シャキーラの歌声の変遷|独特の歌い回しを、本人はどう変えてきたのか

1999年のMTV Unpluggedで歌うシャキーラ(写真:Ignacio Gurruchaga/Sony Music提供) シャキーラ
1999年のMTV Unpluggedで歌うシャキーラ(写真:Ignacio Gurruchaga/Sony Music提供)

一度聴けば分かるほど個性的な声を持ちながら、その歌い方を自分で見直してきたシャキーラ。
英語への進出、ダンス音楽との出会い、歌えなくなった時期を経て、何が変わったのでしょうか。
声の個性を守ることと、同じ歌い方を続けることが、別々の選択になっていく歩みです。

1990年代|自分の言葉を、自分の声で歌うようになる

初期のシャキーラは、歌う内容をすべて自分で決められたわけではありません。
1991年の『Magia』には、他人が書いた曲も含まれていました。
本人は後年、自分が書いたものでも、気持ちを重ねられるものでもない歌を歌うことが、つらかったと振り返っています。

転機となった『Pies Descalzos』では、制作にも深く関わり、「Estoy Aquí」などを送り出します。
歌い手として目立つだけでなく、何を歌うかを決める側へ進んだことが、この時期の大きな変化でした。

続く1998年の『¿Dónde Están los Ladrones?』では、より荒々しいロックの感触と、マリアッチや中東の音楽を思わせる要素が共存します。
本人は、自分自身が複数の文化の混ざり合いだと説明していました。
特徴的な声を一つのジャンルに収めるより、異なる音楽をその声で結ぶ方向が、すでに見えています。

1999年収録の『MTV Unplugged』では、既存曲の見せ方も変えています。
「Ciega, Sordomuda」にはマリアッチの楽団が加わり、原曲の一定したダンスの進み方から、ゆっくり始まって勢いを増す演奏へ。
歌の告白も、整ったポップの形とは違う、思いをあふれさせるような表情を帯びました。

この公演はスペイン語で歌われながら、英語圏へ本人を紹介する機会にもなります。
英語へ移る前から、すでに歌と編曲を作り直すことで、別の客席へ届いていたのです。

MTV Unplugged(1999年収録、2000年発売)。

2001年|英語になっても、歌い手を取り替えない

『Laundry Service』へ進むとき、課題は英語の発音だけではありませんでした。
シャキーラは、英語でコーヒーを注文することと、感情や葛藤を歌にすることの違いに直面します。
初めて韻の辞書を手にして書き、少しずつ自然に表現できるようになったといいます。

英語で歌う準備には、詩人ウォルト・ホイットマンの作品を学ぶことも含まれていました。
伝えたいことを他人に丸ごと預けず、新しい言語でも自分の言葉を探していたのです。

その一方で、昔の曲を英語に移すと、声の運びも同じにはなりません。
「Ojos Así」と英語版「Eyes Like Yours」では、音節の違いが、声を揺らして伸ばせる長さにも影響しています。
同じ旋律でも、言葉が変われば歌い方を組み直す必要がありました。

この時期のロックへの思いは、英語圏向けの活動にも残っています。
2002年のツアーでは、AC/DCやエアロスミスの曲も取り上げました。
世界的なポップ歌手として知られるようになっても、力のある声でロックを歌う姿を、舞台から引っ込めたわけではありません。

ただし、英語で成功した後も、「Ojos Así」は主にスペイン語で歌い続けられました。
すべての曲を英語へ置き換えたわけではありません。
新しい言語へ進む一方で、元の言葉と声の結びつきが強い曲を、その形で残す道も選んでいます。

『Laundry Service』のニューヨークでの発表時のシャキーラ(写真:Theo Wargo/WireImage)
『Laundry Service』のニューヨークでの発表時のシャキーラ(写真:Theo Wargo/WireImage)。
画像出典:画像掲載元

2005〜2010年|音楽を変え、その中で声の居場所を探す

2005年には、スペイン語の『Fijación Oral, Vol. 1』と英語の『Oral Fixation, Vol. 2』を発表します。
シャキーラは、アルバム全体を同じ音にそろえる必要を感じていませんでした。
別々の気分や制作の瞬間から生まれた曲なら、レゲトン、アコーディオン、電子音が並んでいてもよい。
曲ごとの違いを残す考え方です。

「La Tortura」では、アレハンドロ・サンスのざらついた声と組み合わさり、男女の掛け合いが強い輪郭を作ります。
自分だけで感情を語る歌から、別の声とのやり取りで緊張を生む歌へ。
共演者との組み合わせも、シャキーラの声の見せ方を広げていきました。

2009年の『She Wolf』では、強い低音と硬いビートを持つ、電子的なダンス音楽へ踏み込みます。
本人はこの頃、若い時期よりも表現のためらいが減ったと話していました。
曲を踊れるものにする意識と、遠慮せずに自分を出す姿勢が重なった時期です。

ところが翌2010年の『Sale el Sol』では、伴奏を整理した曲の中で、声の存在感を改めて前へ出しています。
表題曲では、初期からの制作仲間ルイス・フェルナンド・オチョアと再び組み、ギターの響きを背景に歌う。
電子音を増やし続けるのではなく、その時の曲に合わせて、声がよく見える場所へ戻る動きもありました。

2014〜2018年|歌い方の幅と、歌えることの重み

2014年の『Shakira』には、レゲエ、ダンス、ロックが並びます。
「Empire」の大きくうねる歌声も、「Can’t Remember to Forget You」の低めの声も、その中の選択でした。
年齢とともに一方向へおとなしくなるというより、曲の中で個性を強く出す場所が変わっていったのです。

2017年、その歌声が突然使えなくなります。
ツアーへ向けたリハーサルを重ねていた最中に、声の不調が起こり、公演は延期。
歌うことを自分の存在と強く結びつけていたシャキーラにとって、声を失う経験は大きな打撃でした。

2018年に舞台へ戻った後は、一公演ずつを贈り物のように感じるようになったといいます。
ここで変わったと確認できるのは、まず歌う行為への向き合い方です。
復帰できたことと、以前より声が高くなった、発声が別物になったということは、分けて考える必要があります。

El Dorado World Tourのライブ音源(2018年公演、2019年発売)。

El Dorado World Tourのシャキーラ(写真:Xavi Menos)
El Dorado World Tourのシャキーラ(写真:Xavi Menos)。
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2023〜2024年|以前よりも、歌い回しを選ぶようになる

後年のシャキーラは、昔の自分の歌に、泣くような癖を入れすぎていたと振り返っています。
出産を経て声に厚みや丸みを感じるようになったとも話しますが、それは本人が捉える変化です。
声の質感の変化に加え、どんな歌い回しを使うかという判断も、以前とは違ってきたと説明しています。

2024年の『Las Mujeres Ya No Lloran』では、その判断が一つの感情だけに向かってはいません。
Bizarrapとの曲で鋭い言葉を放つ一方、「Acróstico」や「Última」では、バラードの形で思いを伝える。
怒り、傷つき、希望を別々の曲へ託し、歌声にも違う役割を持たせた作品です。

2024年の録音。
MVは2025年公開。

制作環境も変わりました。
バルセロナにいた頃は、思いついた曲を進めるために、制作相手が来られる時を待つ必要があったといいます。
マイアミでは仲間と近くなり、音楽を作る気持ちが再び強まった。
この変化は、声をどう出すかという技術だけではなく、曲を試し、相手とやり取りできる機会を増やしました。

2023年には、何語の歌を聴くかを決めるのは聴き手だとも話しています。
英語で歌うために多くの調整や説得を重ねた時代から、スペイン語のままで世界へ届く時代へ。
本人の変化に加え、声を届ける環境も変わってきました。

2026年|完成形を知っていても、声と曲を作り直す

2026年のバーナ・ボーイとの曲「Dai Dai」でも、シャキーラは制作の細部に参加しています。
制作陣は冒頭や終盤の構成を何度も試し、版を重ねました。
本人が求めたのは、勢いを保ちながらも、ずっと同じ強さで押し続けないこと。
大きくなる部分と静まる部分を作り、曲全体の動きを整えていったのです。

シャキーラの歩みでは、個性的な声を持ったことが、歌い方の完成を意味しませんでした。
言語、相手、伴奏が変わるたびに、その声をどう使うかを選び直してきた。
若い頃の濃い歌い回しを見直す本人の言葉も、その長い試行錯誤の続きとして受け取れます。

曲ごとの声の揺らし方や、録音での見せ方は、シャキーラの歌い方で詳しく扱っています。

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