クラウス・マイネ(Scorpions)の歌声の変遷|声を取り戻した歌手が「Wind of Change」を歌い直した理由

2024年、ヴィエンヌ公演のクラウス・マイネ クラウス・マイネ(Klaus Meine)
Tilly antoine / CC BY-SA 4.0

2025年、クラウス・マイネは故郷ハノーファーの公演で「Wind of Change」を歌いました。1990年の録音で知られる、口笛から始まるあの曲です。ただ、この日の歌い出しは昔と同じ言葉ではありませんでした。2022年にウクライナへの思いを込めて歌詞を変え、2025年には世界各地の争いを念頭に、もう一度書き換えたのです。

一度は声を失い、歌手を続けられるかも分からなくなった人が、40年以上を経ても同じ歌をそのまま保存していない。マイネの変遷をたどると、若い頃は声そのものを変えようとし、復帰後は歌うための準備を変え、ついには曲に託す言葉まで選び直してきたことが分かります。

1960年代〜1980年|澄んだ声が嫌で、荒い声を求めた

マイネは、Scorpionsに入る前にポップスのカバーを歌っていた頃の自分の声を、鈴のように澄んでいたと振り返ります。しかし本人が憧れたのは、ジョン・レノンやロジャー・ダルトリーのような荒さでした。ロックを歌うため、自分の声をもっとざらつかせようとしたのです。

1970年代、バンドは公演と録音を重ねました。マイネによれば、五、六公演が連続することもあり、声を戻す時間が足りなかった。発声の技術や本番前の準備に十分な時間を割かず、いつも全力で押していたとも話しています。後年の本人が振り返る「荒い声」は、生まれつきの声をただ披露した結果ではありません。

1980年8月16日のモンスターズ・オブ・ロックで演奏した「The Zoo」は、声の危機に見舞われる前のマイネが歌った曲の一つです。

1980年、シカゴ公演のクラウス・マイネ、マティアス・ヤプス、ルドルフ・シェンカー
1980年、シカゴ公演のクラウス・マイネ、マティアス・ヤプス、ルドルフ・シェンカー。写真:International huckster / CC BY-SA 4.0

この時期のマイネを、後の声の危機を知った目で見て、どの公演で喉を傷めたのかと特定することはできません。ただ、本人が連続公演と声の使い方を振り返ったことは、次の録音で起きた出来事の背景になります。

『Blackout』制作期|「代わりの歌手を探して」と告げた

1982年に発売された『Blackout』の制作が始まると、マイネは思うように歌えなくなりました。本人の説明では、録音開始時から声の異変があり、診察の結果、声帯の問題で手術を受けています。話すことさえ控えなければならない時期があり、歌を試しても、すぐにはスタジオへ戻れる状態ではありませんでした。

マイネは仲間に、別の歌手を探してほしいと伝えました。ところがルドルフ・シェンカーは、あなたが歌うまでアルバムは完成しない、まず声のために必要なことをしてほしい、と待つ選択をしたのです。マイネは後年、その決断を友情の証しとして語っています。

手術後に歌えたことだけでは、復帰したと本人も言い切れませんでした。スタジオの一曲と、連日の公演では求められるものが違います。2012年の取材では、録音に戻ってもツアーを続けられるか心配し、その後の長い公演を終えてようやく自信を取り戻したと話しました。

「No One Like You」を収めた『Blackout』は、声が戻るのをバンドが待って完成させた作品です。

1984〜1990年|高く伸ばす歌だけが、彼の声ではなかった

声の危機の後、1984年の『Love at First Sting』には「Still Loving You」が入りました。切実な恋を歌うバラードであり、マイネの長く伸びる歌声を知る人には欠かせない曲です。これを聴いてから『Blackout』制作中の出来事を知ると、代表的な録音が、復帰を経て生まれたことに驚かされます。

その六年後、『Crazy World』に収められた「Wind of Change」では、曲の始まりを声を張り上げる歌ではなく、口笛に託しました。マイネによれば、1989年のモスクワでの公演から帰った後、曲を書いているとき手元にギターがなく、口笛で旋律を作ったのです。米国のレコード会社から外すよう求められても、本人は残しました。

ここでの違いを、声が弱くなったから口笛を使った、と説明する根拠はありません。むしろ本人の話から分かるのは、曲を生んだ経験と、その場で見つけた旋律を大切にしたことです。高音を伸ばす「Still Loving You」と、口笛で始まる「Wind of Change」。歌手の印象を決める二曲は、声を目立たせる方法からして違います。

2007年|経験豊富な歌手にも、初めての録音準備があった

2007年の『Humanity: Hour I』制作では、プロデューサーのデズモンド・チャイルドがヴォーカルコーチのエリック・ヴェトロを紹介しました。マイネは以前にもレッスンを受け、ツアーでは声を整えていました。それでもアルバム制作の間ずっとコーチと取り組むのは、本人にとって初めてでした。

すでに世界で知られる歌手なのに、録音のたびにその日の調子に任せないよう、新しい準備を習う。2007年の取材でマイネは、コーチの家で出会った俳優から、あなたにも練習が必要なのかと驚かれたことを話しています。しかし本人にとっては、学べることが残っているのがうれしかったのです。

同作の「Humanity」についてマイネは、バラードのような旋律から重いギターを伴うロックへ移る曲だと説明しました。静かな部分と強い部分が一曲にある。制作期間を通じて声を準備した時期の、新しい録音の一つです。

2015年にも、ヴェトロに学んだ練習をツアーとスタジオで続けていると話していました。若い頃は荒さを求めて全力で歌っていた本人が、後には休むことと準備することを、歌を続ける仕事の一部にしたのです。

2013年|「Still Loving You」を、別の伴奏で歌う

次に変えたのは、声だけではありません。2013年にアテネで収録した『MTV Unplugged』では、昔から歌ってきた曲の伴奏を作り直しました。マティアス・ヤプスは、準備中の「Still Loving You」を二本のギターとアコーディオンによるタンゴとして試したと話します。最終公演のすべてをその試作どおりと決めつけることはできませんが、原曲の音量を下げるだけではない作業だったことは伝わります。

1984年の録音と2013年の公演を比べるとき、声の違いを年齢だけに帰すことはできません。片方はスタジオで作られたロックバラード、もう片方はアコースティック楽器を中心に組み直したステージです。マイネはその違う演奏の中で、同じ歌にもう一度向き合いました。

2014年のアンプラグド公演でのクラウス・マイネ
2014年のアンプラグド公演でのクラウス・マイネ。写真:Tobias Cohrs / CC BY-SA 3.0

この企画では一人でギターを弾いて歌う「Follow Your Heart」も選んでいます。曲と声の相性や、伴奏を減らしたときに何を残すかは、クラウス・マイネの歌い方で掘り下げています。ここでたどっているのは、長年歌ってきた曲が、時期を変えてどう作り直されたかです。

2022〜2025年|新曲の作り方も、昔の曲の言葉も変えた

『Rock Believer』を作る前、マイネはいつもの順序を変えました。長年、ルドルフから曲のデモを受け取ってから歌詞を書くことが多かったのに、2019年にはデモを待たずに自分から言葉を書き始めたのです。その一つが「Gas In The Tank」。まだ新しい音楽を作れるのか、というバンド自身への問いを、先に歌詞にしました。

2022年のアルバムでは、全員で同じ部屋に入り、ライブの感覚を録音へ持ち込もうとしたとバンドは説明しています。「Gas In The Tank」のスタジオ演奏は、50年前の声を複製した資料ではありません。かつて声を失いかけた歌手が、仲間に新しい曲を催促する言葉を自分で書き、その曲を共に演奏している姿です。

同じ年、別の選び直しもありました。ロシアによるウクライナ侵攻後、マイネは「Wind of Change」のモスクワを歌う冒頭の言葉を、公演でそのまま歌うことに違和感を覚え、歌詞を変えました。2025年の公演では、争いのある場所を一つに限らず、平和への思いを歌う言葉に再び改めています。冒頭のライブ音源は、この後の版です。1990年の公式MVと比べる際には、同じ曲でも録音とライブ、伴奏と観客の有無が違うことを踏まえたいところです。

声を荒くしようとした若い日、歌えなくなった『Blackout』、コーチと準備した録音、昔の曲を組み直したアテネ公演。変わったのは声の出し方だけではありません。歌をどんな演奏に置き、いま何を言葉にするかも選び続けてきました。

「Wind of Change」を歌い直したのは、昔の録音を否定するためではないでしょう。本人が語るように、最初の曲は当時目の前で経験した変化から生まれました。その歌を現在の公演でも続けるため、今の世界に向けて歌える言葉を探した。マイネの歌声の変遷は、失った声を取り戻すところで終わらず、同じ歌に新しい意味を持たせるところまで続いています。

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