荒々しく歌えるようになった後で、もう一度、滑らかな声を選び直す。
トビアス・サメットは、鍛えた声で、心地よく歌える方向も探し続けました。
憧れの声を追いかけて始まった歌
Edguyの出発点には、まだ歌も演奏も曲作りも身につけていない、14歳の仲間たちがいました。
トビアスは、全員が一緒に成長してきたと振り返っています。
完成された歌手がバンドを率いたのではなく、バンドで曲を作りながら、自分の歌を育てていったのです。
少年時代には、部屋でQueensrÿcheの「Take Hold of the Flame」を歌おうとして、うまく再現できなかったこともありました。
憧れたのはジェフ・テイトです。
後に同じ作品を作る相手になる名歌手も、最初はレコードの向こうにいる、簡単には届かない存在でした。
1999年に構想を始めたAvantasiaでも、動機には憧れがありました。
自分が好きなマイケル・キスクやカイ・ハンセンたちと、一緒に歌ってみたい。
その願いが、複数の歌手に役を与える『The Metal Opera』へつながります。
自分で歌うことと、違う声を迎えることが、早くから並んでいたのです。
マイケル・キスクについては、その声が自分を歌手にしたと語り、ビブラートにも影響を受けたと冗談を交えて明かしています。
憧れの声をまねることは、聴き方だけでなく、実際の歌い方にも入り込んでいました。
後に自分のビブラートを見直す際にも、出発点には好きな歌手から受け取ったものがあったのです。
2000年代、バンドの声を広げていく
初期のEdguyも一色の音楽ではありませんでした。
2004年の『Hellfire Club』では、異なる個性のバックボーカルやオーケストラを迎え、声の重なりを大きくする方法を考えています。
トビアスは、最初のアルバムと同じことを繰り返したいわけではないと話していました。
当初からあった好奇心が、後の変化にもつながっています。
2005年の『Superheroes』制作では、サシャ・ピートをプロデューサーに迎え、その作業に新鮮さを感じていると話しています。
曲によってAvantasiaの仲間と歌う案も考えていました。
声を聴き、提案を返してくれる相手と、曲の仕上がりを探る。
サシャとの継続的な仕事は、その後の歌唱を考えるうえでも欠かせません。
2008年の『The Scarecrow』も、最初からAvantasiaの続編を作るつもりで始まったわけではありません。
Edguyの外で自分の作品を作り始め、表題曲ができたときに、この音楽はAvantasiaにつながると感じたのでした。
バンドの中で合意を重ねる制作とは違う場所で、歌いたい曲を形にする自由を得ていきます。
周囲からは、声の使い方を広げる助言もありました。
共演者のエリック・シンガーは、トビアスの声を評価したうえで、デイヴィッド・カヴァデールやポール・ロジャースのような、ブルースを土台にした歌手にも耳を向けてほしいと伝えていました。
初期の歌に、本人が感じていた不満
2010年、トビアスは初期の録音にある自分のビブラートが好きではないと話しました。
エンジニアのミッコ・カルミラからも、身体を揺すられながら歌うようだ、と冗談を言われていたそうです。
高音域は保ちながらも、競うように高く歌うことより感情を重視するようになった、と本人は説明しています。
『Tinnitus Sanctus』(2008年)の「929」は、手応えを感じていた歌唱でした。

画像出典:画像掲載元
歌えることが増えると、曲の幅も広がる
Edguyの『Space Police』(2014年)を振り返った際にも、デヴィッド・ボウイを思わせる歌唱の箇所があると本人は話しています。
メタルの力強さの中へ、別の歌手から学んだ声の演技を持ち込む。
活動名義だけで歌い方を分け切れない広がりが、ここにも表れています。
2019年には、若い頃より歌唱や編曲でできることが増えた、とトビアス自身が説明しています。
本人の捉え方では、昔の音楽を捨てたというより、元々好きだった音楽を作品に入れられるようになったのです。
初期からHelloweenやIron Maidenと並んで、Queen、AC/DC、Def Leppardなども好きだった。
様々な音楽を扱えるように、表現の道具が増えていきました。
歌い続ける生活を、いったん立て直す
その一方で、制作とツアーを交互に続ける生活は、本人に大きな負担をかけていました。
曲を書き、取材に答え、様々な仕事を進め、また次のアルバムへ向かう。
自分で作った仕事のペースを、周囲も自分も当然のように受け入れてしまったと振り返っています。
音楽を楽しみ続けるために、速度を落とす必要がありました。
歌手としてできることが増えることと、いつでも歌い続けられることは、同じではなかったのです。
録音環境も変えました。
以前はサシャ・ピートのスタジオへ片道約300キロを移動し、数時間歌って帰ることもあったそうです。
『Moonglow』期から自分のスタジオを整え、その後さらに本格的な設備を作ります。
声のアイデアが浮かんだとき、長い移動を挟まずに録音できる。

画像出典:画像掲載元
2022年、荒さから離れて見つけた自分の声
『A Paranormal Evening with the Moonflower Society』(2022年)では、声が再び滑らかになったと本人が話しています。
サシャとの録音で、荒々しいロックの方向へ押し出されることもあったものの、いつも自分の好みと一致していたわけではありませんでした。
教わったことに感謝しつつ、声の仕上げ方を選び直したのです。
自宅のスタジオでは、仕事のためでなく、歌いたくてJourneyやQueenを歌うことも増えました。
録音やツアーで必要なときだけ歌う生活から、歌うことそのものを楽しむ生活へ戻ったのです。
歌う楽しさを取り戻し、コーラスも自分で作るようになりました。
このアルバムには、「The Wicked Rule the Night」の激しさと、フロール・ヤンセンと歌う「Misplaced Among the Angels」のバラードが同居しています。
滑らかさを取り戻しても、穏やかな曲だけには進みません。
強い曲も柔らかな曲もある中で、どんな声を置くかを考える余地が増えたのです。
2025年、Edguyで見せた遊び心もAvantasiaへ
『Here Be Dragons』(2025年)の「Creepshow」では、以前ならEdguyの曲だと考えたような、軽快でいたずらっぽい面をAvantasiaへ持ち込みます。
Edguyではユーモアを、Avantasiaでは深刻な幻想世界を表現するという分け方が、少しずつほどけました。
本人は、難しい時期を通った後で、遊び心も自分の大切な一部として取り戻せたと説明しています。
歌手の選び方にも、変化がありました。
このアルバムで最初から歌い手を想定していたのは、ジェフ・テイトの表題曲と、ボブ・カトレイの「Bring On the Night」。
多くの曲は、完成へ進めてから相手を考えています。
名歌手の顔ぶれを先に決めるより、自分が作った曲にどの声が必要かを見極める作り方です。
トビアスの変遷をたどると、初期の声を否定して新しい声へ乗り換えた、という一本道にはなりません。
憧れを追い、他人の助言を受け、荒さを学び、その経験を持ったまま滑らかさや遊び心を選び直している。
自分の声に納得するために、歌う環境も、作品の作り方も変えてきました。
その積み重ねが、豪華な歌手陣の真ん中に立つトビアス自身の表現を支えています。
曲ごとの声の使い方は、トビアス・サメット(Avantasia)の歌い方で掘り下げます。

こちらの記事もおすすめ

トビアス・サメットの声が曲を動かす仕組みを、具体的な作品から考えます。

ところが…

ジェフ・テイトは2013年に「Silent Lucidit…



コメント