ブルース・スプリングスティーンは、若い頃より高い声が出しやすくなった、と話したことがあります。
2012年の発言で、本人が振り返った節目は40歳頃。
荒々しい声が年齢とともに落ち着いた、という見方だけでは、その歌の歩みを捉えきれません。
大きく歌う声も、話しかける声もある。
制作に携わったロン・アニエロも、登場人物に合う声を選ぶ姿勢を挙げています。
どの時期に、どんな歌を届けるために声を選んだのか。
作品と制作時の選択から、その変化をたどります。
1975年――憧れたのは、ロイ・オービソンの歌
『Born to Run』を作る頃、ブルースにははっきりした憧れがありました。
言葉はボブ・ディラン、音作りはフィル・スペクター、そして歌はロイ・オービソンのように。
荒々しいロックの人という印象からは、少し意外な組み合わせかもしれません。
オービソンの歌に求めたのは、日常の心の痛みを歌いながら、別世界まで視界を広げてくれる力でした。
夜、部屋でそのレコードを聴いていた経験を、後年の殿堂入りのスピーチでも語っています。
声の美しさをまねることだけが目標ではなかったのでしょう。
身近な人の物語を、大きな歌として響かせたい。
『Born to Run』の出発点には、そんな憧れがありました。
1978年――大きな音から、飾りを減らした風景へ
続く『Darkness on the Edge of Town』では、前作の壮大な音を、そのまま拡大する道を選びませんでした。
制作に関わったジョン・ランドーは、音数や装飾を減らし、孤独を感じる景色を求めたと振り返っています。
ブルース自身にも、成功によって自分を見失いたくない、育った場所や人々から離れたくない、という思いがありました。
明るい曲やソウル風の曲も作っていましたが、アルバムの方向に合わないものは外しています。
「Badlands」などの歌が置かれた背景には、何を強く響かせ、何を飾らずに残すかという選別がありました。
声の印象を変えたのは、歌手の年齢だけでなく、歌の周りに作る世界の変化でもあったのです。

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1982年――『Nebraska』で、一人の声を近くへ
『Nebraska』の主要な録音が行われたのは、1982年1月3日。
場所は大きなスタジオではなく、ニュージャージーの自宅でした。
最初はバンドへ渡すためのデモだった録音が、そのまま作品になります。
後に本人たちを取材したウォーレン・ゼインズが伝えているのは、バンドで録り直すと、歌の登場人物を見失ってしまうという問題でした。
音を立派にすれば、物語までよくなるとは限らなかったのです。
一人で歌うことで、声は話し言葉へ近づき、聴き手との距離も縮まる。
ゼインズは、そこにこの録音の大切な働きを見ています。
その距離で生きる人物のために、デモの歌を残したのです。
一方、『Born in the U.S.A.』へ向かうバンド録音も、1982年には進んでいました。
表題曲では、バンドが一緒に演奏し、複数のテイクから音を形にしています。
静かな『Nebraska』と、大きなバンドの音は、遠く離れた時代の姿ではありません。
近い時期に別々の出口を探していたことを知ると、歌の変化を単純な「静から動への転向」とは呼べなくなります。
2005年――物語を語る声に、裏声の表情も加わる
『Devils & Dust』では、声を通して別の人生を描く姿勢が、さらに前へ出ます。
表題曲にいるのは、イラクの検問所で、近づく車について一瞬の判断を迫られる若い兵士。
ブルースは、そうした状況に置かれた人間に心を動かされたと話しています。
自分自身の感覚を、他人の人生と重ねて歌へする方法です。
同じアルバムには、「All I'm Thinkin' About」のように裏声を生かした曲もあります。
重い題材を語る声だけで一枚を揃えず、恋心を描く場面では、別の声の表情を見せる。
当時の批評でも、この裏声は新しい歌唱の試みとして注目されていました。
フォーク寄りの作品に進むことは、声を一様に小さくすることではなかったのです。
2012年には、40歳頃から高音を歌いやすくなり、以前にはなかった裏声も使えるようになったと本人が振り返っています。
理由については、自分でもわからないと話していました。
だからこそ、特定の練習法や加齢の効果へ結びつけるより、本人が使えると感じる声が増えていた、という変化として受け止めたいところです。
2014年――昔の歌を、二人の歌に変える
『High Hopes』では、「The Ghost of Tom Joad」をトム・モレロとのデュエットとして録り直しました。
モレロは、ギターだけでなく歌にも参加しています。
その前からライブで育ててきた形を、正式なスタジオ作品に残したのです。
この曲は、もともとバンドで演奏するロックの曲として考えていたものの、当初はうまく実現できなかった、とブルースは語っています。
そこからアコースティックなアルバムへ進み、後にライブで再び形を探した。
モレロとの共演は、古い歌へ新しい飾りを付けるだけでなく、最初に思い描いた方向へ戻る機会でもありました。
モレロも、ライブで生まれた力を録音に残そうとしたと振り返っています。
長いステージで動き続けながら歌うブルースに驚かされる一方、自分は一つのヴァースを任されました。
一人で語ってきた歌を、別の歌手の声へも渡す。
そうした相手のいる表現も、過去の曲を生き直させていました。
2019年――『Western Stars』で、オーケストラの中へ
『Western Stars』は、1960年代末から70年代初めの南カリフォルニアのポップスを手がかりにした作品です。
多くの演奏家と作る音の中で、ブルースの歌にも新しい舞台が用意されました。
「Hello Sunshine」「Tucson Train」「There Goes My Miracle」などを収め、バンドの勢いだけでは描けない風景へ進んでいます。
この作品は、アルバム完成後にも姿を変えました。
映画では、バンドとオーケストラを伴って全曲を改めて演奏しています。
映画の歌唱を収めた『Songs From the Film』は、スタジオ盤とは別の録音です。
「Stones」では、パティ・スキャルファが歌に加わります。
ブルースは、二人で一つのマイクへ近づくと、長い年月を共にした感情がそこに入る、と語りました。
伴奏の豪華さだけでなく、誰と歌うかによっても、同じ曲の意味が深まったのです。

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2020年――今の声で、若い頃の曲を歌う
『Letter to You』では、Eストリート・バンドがスタジオで一緒に演奏し、短い期間でアルバムを作りました。
新曲とともに、1970年代に書いた「If I Was the Priest」なども、新たに録音しています。
古い曲を取り出すことは、昔の歌声をそのまま再現することとは違います。
曲が書かれた時期と、それを歌った時期が、このアルバムでは重なり合っています。
ブルースは、若い頃の発想を大人になった声で歌う楽しさを語っています。
過去の声にも、必要なら戻れると感じている。
古い歌い方を失って別の声に置き換わるのではなく、以前の表現を現在の作品へ呼び戻す感覚です。
2022年以降――作詞家の前に、歌い手として立つ
『Only the Strong Survive』では、自作曲を書く役割をいったん離れ、ソウルの名曲を歌うことに集中しました。
デヴィッド・ラフィン、リーヴァイ・スタッブスら、憧れてきた歌手たちへ向き合う作品です。
自分の人生から言葉を作る仕事と、すでにある名曲を自分の声で届ける仕事。
後者を正面から引き受けたことが、この時期の新しい焦点でした。
ただ、曲を選べばすぐに自分の歌になったわけではありません。
最初に作った一枚を見送り、フランク・ウィルソンの「Do I Love You (Indeed I Do)」を試したことで、方向が見えてきます。
その音域へ近づけるか、挑戦してみる。
本人にとっても、慣れた声だけで済ませる企画ではありませんでした。
2025年には、『Nebraska』を曲順通りに演奏した新しいライブも、拡張版に収められました。
同じセットには1982年の未発表録音も入っていますが、こちらは当時の記録です。
古い録音が出ることと、今の本人が昔の曲を歌うことは、分けて聴きたいところです。
本人は、再び演奏することで、この曲群の重みを改めて感じたと話しています。
ブルースの歩みをたどると、繰り返し現れるのは、歌の人物が生きる声を探す仕事です。
一人の声を残すことも、仲間と演奏することも、昔の曲へ戻ることも、そのための選択でした。
曲や場面ごとの声の使い方は、ブルース・スプリングスティーンの歌い方で詳しく見ていきます。







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