堂本光一の歌声はどう変わった? 「硝子の少年」を歌い続け、20代の「I」を歌い直すまで

チェックのジャケットを着た堂本光一 シンガー
2025年の堂本光一。撮影:Shintaro Oki(fort)/出典:Billboard JAPAN

2025年のソロツアーで、堂本光一は「I」を歌う前に、20代で書いた曲を40代後半の自分がどう表現するか、と客席に話しました。
2003年にはKinKi Kidsのシングルに収録された自作曲です。
それを22年後、自分のソロアルバム『RAISE』に録音し直していました。

若い日の曲を歌い直すとき、光一は何を変え、何を残すのか。
その問いは「I」だけでなく、十代から歌い続けてきた「硝子の少年」にもつながります。
本人は、年齢を重ねるほどこのデビュー曲を歌うのが難しくなり、今も緊張すると明かしています。

慣れた代表曲が簡単になるとは限らない。
それでも長く歌い続け、かつて自分で書いた歌も今の自分に引き寄せてきました。
2025年に録り直した「愛のかたまり」では、二人の歌の担当まで変えています。
年月を経た声をどう使うかは、曲ごとに選び直すことでもあったのです。

1997年、「硝子の少年」は将来も歌うための曲だった

KinKi KidsのCDデビュー曲「硝子の少年」は、1997年7月21日に発売されました。
作詞は松本隆、作曲と編曲は山下達郎。
当時の光一と堂本剛は十代で、曲名の「少年」は二人の現在と重なっていました。

けれども山下は、少年の時期だけで歌い終える曲として渡したわけではありません。
2022年の取材で山下は、発売当時はアイドルの曲にしては暗いと批判され、二人も不安そうにしていたため、40歳になっても歌っていける曲だと励ました、と振り返っています。
光一も同年、山下から30代、40代、50代になっても歌える曲として受け取ったと話しました。
そして実際に大人になっても、今歌うことを恥ずかしく感じないといいます。

山下は当時の二人の歌入れにも付き添いました。
山下によれば、剛が一時間ほどで録り終わるところを、光一は二時間かけたそうです。
光一の声量を評価し、時間をかけて丁寧に仕上げればよいと考えていた。
デビュー期の光一の歌声には、作り手と録音に向き合った時間がありました。

2003年、自分で書いた「I」をKinKi Kidsの盤へ

「I」が発表されたのは2003年8月。
KinKi Kidsのシングル「薄荷キャンディー」通常盤の3曲目でした。
光一が作詞・作曲し、松本良喜が編曲しています。

光一が自分で書いて歌う曲でも、発表の場所はKinKi Kidsでした。
表題曲だけを追っていては出会いにくい、通常盤のカップリングに、自分の詞と旋律を置いていたわけです。
後年のソロアルバムで改めて取り上げるまで、この曲には、グループの作品を通じて聴き手に届いてきた時間がありました。

2025年の公演を取材した記者は、この歌を女性の目線で描いた曲と紹介しています。
若い光一は、自分の年齢や立場をそのまま歌うのではなく、別の人物の気持ちを言葉にしていました。
歌詞を書いた本人が、年月を経てその人物をどう歌うか。
後年のセルフカバーを面白くするのは、そこです。

2004年に高かった曲は、2022年も難しい

2004年、フジテレビの音楽番組の収録後に光一へ話を聞いた制作側のきくちは、つんく♂と歌ったその日の「硝子の少年」に音楽的な成長を感じたと伝えました。
光一は、異なる分野の人と一緒に音楽を作る面白さを話しつつ、この曲のキーはやはり高かったと笑っています。
制作側の評価では歌が育っていても、歌う本人には簡単な曲になっていませんでした。

この日の会話では、何度もリハーサルを重ねたことも話題になりました。
光一は練習そのものは嫌いではないとしながら、その日は疲れたと答えています。
一緒に歌う人や演奏、収録の進め方が変われば、慣れた曲でもその場で対応することが生まれる。
持ち歌であることだけを頼りにはできない、番組での歌の現場が見えます。

さらに2022年。
光一は、大人になっても歌える曲だと確かめる一方、年を重ねるほど歌うのが難しいと明かしました。
何度も歌ってきたデビュー曲なのに、歌う時の緊張は消えていません。

山下の「40歳になっても歌える」という言葉は、40歳になれば楽に歌えるという意味ではなかったのです。
2004年にはキーの高さに触れ、2022年には年月を経て難しさが増したと語る。
それでも本人は、今歌っても恥ずかしくない、とこの曲への信頼を失っていません。
歌いやすさと、歌い続けたいと思えることは別なのでしょう。

2022年に公開された公式の新しいライブ映像でも、二人は「硝子の少年」を歌っています。
1997年の曲は、懐かしい映像の中だけにとどまっていません。

2025年、「I」を46歳のソロ歌手として引き受けた

2025年9月発売のソロアルバム『RAISE』通常盤には、「I」がボーナストラックとして収められました。
レーベルは新たなアレンジによるセルフカバーと紹介しています。
2003年のKinKi Kids盤も2025年のソロ盤も、作詞・作曲は光一、編曲のクレジットは松本良喜。
作り手の名前を残しながら、曲は新しく録音されました。

新しいアルバムの通常盤で、長く聴かれてきた自作曲をもう一度録る。
昔の音源をそのまま収録する方法もある中で、光一は今の声で歌い直す方法を選びました。

その年のツアーでは、名古屋の客席にこの曲が好きな理由を聞いてみたら静かになってしまった、という話で笑わせています。
20代そこそこでよくこんな曲を書いた、と自分を褒める冗談も交えました。
若い頃の自作曲を遠くから眺めるのではなく、今の客席と一緒に話題にしていたのです。

そして歌う直前、20代で書いた曲を40代後半の自分がどう表現するか、と伝えました。
その時の年齢の隔たりを隠さず、曲の前に置いたところに、今回の歌い直しへの意識が表れています。

白い衣装でダンサーとステージに立つ堂本光一
2025年『RAISE』横浜公演の堂本光一。
撮影:後藤巧/出典:日刊SPA!

ツアーを見た二つの媒体の記者も、46歳の「I」に、当時とは違う深みや甘さ、色香を感じたと書いています。
若い作者が作った人物像を、その作者が今の歌で立ち上げる。
本人の曲紹介と、それを受け止めた現場の評からは、再録がステージでの表現へ続いていたことが伝わります。

「愛のかたまり」は、今の二人の声を分けて重ねた

「愛のかたまり」は、2001年に光一が作曲し、剛が作詞した二人の合作です。
KinKi Kidsのシングル「Hey! みんな元気かい?」のカップリングから、長く歌い続ける曲になりました。

2025年には、DOMOTOとして新たに録音して発表しています。
光一から剛へ、今の二人に重ねて歌える言葉を加えてほしいと相談し、まずドーム公演で披露した形が、再録へつながりました。
歌も、昔の配置をそのまま再現してはいません。

光一によると、元のサビは二人が同じ主旋律を歌い、さらに光一が高いハーモニーを重ねていました。
新録では主旋律を剛に任せ、光一はその上のハーモニーを担当しています。
二人が違う旋律を受け持つことで、それぞれの声が合わさる関係を示そうとしたのです。

ここで光一は、古い歌を未完成のものとして扱ってはいません。
本人は、当時の録音にしか出せない色があると認めたうえで、歌い直すなら変化も感じてほしいと説明しました。
過去の歌を大切にすることと、現在の自分たちに合う歌へ組み直すことは、両立する。
「I」では自分一人の年齢の隔たりを歌に置き、「愛のかたまり」では二人の声の役割を選び直して、その考えを形にしています。

昔の曲の中で、今の自分が歌う

「硝子の少年」は、若い二人が将来も歌うことを見込んで渡された曲でした。
デビュー期の歌入れには時間をかけ、2004年にはキーの高さを話し、2022年には年を重ねるほど難しいと打ち明ける。
それでも今歌って恥ずかしくないと語ります。
長く歌うとは、昔の形を何も考えず繰り返すことではありません。

一方の「I」は、若い光一が自分で書き、KinKi Kidsの作品として発表した曲。
2025年には、その作者自身がソロで歌い直し、ステージでも今の年齢からどう表現するかを問いました。
昔の曲に戻ったようで、歌い手はもう当時と同じ場所には立っていない。
堂本光一の歌声の変遷は、その距離を消さずに歌へ生かす歩みに見えます。

さらに「愛のかたまり」では、昔と違う担当を選び、今の二人だからできる重なりを作りました。
歌い続ける曲の中にも、まだ変えられる場所があるのです。

一曲の中で光一が主旋律とコーラスをどう担い分けるかは、堂本光一の歌い方の記事で扱っています。

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