エイミー・リー(Evanescence)の歌声の変遷|歌えないと思った曲に、もう一度挑むまで

2011年、トロント公演のエイミー・リー エイミー・リー(Evanescence)
Naomi Lir / CC BY-SA 2.0

2018年のオーケストラ公演で、エイミー・リーは「The End of the Dream」を歌っていました。
2011年のアルバムには録音したのに、当時はライブで歌えないと思っていた曲です。
高く長い音を一度出すだけでなく、それを繰り返しながら、公演の残りも歌わなければならない。
好きな曲でも、その負担を考えて演目から外していました。

2017年の『Synthesis』で曲を録り直し、同年からの公演ではライブの前半に置いて歌うようになります。
ただ、曲を簡単に作り替えたわけではありません。
以前から望んでいた歌い始めを取り戻し、自分の声を演奏の前に出すことを選び、そのうえで一晩の曲順を考えたのです。
デビュー期の歌と、この再録を隔てた変化をたどります。

2003年――ヒット曲を歌いながら、まだ自分の声を探していた

エイミーは幼いころ、まず作曲家になりたいと考え、ピアノを学びました。
歌は後から、詩を自分の音楽にのせるために始めたものだったと話しています。
初期の舞台では人前に立つのも苦手で、客席と目を合わせて歌う練習までしました。
デビュー時から強い声で注目されても、本人が最初から歌手としての自信を持っていたわけではありません。

Evanescenceの『Fallen』から広まった「Bring Me to Life」も、そんな時期の録音でした。
本人によれば、曲を作り上げた年に歌ったため、録音時はまだ旋律に慣れている途中だったといいます。
後年、ステージで何度も歌った後の同じ曲とは、歌手自身の慣れも違っていたのです。

この曲の制作では、レーベル側から男性の声を加えるよう求められ、エイミーは最終的にゲスト歌手のパートを書きました。
本人が望んだ最初の形とは違いましたが、デビュー曲の成功に意味がなかったと言っているわけでもありません。
2022年には、その変更を当時は望まなかったこと、曲をきっかけにバンドを知った人へ、続く作品で自分たちらしさを伝えられたことの両方を話しています。

そのころは、自分の歌を録音の前面に置くことにもためらいがありました。
若いころは声が目立つのを怖がり、ミックスの奥に置きたかったと、2017年に本人が振り返っています。
一方で、ピアノや弦楽器を音楽の中心に据えたい思いも、結成当初からありました。
後の『Synthesis』は、突然ロックを捨てた企画ではなく、初期の音楽の中にあった別の面を大きくした作品です。

2011年――録音できても、ライブでは歌わなかった曲

「The End of the Dream」は、2011年のアルバム『Evanescence』に収められました。
エイミーが2018年に明かしたところでは、曲作りの初めには電子音やループ、歌を中心にした、音数の少ない形がありました。
バンドの曲へ仕上げる過程でテンポも雰囲気も変わり、力強いロック曲になります。
彼女は完成した録音も好きだった一方、初期案にあった不穏な歌い出しと言葉の重みを覚えていました。

録音と公演では、一曲に使える体力の考え方が違います。
2016年の取材で本人が特に挙げた難しさは、音の高さよりも、一つ一つの音が長いことでした。
動き回るライブでそれを保つのは難しい、と話しています。
スタジオで成立した歌を、そのまま一晩のセットリストに移せるとは考えませんでした。

2009年、サンパウロ公演で歌うエイミー・リー
2009年、サンパウロ公演で歌うエイミー・リー。
写真:Alexandre Cardoso / CC BY-SA 2.0

声が出なかったから歌わなかった、という話ではありません。
一曲の中で高い音が続くことと、公演全体を担うことを、エイミーは分けて考えていたのです。

2017年――歌の前に空間を作り、声を前へ出す

『Synthesis』でエイミーたちは、過去の録音にオーケストラを重ねただけではありません。
歌も伴奏も録り直し、弦楽器と電子音を使って曲を組み立て直しました。
元の作品にも弦や電子音はありましたが、大きなギターとドラムの後ろに隠れがちだったと本人は話しています。
新しい編成では、そこにあった細部と歌を、前よりはっきり聴かせられます。

だから、オーケストラを入れるためにバンドの仕事をなくしたわけでもありません。
ギター奏者たちは普段と違う音色を探し、ドラマーも電子的な音を使う。
それぞれが新しい編成の中で、何を受け持つかを考え直しました。
歌だけを前へ出そうとするのでなく、その歌を囲む側の演奏も変えたのです。

「The End of the Dream」では、2011年のロック版へ仕上げる前にあった、音数の少ない始まり方へ立ち返りました。
歌い出しは一定の拍に縛られず、言葉を進める時間を自分で選べる。
そこから大きな演奏へ進む形にしたのです。
高い音をなくすための再録ではなく、以前は遠ざかった歌い始めの表情を取り戻す作業でした。

この変化を、エイミー自身の歌への考え方も支えています。
若いころは声が目立ち過ぎるのを避け、ミックスの奥へ置きたかったといいます。
しかし『Synthesis』では、歌が近くで聴こえることに挑みました。
隠れる場所が減るのは怖くもある。
それでも、何年も歌った今なら、自分の声を前に出してよいと考えるようになったのです。

同じ方針で録り直した「Bring Me to Life」では、2003年版の男性パートを外しました。
元のヒットを否定するためではありません。
エイミーは、昔の録音に閉じ込められた判断を、今の経験で選び直せることを喜びました。
2003年にはまだ慣れていなかった旋律を、長年歌った後の自信と視点で歌う、と本人は話しています。

ただし、本人が掲げた条件は、新しい版をよくすると同時に、最初の演奏をよくしていた核も残すことでした。
長年の公演で身についた歌い回しを入れられるからといって、昔の曲を何もかも変更するわけではありません。
2003年の録音から何を受け継ぎ、どこを今の判断で変えるか。
再録では、その両方を考えています。

一曲のサビをどう作り、ギターと歌をどう組み合わせるかは、エイミー・リーの歌い方の記事で「Going Under」や「Sweet Sacrifice」を例に説明しています。
ここでの変化は、完成した曲を年月を経てもう一度歌うとき、声をどこに置き、言葉をどれだけ自由に進めるかという選択です。

2017~18年――ピアノの後ろを離れ、難しい曲も歌う

人へ任せることについても、エイミーの考え方は変わっていました。
映画音楽の共同制作などを経験した2017年の彼女は、若いころには一人でできると証明したかったが、成長するには自分の外へ目を向ける必要がある、と話しています。
自分で歌い、自分で曲を作れることと、すべてを一人で担うことは、同じではなくなったのです。

録り直した曲を公演で歌うと、変化はさらに具体的になります。
エイミーは「My Immortal」を長年ピアノの前で歌っていました。
2017年に始まった『Synthesis』の公演では、そのピアノを別の奏者に任せ、マイクの前で客席と向き合うようになります。
本人は、以前はできなかった目と目を合わせる関係が生まれたと振り返っています。

「The End of the Dream」も、ついに毎晩の演目へ入りました。
ただし、2018年の本人の話では、いまでも最も難しい曲の一つです。
長い高音を繰り返す必要があるため、声がまだ新鮮な公演の前半に置き、その後に回復できるようにしていました。
歌えるようになったという結果の裏には、再編曲だけでなく、公演全体を見た曲順の判断があります。

2003年にステージで人の目を見る練習をしていたエイミーが、2018年には、ピアノの後ろから離れて聴き手と向き合う。
同じころ、以前は歌えないと思った曲も、自分が望む歌い出しへ作り直し、順番を考えて届けていました。
昔の録音を未熟だったと消すのではなく、そこにある旋律を今の声と経験でどう生かすか。
エイミーの歌の変化は、その選び直しに表れています。

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