村下孝蔵の歌い方|柔らかい高音と、言葉を途切れさせない歌

ギターを手にした村下孝蔵(SMA公式プロフィール掲載写真、撮影年不詳) シンガー
ギターを手にした村下孝蔵(SMA公式プロフィール掲載写真、撮影年不詳)

村下孝蔵の歌は、優しく響くからといって、簡単に歌えるわけではありません。
「初恋」では、若々しい表情を保ちながら、高い音から続くフレーズをつなぐ必要があります。
柔らかさ、息の配分、ギターとの関係から、その歌い方を考えてみます。

「初恋」では、うまさを見せるよりも若さを選ぶ

村下は、石原裕次郎や北島三郎の曲も仕事で歌った人でした。
その歌手に「初恋」で求められたのは、こぶしを抑え、学生らしく歌うこと。
身につけた歌い回しを増やすより、主人公の初々しさを残す判断です。

柔らかさを、歌の未熟さと考える必要はありません。
ここでは、歌い込んだ表情をどれだけ見せるかが選ばれています。
うまく歌う力があっても、いつでも同じように使うわけではないのです。

高音だけで終わらず、その先までフレーズをつなぐ

長く共演した沢田聖子は、「初恋」の難しさとして音域の広さを挙げています。
ギタリストの経田康が指摘するのは、さらに息継ぎの難しさです。
サビで高い音を歌ったところで息を入れてしまうと、その次の言葉へ続けにくくなる。
マネージャーだった嶋田富士彦も、村下はそこを一続きに歌っていたと振り返っています。

ここでは、高い音が出ることだけでは歌が完成しません。
高音に着いた後も、フレーズの行き先が残っているからです。
一つの音で力を使い切らず、続く言葉を含めた長さで歌を保つ。
穏やかに流れて聞こえる歌にも、このような難しさがあります。

声の高さと、言葉が続く長さを同時に扱う。
二つを合わせると、「初恋」の難しさが具体的になります。
共演者が驚いたのは、難所を一続きの歌として届けていたことでした。

1983年、弾き語りをする村下孝蔵(小学館写真)
1983年、弾き語りをする村下孝蔵(小学館写真)。
画像出典:画像掲載元

高い声へ移るときと、語尾を収めるとき

声のつながりについては、「踊り子」の弾き語りを分析したボイストレーナーの一宮光輝も注目しています。
地声と裏声の境目を感じさせず、高い音へ滑らかに移っていく、という聴き取りです。
一宮はそこをミックスボイスとのつながりとして説明していますが、ここでは声区の測定結果ではなく、歌が途切れずに聞こえるという評価として受け取れます。

さらに一宮が挙げるのは、忙しく動くギターに対して、歌が静かに保たれていることです。
手元の動きの激しさを、そのまま声の力強さへ移さない。
弾き語りの中で、伴奏と歌に違う役割を持たせているという見方です。

「初恋」の声の強弱を扱った個人の歌唱分析には、言葉の始まりをふわりと出し、終わりへ向けて小さくすることが多い、という指摘もあります。
その分析では、ビブラートも大きく誇示する揺れではなく、語尾が薄れていく中に添えられるものと捉えられています。

こちらが見ているのは、一つの言葉が始まってから消えるまでの変化です。
「踊り子」の分析が注目する音の高さのつながりとは、観察している場所が違います。
柔らかいという印象を、声の移り方と、言葉の収め方に分けて考えられるのです。

言葉の意味と、声の響きを一緒に届ける

プロデューサーの須藤晃は、村下の声には、言葉の意味を離れても耳に届く魅力があると話しています。
二人は日本語の美しさも大切にして作っていました。
意味のある言葉を、声の響きとしても気持ちよく届けるという、両方への意識です。

歌詞を読んだ印象に、声になったときの印象が重なる。
情景の説明だけでは届かない部分を、歌声が担っています。

たとえば「初恋」を論じたライターの田中稲は、村下の声に誠実な青年の印象を感じ、雨や緑といった季節の景色が声とともに届くと評しています。
一方、玉置浩二のカバーには、恋を後から思い出す感覚が前へ出ると感じたそうです。

同じ旋律と言葉でも、歌う声によって、今その場にいるようにも、遠い日を振り返るようにも感じられる。
田中の比較は、「初恋」で選ばれた若々しい歌い方が、聴き手にどんな景色を渡すのかを考える手掛かりになります。

ギターの伴奏でも、高い声が小さく収まらない

アコースティック版の「初恋」を取り上げた押尾コータローは、透明感を保って高く伸びる歌声にも注目しています。
伴奏がアコースティックだからといって、歌まで小さく抑えている、という捉え方は当てはまりません。
ギターの響きとともに、声が上へ伸びることも、この形の魅力になっています。

押尾は「踊り子」のアコースティック版を、よりフォークに近く、切なさが増す演奏と捉え、「ロマンスカー」ではギターの疾走感と旋律のよさに触れています。
同じ歌手の声でも、伴奏がどんな速さや手触りを作るかで、言葉の印象は変わる。
柔らかな声を、静かな曲だけのものにしない組み合わせです。

これらのアコースティック版は、生前のライブ音源をまとめた『GUITAR KOZO』にも収められています。
スタジオ録音とは異なる伴奏で、「初恋」の伸びる高音や「踊り子」の切なさを聴き比べられます。

大人の歌では、声が近く感じられる魅力もある

若い恋を歌う「初恋」とは違う例が、「ネコ」です。
須藤はこの曲に、大人の恋愛を歌える村下の魅力を感じ、録音で声が耳元へ届くよさを語っています。
広い会場へ大きく伝える歌だけでなく、一人の聴き手に近づくような歌も、村下の持ち味でした。

「初恋」の若々しさと、「ネコ」の親密さ。
優しい声という一言の中にも、違う役割があることが分かります。

没後の作品を担当した福田良昭も、ライブ音源や映像を通じて、技巧だけでは説明しきれない声の魅力を感じたと話しています。
歌の巧みさ、ギターの巧みさ、人間的な温かさが一つになっているという受け止め方です。
音程や高音だけに注目すると、こうした歌全体の印象はこぼれ落ちます。

村下孝蔵の歌い方を考えると、柔らかさは一つの技法の名前では説明できません。
歌い回しを抑える判断、高音の先へつなぐフレーズ、声を生かす伴奏、言葉が届く距離。
それらが合わさることで、難しい歌を、聴き手には自然な歌として届けているのです。

「初恋」の制作から晩年の録音へ続く歩みは、村下孝蔵の歌唱変遷をご覧ください。

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