ジャスティン・ビーバーの歌声の変遷|「Baby」の少年の声を、2026年の舞台へ持ち込むまで

2010年、MTV Video Music Awardsでのジャスティン・ビーバー シンガー
Philip Nelson / CC BY-SA 2.0

2026年4月11日のコーチェラ公演で、ジャスティン・ビーバーはステージに置いたノートパソコンを開きました。
流したのは、かつての自分が映るYouTubeの動画です。
「Baby」をはじめとする昔の曲や、デビュー前の歌う姿を客席と見ながら、短い部分を一緒に歌いました。
一曲を最初から歌い直す、という場面ではありません。
それでも、少年時代の声と、今の本人の声が同じ公演に現れたのです。

その少年の声が世界に知られたころ、本人は変声期を迎えていました。
決まった録音を何度でも再生できる一方で、歌う体は変わっていく。
そこからジャスティンは、声の高さを保つ以外に、曲を選び、録音を作り、自分の経験を歌う道を広げていきます。
2026年の舞台で「Baby」をどう扱ったかを見る前に、その間に何を選び直したのかをたどりましょう。

2010年|録音に残る「Baby」の声と、変わっていく本人の声

「Baby」は、2010年のアルバム『My World 2.0』に収められた、初期のジャスティンを代表する曲です。
多くの人が最初に覚えたのは、少年が恋の戸惑いを歌う、明るく高い声でした。

しかし、その録音が広まった時期に、ツアー中の本人の声は変化していました。
声を指導していたジャン・スミスは後年、変声期に重い公演日程が重なり、日を追うごとに声が出にくくなったと振り返っています。
ニューヨーク州の公演を、声を守るため中止したこともありました。
スミスが当時の彼に伝えたのは、変わった声がこれからの「普通」になる、ということでした。

客席が知っている「Baby」の録音は変わりません。
けれど歌い手は、毎晩その日の声でステージに立ちます。
少年の高音をいつまでも同じ形で再現することを、歌手の成長と考えるわけにはいかなかったのです。

2011年4月、インドネシアのMy Worldツアーでのジャスティン・ビーバー
2011年4月、インドネシアのMy Worldツアーでのジャスティン・ビーバー。
写真:adam sundana / CC BY-SA 2.0(Wikimedia Commons掲載のトリミング版)

2012年|「Boyfriend」を最初の一曲に選んだ理由

次のアルバム『Believe』に先立ち、ジャスティンがシングルに選んだのは「Boyfriend」でした。
発売時の取材で本人は、速い曲も数多くあったが、少しテンポを落としたかった、と説明しています。
以前より大人びた作品であり、自分にはその準備ができていると考えたのです。

発売当時の音楽評は、ささやくような低い歌い出しから、高い声のサビへ移る対比に注目しました。
「Baby」で広まった明るい高音だけを、曲の初めから押し出してはいません。

ここで大切なのは、変声期の結果としてただ低い曲を与えられた、という話ではないことです。
本人は、今後の自分の活動について周囲からさまざまな意見が出ても、最終的に決めるのは自分だと語りました。
共同制作者のマイク・ポズナーも、当時の流行に収まらない曲を一緒に作る試みに、ジャスティンが応じたと話しています。

「Baby」で覚えられた歌手が、次にどんな声で登場するか。
低い声で言葉を置き、高い声へ進む「Boyfriend」は、その答えの一つでした。
変化を隠すためではなく、新しい曲の入り方を自分で選んだのです。

2015年|声を前に出す一方、声そのものを楽器にもする

『Purpose』の制作では、歌声の扱い方がさらに広がります。
録音を担当したクリス・オライアンによれば、以前の作品ほど背景の歌を重ねず、主旋律の声をしっかり聴かせる方針でした。
ほかの声に隠れないぶん、言葉を置くタイミングや感情まで細かく整える必要があったといいます。
ジャスティン自身も歌の制作に関わり、自然だと感じる形を選んでいました。

その前段階でも、彼は曲を受け取るだけの立場ではありませんでした。
ジョシュ・グドウィンは、ジャスティンが好みそうなリズムや和音、曲の案を集め、本人がその日に表したい気持ちに合わせて選んだと説明しています。
歌う曲の候補を探すところから、本人の感覚を基準にした共同作業になっていたのです。

主旋律の声を前に出す方針がよく分かるのが「Love Yourself」です。
ギターと声を中心にした曲では、一人の歌い手の言葉が前に出ます。
柔らかい声で相手を突き放す、この一曲の細かな歌い回しは、ジャスティン・ビーバーの歌い方で扱っています。

録音が終わっても、その選択は続きました。
グドウィンはすぐに声を整え、ジャスティンがブースから戻った時に聴けるようにしていました。
本人はそこで、もう一度歌うかを判断します。
『Purpose』では三、四回録り直した曲もあり、完成に近づいてから歌を替えることもありました。

主旋律を目立たせる方針と、その声を本人が選び直せる手順が、両方そろっていたのです。
少ない声で自然に聞かせる歌も、簡単に歌って終えた結果ではありませんでした。

一方、同じ2015年の「Where Are Ü Now」では、声の一部を高く変えて、笛にも似た音として使いました。
共同制作したディプロが、その加工音はジャスティンの声から作ったものだと説明しています。
一人の声を近くに聴かせる曲と、声を加工して楽器にする曲。
その両方が、この時期の仕事にありました。

2015年11月、ローズモントのイベントでマイクを持つジャスティン・ビーバー
2015年11月、ローズモントのイベントでマイクを持つジャスティン・ビーバー。
写真:Lou Stejskal / CC BY 2.0(掲載用に縮小)

2020年|少年時代の自分を、今の歌の中に登場させる

「Lonely」でジャスティンは、若くして有名になった自分自身の孤独を歌にしました。
完成した曲を聴くのはつらかった、と本人は発売時に話しています。
乗り越えるのに苦労した時期を思い出すからです。
それでも、自分の経験を伝えることで、ほかの人もつらい経験を口にできるようになればと考えました。

制作を共にしたベニー・ブランコによれば、二人はこの個人的な曲を発表するべきか、長く話し合いました。
ベニーは、ジャスティンが歌う際に感情を抑えきれず涙する場面を見たといいます。
少年時代を題材にした言葉を、大人の本人が歌う。
それは単に昔の曲を懐かしむこととは違います。

相談相手のベニーが制作に関わり始めたのは、2009年の『My World』です。
後には「Love Yourself」も共作しています。
少年の声が広まった頃を知る仲間と、今度はその時代をどう歌い、公にするかを話し合ったのです。

MVでは、俳優ジェイコブ・トレンブレイが若いジャスティンを演じ、誰もいない客席へ向かう舞台に立ちます。
その姿を、大人になった本人が客席から見つめます。
制作側の説明では、当初は本人が鏡をのぞいてから空の舞台へ向かう構想でしたが、子役を起用する案はジャスティンから出ました。
録音では現在の声が当時の気持ちを語り、映像では現在の本人が少年の姿を見る。
二つの時期が、同じ作品に置かれています。

2025年|『SWAG』では、親密な音の中に声を置く

2025年のアルバム『SWAG』は、ディジョンやMk.geeらとの制作を含む作品です。
収録曲「DAISIES」の公式クレジットには、ジャスティンが歌い手・共作者として、ディジョンとMk.geeが制作者として記されています。
Apple Musicは、このアルバムを、初期の磨き上げたポップスとは異なる、楽器の質感や余韻を残した作品と紹介しました。

「Lonely」で私的な経験を歌にした後も、同じ曲調を繰り返したわけではありません。
「DAISIES」は恋人との関係を扱い、ギターを含む少ない音の中へ歌を置きます。
昔の自分を語る曲から、今の関係を歌う曲へ。
声を大きな飾りに包まずに聴かせる選択は共通していても、声を向ける相手は変わっています。

2026年|昔の声を流し、今の曲で公演を終える

冒頭のコーチェラ公演は、初期のヒット曲を順に歌い直す公演ではありませんでした。
当日のライブ評によると、前半の中心は『SWAG』『SWAG II』の曲です。
その途中でジャスティンはパソコンを開き、かつての「Baby」やデビュー前の歌唱動画を流して、短い部分を歌いました。
終盤にはMk.geeが加わり、「DAISIES」で締めくくります。

2010年には、録音に残った少年の声に、その日の本人の声を合わせ続ける難しさがありました。
2020年の「Lonely」では、少年時代の自分を映像に登場させ、現在の声で当時のことを語っています。
そして2026年、昔の動画は新しい曲を中心にした本人のステージに、本人の手で持ち込まれました。

そこにどんな気持ちを込めたかは、舞台を見ただけでは決められません。
ただ、かつての声を消したり、今の声で完全に上書きしたりもしない。
少年の「Baby」を短く歌い、現在の「DAISIES」へ進む。
ジャスティンの歌声の変化は、一つの声から別の声へ交換した歴史ではなく、時期ごとに違う声の使い道を選び、初期の声も今の歌の隣に置けるようになった歩みです。

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