歌いやすいキーに直したのに、元の曲ほどしっくりこない。
ORANGE RANGEのYAMATOは、2016年に初期曲を歌い直す中で、そんな不思議さに出会いました。
若い頃は勢いで押し切れたものを、経験を積んだ自分がどう扱うのか。
その問いは、約10カ月歌わなかった時期を経て、ライブの前半と終盤を違う気持ちで歌う取り組みへ続いていきます。
2003年「キリキリマイ」――勢いごと残ったデビューの声
ORANGE RANGEは、YAMATO、HIROKI、RYOの3人が歌うバンドです。
2003年、「キリキリマイ」でメジャーデビューしました。
YAMATOは後年の取材で、当時は上京して録音するだけでも、何もかも分からない状態だったと振り返っています。
「キリキリマイ」2003年の楽曲・MV(YouTube公開は2023年)。
完成した歌い方を用意して大舞台に出た、という出発ではありませんでした。
後に初期曲を歌い直した際、自分たちに合わないキーのまま、勢いに任せて作った曲も多かったのだろうと感じています。
ただ、その勢いが聴き手に受け入れられたとも考えていました。
初期の声には、後から整えるだけでは取り戻せない、その場の思い切りも含まれていたのです。
2009年頃――動き続けなくても、歌を届けられる
ステージでの選択が広がった節目として、YAMATOが挙げているのが、2009年のアルバム『world world world』です。
それまでは、フロントマンなら動いてこそという感覚がありました。
この頃から、立ち止まったまま聴かせ、見せるライブも意識した記憶があると、2025年に語っています。
きっかけには、NAOTOが持ってくる曲への驚きがありました。
どうライブで演奏するのだろうと思うような曲が並び、その世界観に向き合うことで、自分たちの表現の幅も広がっていったそうです。
動きの大きさで客席を引っ張るだけでなく、曲の中にある景色をその場に作る。
歌うときの姿勢も、作品に合わせて選ぶようになっていました。
「瞳の先に」は、この時期のアルバムにも収録された曲です。
後年になって当時のライブを振り返ったYAMATOは、セットリストや照明、演出にも積極的に意見を出していたと話しました。
声を届ける時間を、舞台全体としてどう見せるか。
その関心は、ずっと後のツアーで一公演の緩急を考える姿にもつながって見えます。
2016年の再録――昔の曲を「正す」だけでは足りなかった
結成15周年の『縁盤』では、過去曲を今のメンバーで演奏し直すことになりました。
すでにベスト盤は出していたため、同じ曲を並べるだけでは終わらせたくなかった。
ファン投票による選曲や、共演してきた人たちとのコラボレーションも加え、それまでの活動を別の形で聴かせる企画でした。
YAMATOが強い思い入れを語ったのは「キリキリマイ」です。
今回は一発録りで、2016年のライブの空気を残そうとしました。
初めて東京のスタジオへ入った頃の曲に、今度は積み重ねた舞台の経験を持ち込んだのです。
「キリキリマイ」2016年『縁盤』の再録版。
権利者提供の公式音源。
再録では、歌いやすさと曲の魅力が簡単には一致しないことも分かりました。
合っていないと感じたキーを直して歌ってみても、思ったほどよくならない場合があったそうです。
若い日の無理も含めてできた曲を、現在の自分に合わせて整える。
その過程で、何を残すべきかが逆に難しくなりました。
アレンジの好みも変わっています。
NAOTOが担当した曲は原曲を生かして音を減らす方向で、YOHの担当曲には長さや展開を大きく変えたものもありました。
YAMATO自身は簡潔な音を好むようになりながら、昔の音が詰まった感覚も、当時の人たちが求めたものだったのだろうと振り返ります。
再録は、過去の未熟な部分を取り除く作業ではなく、今の気分へ寄せると何が変わるのかを考える機会になったのです。
歌わない10カ月で気づいた、続けていたから保てたもの
録音とツアーを重ねていた生活は、コロナ禍で大きく変わりました。
YAMATOは約10カ月、メンバーに会わず、歌うこともしなかったと話しています。
2022年のVocal Magazine Webの取材では、声が細くなったと感じ、それまであまりなかった裏返りも増えたと明かしました。
20年間、歌うことが日常だったため、続けることで保っていたものに気づく機会がなかった。
止まったことで初めて、自分の声の条件を意識したのです。
取材時には、今できることを続けながら徐々に戻していると語っていました。
経験が長くても、その時点の自分の声を確かめ直す必要がありました。
同年の『Double Circle』では、別の苦戦も起きています。
「Imagine」の自分のパートでリズムが取れず、何度も録り直したのです。
図を書いてもらえば仕組みは理解できるのに、歌うと合わない。
自分には特に不得意なものはないと思っていたYAMATOにとって、録音でここまで行き詰まるのは初めての経験でした。
「Imagine -Double Circle ver.-」2022年、権利者提供の公式音源。
本人は、それも新しい発見として面白く受け止めています。
声の状態を確かめることと、曲が要求するリズムを身につけること。
長く歌ってきた感覚に任せるだけでは進めない課題が、別々のところから現れていました。
歌う準備も、自分の状態に合わせています。
2023年の野外フェスの取材では、声が整うまでに時間がかかるため、ステージの1時間前にはウォーミングアップを始めると説明しました。
2022年にも、起きてからの時間を見ながら低い声から高い声まで整える習慣を話しています。
自分が歌いやすくなるまでの時間も含めて、舞台に上がる準備を組み立てていました。
2024〜25年――前半の冷静さが、終盤の解放を支える
2024年秋から2025年初めのホールツアーで、YAMATOは一公演の歌い方に新しい配分を試しました。
序盤は客席や会場の状況を見ながら、冷静にしっかり届ける。
最後のブロックでは一気に気持ちを解き放つ。
その切り替えを24公演を通して保てたのは、初めてだったのではないかと振り返っています。
求めたのは、一度の勢いだけでなく、公演ごとの安定した出来でした。
それまで強く意識してこなかった客観的な見方を取り入れたため、ツアーの頭から、かつてないほど緊張したそうです。
冷静に歌おうとするほうが、かえって緊張する。
それでも最後は周囲から意識を離して解放できたことが、自信につながりました。

写真出典:USEN encoreの2025年取材
ツアー初日に配信した「三線Punk」の置き場所にも、この公演の作り方が表れています。
セットリストを中心になって考えるHIROKIから本編の終わり方を相談され、YAMATOは新曲で締める案を出しました。
最初はどう受け取られるか不安もあった曲が、一本ずつライブを重ねる中で育っていく。
YAMATOは、そのノリや感触がよい方向へ進んだことを実感していました。
「三線Punk」2024年、ツアー映像を使ったMV〈Live Edition〉。
2025年の一発撮りで、原曲の歌割りも選び直す
『THE FIRST TAKE』の「イケナイ太陽」を準備する過程では、昔の録音との意外な違いにも気づきました。
音源で自分が歌っているのに、普段のライブでは歌っていない箇所がいくつもあったのです。
YAMATOはBillboard JAPANの取材で、今回は音源に沿って歌ってみようという相談があったと話しています。
ライブを続けるうちに変わった分担を、改めて確かめる機会でした。
「イケナイ太陽」2025年、『THE FIRST TAKE』。
一方、「花」では過去のツアーで演奏したアレンジを取り上げています。
YAMATOは、しばらく歌っていなかった版であることに加え、「イケナイ太陽」より伴奏が簡素だったため、こちらの収録ではさらに緊張したと語りました。
二曲を同じ方針で原曲へ戻したのではなく、それぞれに合う届け方を選んでいたのです。
「花」2025年、『THE FIRST TAKE』。
2016年には、今のライブの勢いを「キリキリマイ」の再録へ持ち込みました。
2025年には逆に、録音にあった歌割りを取り戻すことが、新しい選択肢になっています。
音源とライブは一方が完成形ではなく、その都度参照し合う関係になっていました。

YAMATOは後列左から2番目。
写真出典:ENCOUNTの2025年取材
YAMATO自身は2025年、録音もライブも昔から変わらない感覚があると語っています。
その言葉は、何も工夫してこなかったという意味ではないでしょう。
初期の勢いを大切にしながら、立ち止まって届ける方法、声を整える時間、一公演の配分、原曲へ戻す歌割りを選んできた。
「キリキリマイ」で飛び込んだ世界を、今も自分たちの歌として続けるための変化です。
一節の声やリズムをどう扱うかは、YAMATOの歌い方で詳しく取り上げています。

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