方もありました。
荒々しさをどう評価するかは、聴き手によって違います。
それでも、この曲をすべて同じ質感の歌として扱うと、肝心の対照が見えなくなります。
唸るような印象を引きずらず、旋律の伸びやかさへ場面を変えるところが、聴きどころになります。
アレン自身は、込み入った演奏の中でも、聴き手が曲をたどれる歌の旋律を大切にしていると話していました。
客席の全員が楽器の奏者とは限らないからです。
複雑な演奏に歌まで同じ複雑さで対抗するのではなく、言葉と旋律を感じ取れる道筋を置く。
力のある声を、曲の案内役として使う考え方です。
声のざらつきと、メロディーの分かりやすさは、ここでは対立するものではありません。
前者で曲の険しさを見せ、後者で聴き手を先へ連れていく。
高音だけを切り出すより、その直前にどんな質感で歌っていたかまで含めると、アレンの歌の起伏を捉えやすくなります。

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「We Will Fly」では、旋律の歌と攻撃的な歌が同居する
ソロ作『Atomic Soul』の「We Will Fly」について、本人は、Symphony Xでも歌ってきた滑らかでメロディアスな歌い方を使ったと説明しています。
バンドとは違う音楽を試したアルバムの中にも、馴染みのある声の運びは残っていました。
一方、この曲の歌唱を評価した批評家ピート・パルドは、旋律を大切にする部分と攻撃的な部分を行き来する強弱、そして豊かな声の重なりに注目しています。
滑らかさだけでも、勢いだけでも曲を終わらせない。
長い曲の中で両方を扱えることが、歌の表情を広げています。
同じアルバムの「Voodoo Hand」や「Blackout」では、ハスキーな歌声が太いギターのリフと並びます。
「We Will Fly」の大きく重なる歌とは、声の見せ方が違います。
同じ歌手の同じ時期の作品でも、何を前へ出すかによって印象は変わるのです。
滑らかに歌える人が、曲によって粗い声も使う。
この順序で考えると、ざらつきを単なる出しにくさと取り違えずに済みます。
反対に、すべての粗さを特定の発声技術名だけで説明する必要もありません。
まずは、どこで旋律をつなぎ、どこで声の手触りを変えるかに注目できます。
共演者が苦労したのは、高音だけでなくビブラート
Adrenaline Mobの「Come Undone」には、Halestormのリジー・ヘイルが参加しています。
Duran Duranの曲を二人で歌った、この録音について、彼女はアレンの声に合わせる難しさを語っていました。
特に挙げたのが、コントロールされたビブラートと声の力です。
ビブラートは、伸ばす音が細かく揺れる表現です。
同じ高さの音を出せても、揺れ方や声の強さが違えば、重なったときの印象は変わります。
彼女の言葉は、アレンの迫力を音の高さだけでは説明できないことを教えてくれます。
共演の相手が合わせようとしたのは、声の動きそのものでした。
Come Undone(2012年『Omertà』・短縮プレビュー)
もちろん、アレンの側にも、相手へ合わせる作業があります。
ヨルン・ランデとの制作では、別々の場所で録音しながら、ヨルンが言葉をどう発し、どう歌っているかを捉え、自分の歌を重ねていました。
二人とも強い声だから、そのまま足せばまとまるというわけではありません。
『The Showdown』では、その順序が逆になります。
アレンが先に歌ったため、自分で声の調子やエネルギーを決め、相手が合わせる土台を作る必要があったといいます。
同じデュエット企画でも、先に歌うか、後から重ねるかで、判断の役割まで変わっていました。

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強い声の相手にも、弱さを見せられる
アネット・オルゾンと歌う「All Alone」では、声の違いを関係性の表現へ使っています。
アレンは、澄んだ声のアネットに対し、自分は荒々しく力のある側だと説明しています。
その組み合わせなら、強い人物として歌いながら、同時に傷つきやすさも表せる。
二つの声の対照が、互いを恋しく思う歌を支えると考えていたのです。
彼がクリーンな声を出せないから、その役割になったわけではありません。
本人は、澄んだ歌も歌えると明言しています。
違いを生かした選択だったのです。
アネットも「All Alone」で、二人の声に鳥肌が立ったと振り返っています。
同じスタジオにいなくても、耳に届く相手の声に応えていたのです。
さらに「Love Her Like I Do (Ava's Song)」では、柔らかく話しかけるような声を選びました。
本人が気に入っているのは、耳元へ思いを渡すような、無防備な響きです。
大きく歌える能力と、いつ大きく歌うかという判断は、別々に考えられています。
歌い続ける難しさは、曲の複雑さだけでは決まらない
二つのバンドで歌っていたアレンは、Symphony XとAdrenaline Mobでは、身体に求められるものが違うと説明していました。
前者では、高い音から低い音まで幅広く歌うことが課題になる。
ただし長い楽器パートがあり、その間に息を整える余裕があります。
後者では、音域以上に、力と持久力が問われるといいます。
歌い手がステージを離れず、前に立ち続ける必要があるからです。
楽曲の構成が簡潔だから、歌うのも楽になるとは限りません。
どれだけ高く歌うかだけでなく、どのくらいの間隔で歌い続けるのかも、声の使い方に関わっていました。
アレンの歌を一つの「パワフルな発声」にまとめると、こうした選択が抜け落ちます。
「Nevermore」での質感の切り替え、「We Will Fly」での歌の幅、共演相手と合わせる揺れや言葉。
そして、近くへ語りかけるために控える力。
どんな場面でも最大の声を出すことより、その場面に必要な声を選べることが、アレンの強さを支えています。
その選び方が育ってきた過程は、ラッセル・アレン(Symphony X)の歌唱変遷でたどれます。

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