フランク・シナトラの歌声の変遷|なめらかな青春の声から、人生を語る声へ

録音中のフランク・シナトラ(1950年代初め、写真:M. Garrett/Getty Images) シンガー
録音中のフランク・シナトラ(1950年代初め、写真:M. Garrett/Getty Images)

フランク・シナトラの若い頃の歌には、旋律が途切れず流れていくような優美さがあります。
その声は、やがてバンドと弾み、人生を振り返る言葉を引き受け、晩年には荒さを含みながら語る声になりました。

ただし、年齢を重ねるほど強く歌うようになった、という一本道ではありません。
1960年代には、声を柔らかく抑えたボサノヴァにも取り組んでいます。
声の変化と、その声をどんな音楽に置くかという選択を、一緒にたどると見えてくる歩みです。

若い声の魅力は、長く続く旋律にあった

1939年にハリー・ジェイムス楽団へ加わり、1940年からはトミー・ドーシー楽団で歌ったシナトラ。
本人は、ドーシーの演奏から、息をいつ、どう使うかを学んだと振り返っています。
すでに才能は完成していたという共演者の見方もあり、すべてをこの時期に初めて覚えたわけではありません。

1942年の「Night and Day」では、旋律をつなぎ、曲の区切りを越えて思いが続くように歌います。

その後のコロンビア時代には、編曲家アクセル・ストーダールとの関係が深まります。
「Nancy(with the Laughing Face)」では、弦やハープが歌の背景を細やかに彩りました。
柔軟な声と言葉の表情を、編曲が支える。
初期のシナトラらしさは、その組み合わせでも育っていきました。

CBSで歌うシナトラ(1944年、写真:Herbert Gehr/LIFE/Getty Images)
CBSで歌うシナトラ(1944年、写真:Herbert Gehr/LIFE/Getty Images)。
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スウィングへの道は、1950年にも始まっていた

後年の堂々としたスウィングは、1953年のキャピトル移籍を境に突然生まれたものではありません。
1950年の『Sing and Dance with Frank Sinatra』では、すでに踊れる曲をまとめ、バラード歌手という印象を広げようとしていました。

ところが、この録音時期には声の不調も重なります。
アルバムの新しい歌唱の多くは、先に録ったバンドへ後から声を重ねる方法で作られました。
歌と楽器が同じ場所で同時に響く録音とは、音の距離も異なります。
この頃の声の印象を考えるときは、身体の変化だけでなく、録り方の違いも関わるのです。

1953年にキャピトルと契約すると、本人は、小細工に頼った曲からリズムのある曲へ、さらに美しいバラードへ進めるという期待を語りました。
戻りたかったのは、歌で曲のよさを伝えられる場所でした。

一曲の物語から、アルバム全体の物語へ

1954年発売の『Songs for Young Lovers』は、その再出発を形にした一枚です。
指揮はネルソン・リドルですが、収録曲の大半の編曲は、以前から組んでいたジョージ・シラヴォによるものでした。
新しい会社、新しい協力者へ進みながら、以前の仕事も受け継いでいます。

収録曲「A Foggy Day」には、リズムに乗る余裕と言葉の遊びがありました。
思いに沈む導入から、明るさのある本編へ進む中で、最後には一つの言葉を繰り返して喜びを広げています。
旋律に沿って美しく流れる声へ、言葉の扱いで場面を動かす面白さが加わりました。

この時期のシナトラが広げたのは、一曲を歌い切る力だけではありません。
曲を選び、順番を決め、一枚を通して感情が動くようにする力です。
LPが普及する中で、歌の主人公を、一曲より長い時間にわたって描けるようになりました。

1955年の『In the Wee Small Hours』では、小さな編成の親密な響きも選びました。
ピアニストのビル・ミラーによると、数曲を録った後、その音をアルバムの一部に生かす方向を決めています。
録音で得た感触が、歌を包む音の景色を変えていきました。

翌年の『Songs for Swingin’ Lovers!』では、大編成の楽団が動きます。
「I’ve Got You Under My Skin」では、シナトラ自身が、間奏へ向けて緊張を高める展開を求めました。
歌っていない時間も、声が戻るときの表現につながっています。

ミラーは、ビリー・メイらとの仕事を経て、シナトラがリズムをより意識し、スウィングする力を増したと振り返っています。
新しい編曲家と組むことは、歌の背景を取り替えるだけでなく、自分の歌を動かす経験にもなっていました。

1965年、自分の年齢が歌の主題になる

『September of My Years』は、1965年春、ゴードン・ジェンキンスと録音した作品です。
「It Was a Very Good Year」「This Is All I Ask」など、過ぎた時間を見つめる歌が並びます。
若い恋の当事者として歌うだけでなく、恋や人生を振り返る人の立場を引き受けたアルバムでした。

ここでは、曲の並びそのものが、年を重ねた声の意味を作っています。
一曲ごとの思い出が、同じ歌手の声で続いていく。
初期に聴かせた旋律の美しさに加え、その言葉を今の自分が歌うという説得力が、作品の中心へ来ています。

ジョビンとの共演で、柔らかさを選び直す

1967年、アントニオ・カルロス・ジョビンとの共演では、柔らかな声を前に出します。
「The Girl from Ipanema」や「Quiet Nights of Quiet Stars」では、その歌がボサノヴァの伴奏と出会いました。
堂々たる歌手となったシナトラが、繊細な方向へ声を置き直した録音です。

1969年の追加録音では、編曲をエウミール・デオダートが担当します。
「One Note Samba」では、低い位置で話すように進む歌もありました。
同じジョビンの音楽でも、1967年の録音とまったく同じ形を繰り返したわけではありません。

シナトラとジョビン(1967年、写真:Ed Thrasher/Frank Sinatra Enterprises)
シナトラとジョビン(1967年、写真:Ed Thrasher/Frank Sinatra Enterprises)。
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「My Way」は、シナトラの言葉として書かれた

1969年に発表した「My Way」は、人生を語る歌手としての印象を強く残しました。
英語詞を書いたポール・アンカを動かしたのは、シナトラが引退を口にしたことです。
アンカは、シナトラ自身が書いているつもりで、その人の言葉遣いを思い浮かべて書きました。

だからこの歌では、歌詞の人物と、歌う人の姿が近く感じられます。
アンカは自分で歌うよりも、シナトラにこそふさわしいと考えていました。
旋律を美しく歌うことに加え、一人の人間が自分の時間を振り返っているように伝える。
その役割が、歌手の歩みと結びついた曲なのです。

晩年の声は変わった。それでも表現は残った

1971年の引退後、1973年に復帰すると、曲によってキーを下げるようにもなりました。
ミラーは1975年に、半音や全音下げる曲がありながらも、難しい曲をすべて避けたわけではないと話しています。
以前と同じ高さに固執するより、今の声で曲を成立させる選択でした。

ミラーは、衰えだけを指摘する批評には反対していました。
毎晩まったく同じ状態とは限らなくても、公演全体を歌う力がある。
共演者が見ていたのは、一つの高音の成否より、長い時間を観客へ届ける歌手の姿です。

1982年のカーネギー・ホール公演の批評では、重く、かすれを含む声とともに、「Come Rain or Come Shine」の遅い歌や「The Lady Is a Tramp」の弾む表現が評価されています。
声は変わっても、リズムと強弱で伝える力が残っていました。

1993年の『Duets』でも、その両面が現れます。
声のざらつきがある一方、「Come Rain or Come Shine」の終盤には力があり、「One for My Baby」の疲れを含んだ歌には、別の感情の重みがありました。
昔と同じ曲や編曲だからこそ、変わった部分も、なお届く部分も見えやすくなります。

制作したフィル・ラモーンによれば、相手の歌手たちは、シナトラと同時にその場で歌ったわけではありません。
別々の歌を作品として組み合わせた共演です。
初期から続いた楽団とのやり取りとは、録音を作る条件も変わっていました。
声の年月に加え、歌を届ける方法の年月も刻まれています。

シナトラの変遷は、美声から衰えへと片づけると、途中にある選択が見えなくなります。
長くつなぐ歌、バンドと弾む歌、声を柔らかくする歌、年を重ねた言葉を置く歌。
その時々の声で、歌の人物を生かしてきた歩みでした。
息や言葉の具体的な扱いは、フランク・シナトラの歌い方で見ていきます。

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