高橋優は、声を張って歌うことを、自分の強みとしてきた歌手です。
ところが2013年、ツアーを続ける中で声の問題に直面し、その歌い方を見直すことになります。
その後の歩みで興味深いのは、力を抜くことだけが目標になったわけではない点です。
曲が求める声に挑み、同じ代表曲でも、その日の自分と客席に合わせて歌う。
高橋優の歌唱は、全力で届けたいという思いを残しながら、そのために何をするかが変わってきました。
歌う場所を求めて、札幌の路上へ出た
高橋が札幌で路上ライブを始めたきっかけは、歌う場所がなかったことでした。
秋田では周りを気にせず歌えていたのに、移り住んだアパートでは隣室へ声が聞こえてしまう。
歌うことが自分にとって大切になっていた時期に、その場所を失い、ギターを持って狸小路へ出たのです。
路上での活動は、歌手になるために用意された舞台とは違います。
歌いたい自分がいて、通りを行く人がいる。
その間に、自分の声で関係を作っていく日々でした。
本人は、この頃に裏声を中心に歌うことも試したものの、自分には疲れやすく、自然な歌い方のほうが長く続けられたと振り返っています。
「この声」も、路上時代から長く歌っていた曲でした。
最初から一つの歌い方しか知らなかったわけではありません。
試してみて、自分が続けられる声へ戻る。
歌う場所だけでなく、そこで使う声も探していたことが分かります。
2012年、感情を出すことから、言葉を届けることへ
2010年に「素晴らしき日常」でメジャーデビューし、「ほんとのきもち」などを通して、歌が広く届くようになります。
2012年のアルバム『この声』について話す高橋には、歌を楽しむ余地が増えていました。
感情をあふれさせることに加えて、言葉をきちんと届けたい。
遊び心や力の抜けた表情も含め、曲ごとに違う取り組み方ができるようになっていたのです。
人前で歌うことに必死だった時期から、聴く人が何を受け取るかにも目が向く。
声の勢いを大切にしながらも、歌の中で意識することが増えていきます。
この変化は、のちに歌い方そのものを見直す以前から始まっていました。

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2013年のツアーで、いつも同じ全力では続けられなくなる
大きな転機は、2013年のツアー中に声を傷めたことでした。
本人は、それまで感情のままに強く歌うことを頼りにしていたと振り返っています。
その方法だけでは長く続けられないと考え、2014年頃から力の入れ方や声の出し方を変えていきました。
人に話を聞き、カラオケなど環境を変えた場所でも試しながら、自分に合う感覚を探ったのです。
声が出るかどうかだけでなく、どう出せば歌い続けられるのか。
ここで本人が向き合った問いは、路上で一曲を届けようとしていた時とは違います。
公演を重ねる歌手として、今日の歌と、その先に続く歌の両方を考える必要が生まれました。
マイクを使っているのに、生の声だけで届かせる時と同じように歌っていた。
後年の高橋は、当時の自分をそのように振り返っています。
気持ちを弱めるのではなく、伝えるための手段を増やす。
この視点を持つと、のちの高橋が声量の大小を選ぶことも、初期の熱量を失った結果とは違って見えてきます。
2014年の「BE RIGHT」には、明るく歌へ向かう実感がある
歌い方を探り直していた時期、表現する気持ちにも新しい広がりがありました。
2014年の『今、そこにある明滅と群生』を開く「BE RIGHT」について、取材者は、以前なら重さや皮肉を伴いそうな題材が、明るい方向へ表現されていると指摘しています。
高橋自身が語ったのは、人と会うことや好きなものへ向かう時の、実際に感じている楽しさでした。
歌う身体を見直す一方で、何を歌にして届けたいかも動いていました。
声の使い方と表現する感情が、別々の経験を通じて広がっていた時期と捉えられます。
このアルバムでは、同世代の池窪浩一らと意見を交わす制作も進みました。
それまで浅田信一に導かれることの多かった作業から、それぞれの知識を持ち寄り、答えを探す関係へ。
自分の内側にあるものを出すだけでなく、人と作る中で新しい表情に気づく。
「BE RIGHT」の明るさは、そうした時期の高橋の気持ちを知る一曲でもあります。
2022年には、歌いやすさだけで曲を決めなくなった
2022年の『ReLOVE & RePEACE』では、自分が楽に歌える音域だけに曲を収めなくなったと話しています。
「ever since」は低い歌い出しから高いサビへ進み、本人も録音やライブでの難しさを認める曲です。
歌いやすい範囲へ曲を寄せるだけでなく、生まれた曲へ自分の歌を近づけていく。
声の扱い方を見直してきた歩みは、難しい曲を避ける方向だけに進んだわけではありません。
何を作りたいかを先に置き、その曲をどう歌うかに挑む自由も残しています。
2021年の先行曲「ever since」のMV。

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2025年、身体への関心が、新しい声への好奇心になる
2025年の『HAPPY』を作った高橋は、身体そのものが楽器であるという意識や、身体の使い方への関心を話しています。
精神的に気合いを入れることだけでなく、どんな声を出せるかを知ることにも興味が向いていました。
2013年の転機は、歌い続けるために今の方法を見直す必要に迫られた出来事でした。
そこから長い時間を経て、身体を知ることが、表現の可能性を探す関心にもつながっている。
発声を意識することは、歌を慎重なものへ閉じ込めるだけではないのです。
この時期の高橋は、自分の強い色をもう一度出す気持ちで、自由に曲を作っています。
「BRAVE TRAIN」では、聴いてきた1990年代から2000年代のロックを制作陣と共有し、サウンドの方向も振り切りました。
声を扱う知識を増やしながら、作品では自分の好きなものへ踏み込む。
安全に同じ歌を繰り返すことへ落ち着くのではなく、新しく作りたい音楽との間で、歌う自分を更新しているのです。
15周年の歌は、昔の自分を再現するためだけにあるのではない
2025年の「エンドロール」について語る際、高橋は、活動の出発点にあった「駱駝」の頃の気持ちにも触れています。
当時の思いは今も残っている。
けれど、その時の衝動を現在の自分がまったく同じように出せるわけではない。
だからこそ、今の自分から新しい歌を作るという姿勢です。
過去を振り返ることと、過去の自分に戻ることは違います。
長く歌った曲がある人ほど、その間に変わった自分をどう歌へ持ち込むかが問われるのでしょう。
15周年を迎えた時期の高橋は、「明日はきっといい日になる」も、いつも同じ気持ちで歌うわけではないと説明しています。
歌う自分の状態も、聴きに来る人が抱えているものも、その日ごとに違う。
一度正解を決めて終わるのではなく、歌うたびに向き合い直しているのです。
その工夫の一つとして、「福笑い」を笑わず真顔で歌ってみることや、「明日はきっといい日になる」を過去のことを思いながら歌うことも挙げています。
言葉から連想する表情へ固定せず、どんな気持ちと声なら届くかを試す。
昔の曲ほど、当初とは違う表情を探す楽しみがあるといいます。
2025年「THE FIRST TAKE」でのアコースティック演奏。
声を張れば届けられると思っていた時期から、声の使い方を選び、同じ言葉の届け先まで考える現在へ。
高橋優の変遷で変わらず残っているのは、人に歌を届けたいという切実さです。
変わったのは、その思いを一つの力加減に託さず、声、曲、相手との関係から考えられるようになったことでした。
低い声、小さな声、言葉の発音をどう選んでいるのかは、高橋優の歌い方で曲ごとに掘り下げています。

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