ポール・マッカートニーの歌声の変遷|「歌い直したい声」を残すまで

2010年、ダブリン公演のポール・マッカートニー シンガー
Fiona / CC BY-SA 2.0

2013年、ポール・マッカートニーは「Early Days」の歌を録り直したいと思いました。
若い頃のジョン・レノンと自分を振り返る曲なのに、歌った言葉や、少しかすれた裏声が気になったのです。
ところが、プロデューサーのイーサン・ジョンズは、その声こそ残したいと言いました。
ポールは彼の判断を受け入れています。

ビートルズ時代のポールを知る人には、昔の力強い声との違いが気になるかもしれません。
それでも、歌い直せる場面であえて直さなかったのはなぜでしょうか。
若い頃から持っていた声の幅、同じ曲を別の場所で歌った経験、声を小さくして見つけた歌い方をたどると、その選択が見えてきます。

1965年――静かな歌の翌日に、荒い声を得たわけではない

ポールは1995年の取材で、ビートルズの「Yesterday」と「I’m Down」を同じ日に録音したと振り返りました。
弦楽器を伴う静かな歌と、シャウトするロック曲です。
この二曲は、優しい声から荒い声へと何年もかけて変わった結果ではありません。
同じ時期のポールが、曲によって別の声を選んでいた例です。

ここを押さえると、後年の声の変化を一つの「衰え」の物語にしなくて済みます。
若い頃から声を一種類に固定しなかった歌手が、時代や作品に応じて、何を前に出すかを変えていったのです。

1970年――一曲の中で、柔らかさと荒さを重ねる

ビートルズの終わりが近づいていた頃、ポールは妻リンダへ向けて「Maybe I’m Amazed」を書きました。
最初のソロ・アルバム『McCartney』に収めた録音では、ポールがピアノ、ベース、ドラムなどを重ね、リンダもコーラスや手拍子で加わっています。

音楽ライターのニール・クロスリーは、この1970年の歌について、曲が進むにつれて声に荒さと強さが増すと評しています。
落ち着いて語りかけるような部分も、激しく歌い上げる部分も、同じ人が同じ曲の中で引き受けました。
1965年には別々の曲で示していた二つの表情が、今度は一つの愛の歌に同居します。

ポールは後年、当時の自分にはビートルズから離れたい気持ちがあり、リンダもニューヨークでの生活を離れ、互いが支えになったと語っています。
強い声だけで勝ち切る歌ではなく、心細さも含む歌だったのでしょう。
少なくとも、この曲の出発点は、会場を圧倒するためのライブ曲ではありませんでした。

1976年――同じ歌を、今度はバンドの中心で歌う

その「Maybe I’m Amazed」は、ウイングスの1976年のツアーで再び歌われました。
一人で楽器を重ねた1970年のスタジオ録音とは違い、ポールは大きな会場でバンドとともに演奏しています。
このツアーの録音は翌1977年にシングルになりました。

1976年、ウイングス公演のポール・マッカートニー
1976年、ウイングス公演のポール・マッカートニー。
写真:Cropped version by Mr. Frank; original photograph by Jim Summaria. / CC BY-SA 3.0

クロスリーはライブ版を力強い歌唱と評価する一方、1970年の録音にあった無防備な印象は薄くなったと書いています。
それは六年で声だけが変わった、という単純な比較ではありません。
親密なスタジオ録音と、観客の前でバンドを率いる演奏では、同じ歌でも声に求められる役割が違います。

後年のポールが「1976年の迫力」を毎回再現しなかったことは、歌えるものが減ったという話だけでは説明できません。
曲にふさわしい声を探すという、若い頃からの考え方は続いていました。
ただ、その探し方が次の作品では大きく変わります。

2012年――大きく歌うのをやめて、古い曲に近づく

『Kisses on the Bottom』でポールが取り上げたのは、幼い頃から親しんできたスタンダード曲でした。
当初は大きな声で歌ってみたものの、本人は、伴奏者の演奏に自分の歌が合っていないと感じたそうです。
そこでフレッド・アステアを思い浮かべ、マイクに近づき、柔らかく歌うようにしました。

プロデューサーのトミー・リピューマは、「More I Cannot Wish You」でポールが歌う感覚をつかんだと振り返っています。
かつてのロックの声をそのまま古い曲へ押し込むのではなく、その場の演奏と釣り合う声を見つけたのです。

その準備は、曲名を並べるだけでは済みませんでした。
リピューマは本格的な録音に先立ち、すぐにキーを変えられるピアニストとポールのもとを訪れ、数日かけて曲を試しています。
好きで知っている歌でも、今の自分がどの調子で歌えば自然なのかは別の問題です。
試しに歌いながら、作品の方向と演奏者を選んでいきました。

2012年、ウルグアイ公演のポール・マッカートニー
2012年、ウルグアイ公演のポール・マッカートニー。
写真:Jimmy Baikovicius from Montevideo, Uruguay / CC BY-SA 2.0

同年の『Live Kisses』では、普段のベースやギター、ピアノを持たず、ダイアナ・クラールらの演奏に合わせて歌に専念しました。
そこには、自作の「My Valentine」もあります。
古い曲をただ懐かしく再現したのではなく、新しく書いた曲まで含めて、この小さな声の使い方を試していたわけです。

アルバムの「My Valentine」では、伴奏の作り方も見直しています。
最初はオーケストラと試しましたが、リピューマは少人数の演奏のほうに手応えを感じ、弦は後から加える方法へ移りました。
ポールにとっても、演奏者とその場で曲を形にする進め方は、ビートルズで親しんだものでした。
柔らかい声を見つける仕事を、周囲と応答できる録音の場が支えていたのです。

曲ごとに別の歌手を思い浮かべて歌う発想や、一曲の中で声をどう使い分けるかは、ポール・マッカートニーの歌い方で扱っています。
ここでの変化は、長年使ってきた大きな声を捨てたことではありません。
別の音楽に出会い、その音楽に合う声量と距離を選んだことです。

2013年――直せる声を、そのまま残す

冒頭の「Early Days」に戻ります。
若い日のジョンとの思い出を歌うため、ポールはスタジオの中央に座って声を録りました。
歌い終えると、言葉の一部やかすれた裏声が気になり、もう少し上手く歌い直せないかとジョンズに相談します。

ジョンズには、そうは聞こえませんでした。
不安定さも含めてポール本人の声であり、この曲はその声で歌うべきだと勧めたのです。
ポール自身も、後の取材で助言を聞いてよかったと話しています。

歌っていたのは、ビートルズとして名を知られるより前、ジョンと自分がまだ二人の少年だった頃です。
取材相手のニッキー・シックスは、語りかけられているような無防備さにひかれたと伝えました。
本人が直したかった箇所と、作り手や聴き手が曲の魅力と受け取った箇所が重なっていたわけです。
完成の判断を自分一人で閉じず、別の耳へ委ねたことが、この歌を残す決め手になりました。

1970年の「Maybe I’m Amazed」では、柔らかさから荒さへ動く声が、当時の歌を形づくりました。
2012年には、声を小さくすることで別の音楽に入れました。
そして「Early Days」では、昔を思い出す現在の自分の声を、磨き直さずに残しています。
「昔と同じように出せるか」だけでは、この録音で起きたことを説明できません。

2026年――思い出を、現在の歌として書く

『The Boys of Dungeon Lane』の「Days We Left Behind」でも、ポールはリヴァプールでの少年時代に戻りました。
本人はジョンや、かつて住んだフォースリン・ロードを思い浮かべた、記憶の歌だと説明しています。
2013年の「Early Days」と同じく、若い日の出来事を、若い日の録音の再現としてではなく、新しい曲にしました。

制作の相手はアンドリュー・ワットです。
二人はツアーの合間にロサンゼルスとサセックスで録音を重ね、約五年をかけてアルバムを作りました。
公式の制作説明では、レコード会社からの締め切りに追われず、納得するまで進められたとされています。
「Early Days」で残した率直さは、一度だけの例外として片づけられません。
思い出を今の歌へ作り直す時間を、次の共作者とも確保していたのです。

この2026年の曲だけで、声がどう変わったかを断定する必要はありません。
それでも、過去を歌う仕事が「Early Days」で終わらなかったことは分かります。
1965年に静かな歌と荒い歌を同日に録り、1970年に一曲で二つの表情を使い、1976年にはバンドと同じ曲を歌ったポール。
2012年には柔らかく歌う方法を探し、翌年には歌い直したくなった声を残しました。
同じ声を守り抜いた歴史というより、曲のために今の自分の声をどう使うかを選び続けた歴史です。

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