エリック・クラプトンの歌を振り返ると、ギタリストが歌も上手になった、という説明では収まらない歩みがあります。
誰かに背中を押されて歌い、同じ代表曲を別の高さで歌い直し、録音方法まで変えて、その曲にふさわしい声を探す。
「Layla」と「Tears in Heaven」で知られる歌手は、自分の歌をどのように作り直してきたのでしょうか。
1992年の歌唱。
2025年公開の再編集・リミックス版。
1969〜1970年|歌うことを勧めた、デラニーの存在
クリームやブラインド・フェイスで名声を得たあと、クラプトンはデラニー&ボニーのバンドに加わりました。
そこでデラニー・ブラムレットから歌うことを勧められ、曲作りにも力を入れるようになります。
1970年には、自分の名前を掲げた最初のソロ・アルバムを発表しました。
ギターで注目されてきた人が、自分の歌を作品の中心に据える転機です。
それ以前のブラインド・フェイスでは、自作の「Presence of the Lord」さえ、スティーヴ・ウィンウッドに歌ってもらっていました。
自分が歌うことには、まだためらいがあったのです。
デラニーは、その本人にも見えていなかった可能性を信じ、ソロ作品の制作も引き受けました。
クラプトンは自伝で、デラニーが自分の中から知らなかったものを引き出したと振り返っています。
歌手としての出発には、声の能力だけでなく、その声を使ってよいと思える関係がありました。
同じ年にはデレク&ザ・ドミノスを結成し、『Layla and Other Assorted Love Songs』を録音しました。
ソロへ転じてすぐ、再びバンドの一員として歌う。
歌手として前へ出ることと、仲間の演奏の中にいることは、彼にとって両立する選択でした。
1970年の録音。

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元画像を変更せず掲載。
1974〜1977年|ギターの見せ場から、歌そのものへ
1974年の『461 Ocean Boulevard』では、以前の大きな身振りから離れた音楽へ進みます。
制作に参加したアルビー・ガルテンは、当時のクラプトンが、友人とバンドで良い作品を作ることを望んでいたと振り返りました。
穏やかな作品であっても、そこには人生をくぐってきた強さがある。
抑えた演奏を、単なる意欲の低下と見ることはできません。
クラプトン自身も1976年には、ソロを延々と続けて同じことを繰り返すより、曲そのものと、その届け方を大切にするようになったと語っています。
もう一度聴きたくなる形として残すこと。
その意識が、歌を軸に作品を組み立てる方向とつながっていました。
1977年の『Slowhand』に入った「Wonderful Tonight」は、その道筋を考えるうえで欠かせないバラードです。
発売当時から、少しかすれた歌声と、柔らかなギター、女性たちのコーラスが組み合わさった曲として受け止められていました。
ギターだけが主役なのでも、声だけが前へ飛び出すのでもない。
声の質感を、伴奏とともに親密な歌へ変える姿が、すでにここにあります。
1977年の録音。
1992年|「Layla」を低く歌い直した『Unplugged』
『Unplugged』では、昔の代表曲をそのままアコースティック楽器に置き換えるだけでは終わりませんでした。
「Layla」を準備した際、従来のリフをアコースティックで弾くと弱く感じたため、シャッフルのリズムを持つ、よりジャズ寄りの形を試したのです。
歌も全体を1オクターブ下げました。
本人は、その低い歌い方が作る雰囲気を気に入っていました。
元の高さを守ることより、今の編成で曲が生きる形を選ぶ。
よく知られた歌を、自分で聴き直すような転機でした。
1991年、クラプトンは幼い息子コナーを事故で失いました。
翌年の「Tears in Heaven」は、その悲しみを背景にした歌です。
この曲では、悲しみの扱い方にも別の答えを探しています。
後年、本人はこの曲について、怒りや自己憐憫のあるブルースとは違う感情だったと説明しました。
念頭にあったのは、ジミー・クリフやボブ・マーリーの歌です。
自分の土台がブルースでも、あらゆる思いを同じ型へ押し込める必要はない。
このバラードには、経験に合う歌の形を選び直す姿勢が表れています。
1992年の歌唱。
2025年公開の再編集・リミックス版。
1994〜1998年|ブルースの再挑戦と、スタジオで増やした声の選択
1994年の『From the Cradle』では、古いブルースに向き合い直しました。
ただし、尊敬する人の曲なら、すぐ自分の歌になるわけではありません。
「Sinner's Prayer」は、歌の強弱が大きく難しそうだと思っていたのに、実際には短い時間で録れたといいます。
反対に、特に大切にしていたマディ・ウォーターズの「Hoochie Coochie Man」は何度もやり直しました。
周囲が良いと感じる歌でも、自分が納得できるとは限らなかったのです。
1998年の『Pilgrim』では、別の方法で歌を掘り下げています。
エンジニアのアラン・ダグラスによると、制作中には曲の組み立てだけでなく、歌い方そのものもさまざまに試しました。
サイモン・クライミーと作るスタジオが、声を一つの正解へ急いで固定しない場所になっていたのです。
古いブルースを自分のものにする試みと、新しい曲のために歌の候補を増やす試み。
1990年代の彼は、両方の方向へ進んでいました。
『Pilgrim』(1998年)の録音。

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2010〜2016年|年齢を重ねた声と、子どもの頃からの歌
2010年、クラプトンは、若い頃は自分の声が好きではなかったが、今は好きだと語りました。
もともと惹かれていたのは、人生の重みを感じさせる年配の歌い手の声だったのです。
以前は、高く歌うほど表現力があると思い、自分が出せる高さに合わせてキーを選んでいたとも振り返っています。
年齢を重ねることは、若い声を失うだけでなく、憧れていた声へ近づくことでもありました。
同年のアルバム『Clapton』には、古いポピュラー音楽やジャズ、ブルースが並びます。
「Rocking Chair」と「My Very Good Friend the Milkman」、そしてJ.J.ケイルの「River Runs Deep」。
異なる時代やジャンルの曲を一枚で歌うことで、ブルース・ロックの歌手という枠から、もっと広いアメリカの歌の世界へ手を伸ばしました。
その選曲には、幼い頃の家庭の記憶もあります。
祖母や母、叔父が日常的に歌い、ジャズやスウィングのレコードが流れていた家で、クラプトンは育ちました。
2016年にも、そうした歌は今なお自分の中に蓄えられていると説明しています。
年齢を重ねて新しい趣味を得ただけでなく、子どもの頃に親しんだ音楽へ、自分の声で戻っていたのです。
『I Still Do』では、グリン・ジョンズと再び組み、バンドで一緒に録ることを重視しました。
必要な場合は歌を入れ直しながらも、まずその場で音楽を成立させる。
「Spiral」では、まだ歌詞がない段階で仮の歌を求められ、その場で出てきた言葉から曲が形になりました。
作り込む方法と行き来しながら、その瞬間に出る歌も作品へ受け入れています。
2021年以降|昔の曲を、今いる仲間と歌い直す
2021年には、公演の中止を受けて、旧知のメンバーと無観客の演奏を収録しました。
『The Lady in the Balcony: Lockdown Sessions』です。
大きな会場に戻る日を待つだけでなく、その時に可能な形で歌と演奏を続けました。
この作品の「River of Tears」は、小編成になったことで歌の感情が際立つ演奏として評価されています。
『Pilgrim』で時間をかけて作り込んだ曲を、別の人数、別の空間で歌う。
「Layla」や「Tears in Heaven」も、再び組み直されました。
過去の録音を守ることより、今いる仲間とその歌を成立させることが、ここでも続いています。
『The Lady in the Balcony: Lockdown Sessions』(2021年)の録音。
2023年公開の「Moon River」も、その歩みの一場面です。
先にクラプトンとクライミーがバラードとして録り、2022年春にジェフ・ベックがギターを加えました。
ベックの死後に急いで作った歌ではなく、生前に演奏を重ねた作品です。
声とギターの対話には、別々の時間に録った音を、互いに受け取る過程も含まれていました。
クラプトンの歌の変遷は、若い頃の歌を、より巧みに再現できるようになる道のりではありません。
同じ「Layla」でも、歌う高さと伴奏を変えれば、別の表情で差し出せる。
そうして曲に合う歌を選び直すことが、長い活動の中で繰り返されてきました。
声と伴奏をどう整え、言葉を届けるのかは、エリック・クラプトンの歌い方で掘り下げます。

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