川田まみの歌声の変遷|「JOINT」で見つけた強さと、手放さなかった柔らかさ

2012年、『SQUARE THE CIRCLE』の取材で話す川田まみ(撮影:佐藤類) シンガー
2012年、『SQUARE THE CIRCLE』の取材で話す川田まみ(撮影:佐藤類)

川田まみの歩みをたどると、力強い歌い手になることと、柔らかな声を失うことは別だと分かります。
激しい曲で自分の柱を見つけた後も、穏やかな歌や明るい歌を手放してはいません。
変わっていったのは、自分のどの面を作品の中心に置くかという選択でした。

2001〜2006年――札幌で歌い始めた頃と、初めての単独ツアー

川田まみは、札幌の音楽スクールで出会った島みやえい子の勧めを受け、2001年に音楽制作集団I’veのオーディションへ進みました。
同年の「風と君を抱いて」が歌手としての出発点です。
地元で仲間に囲まれて歌う生活から、やがてメジャーの活動へ踏み出しますが、本人には期待だけでなく、新しい場所へ出る不安もありました。

2005年には「radiance」でメジャーデビュー。
同年11月の「緋色の空」は、アニメ『灼眼のシャナ』のオープニングを飾りました。

ところが、2006年の初の単独ツアーでは、歌だけでなく、ダンスやMCにも課題を感じます。
自分が思い描く歌手像を意識しすぎて、こうあるべきだという考えにも縛られていました。

2007〜2008年――「JOINT」が、自分の強さを確かめる曲になる

転機は2007年の「Get my way!」と「JOINT」でした。
それまで落ち着きや切なさのある曲を歌ってきた川田まみは、激しい方向への変化が受け入れられるか心配したといいます。
それでも、こうした曲でも自分の持ち味を出せると分かり、次の『SAVIA』には気負いすぎず向き合えました。

後年、本人は「JOINT」との出会いで歌手としての柱ができたと振り返っています。
自分に何が合うかを探す段階から、その特徴をどう磨くかを考える段階へ進んだ曲でした。

ただし、同じシングルの「triangle」には、従来の自分にしっくりくる感覚も見いだしていました。
新しい力強さと、慣れ親しんだ繊細さが、同時に確かめられています。

2010年――『LINKAGE』で、激しい歌だけではない自分を出す

「PSI-missing」や「masterpiece」などの印象が広がる一方、2010年の『LINKAGE』では別の面も前へ出しました。
「アウェアネス」や「言葉、心の声」のようなミディアム、バラードの曲です。
高瀬一矢は、川田まみがもともとその領域を得意としていることを踏まえて制作しています。
本人にとって、激しさは歌手として表現する顔の一つであり、穏やかなテンポの歌にも素の自分がありました。
ザ・クランベリーズの「DREAMS」のカバーも、加入当初に高瀬が感じた歌い方の印象をきっかけに実現しています。
育ってきた強いイメージと、初期の魅力を結び直す。
この作品では、その往復が表現の幅になりました。

2010年、『LINKAGE』の取材に掲載された川田まみ
2010年、『LINKAGE』の取材に掲載された川田まみ。
画像出典:画像掲載元

2012年――作品を任される歌手から、自分の方向を示す歌手へ

2012年の『SQUARE THE CIRCLE』では、制作への関わり方も変わります。
それまで中沢伴行が決めていた作品のコンセプトや方向を、今回は川田まみ自身が積極的に提案しました。
背景にあったのは、札幌の外で多くの歌い手と出会い、後輩から先輩として見られる経験です。
周囲が思い描くクールな歌手像と、自分自身の間にある距離を、避けずに考えるようになりました。
求められるイメージを演じるだけでなく、何を歌いたいのかを制作側へ渡す。
声を入れる前の段階から、自分の意思を作品へ反映する転機です。

同じ頃、「Borderland」を機にギターへ本格的に取り組み、女性メンバーのバンドを率いるようにもなりました。
メンバーと長くリハーサルをする経験は、音楽を仕事として続ける中で薄れがちだった、楽しさを思い出させてくれたといいます。

2013〜2014年――同じ歌を歌い直すことで、経験の意味を知る

2013年のベスト盤『MAMI KAWADA BEST BIRTH』では、「風と君を抱いて」を新しく録音しました。
最初の録音には2日かかったのに、今回は比較的すぐ歌えた。
本人はそこに成長を感じながら、初々しかった歌を難なくこなせることへの寂しさも覚えています。
歌えるようになった喜びと、最初の一度にしかない表情への愛着。
単純に新しい録音のほうが優れている、と片付けなかったところに、この再録の意味があります。

ベスト盤の制作自体も、次へ進むために過去を受け止める機会でした。
以前は活動の途中で区切りを付けることにためらいがありましたが、若いバンドメンバーを率いる経験を経て、歩みを振り返る必要を感じたといいます。
歴代シングルを並べた本人は、作品への取り組みが次第に厳しくなり、攻める方向へ進んできたことも実感しました。

一方、バンドとの関係は、編成を変えた瞬間に完成したわけではありません。
2014年には、メンバーとの温度差に悩んだ時期を振り返っています。
一人でクラブのステージに立ち、MCを挟まず歌う経験が、バンドの支えに気づくきっかけにもなりました。
周囲を引っ張る責任と、人に支えられて歌う実感が、少しずつ結び付いていきます。

2015年――『PARABLEPSIA』で、声と音の関係を突き詰める

2015年の『PARABLEPSIA』は、「Borderland」を軸に、電子音とロックを組み合わせた自分たちの音を深めた作品です。
川田まみとI’veの制作陣は定期的に集まり、それぞれのデモを聴いて意見を交換しました。
クラブで歌った経験も、客席が音をどう受け取るかを考える視点につながっています。

ここでは、伴奏の上へ歌を乗せるだけでなく、音全体を聴かせることも重視しました。
その分、バックトラックとメロディーを両立させる難しさがあり、打ち合わせで調整を重ねています。
声の強さを増せば作品が完成するのではなく、電子音、ギター、歌がどう共存するかを、チーム全体で探したのです。

最後の「Dendritic Quartz」は、初作『SEED』の「seed」へ返す歌でもあります。
何も知らないまま進めた初期を振り返り、それでも歌い続ける気持ちを形にしました。
自分の音を絞り込んだアルバムの終わりに、出発点への思いが残っています。

2015年、『PARABLEPSIA』の取材に掲載された川田まみ
2015年、『PARABLEPSIA』の取材に掲載された川田まみ。
画像出典:画像掲載元

2016年以降――明るい声を開き、歌の経験を人へ渡す

2016年の「Contrail~軌跡~」では、爽やかで軽やかな表情をシングルの中心に置きました。
本人は、こうした歌もゲーム作品などで以前から表現してきたと説明しています。
激しい路線から突然転向したのではなく、並行して持っていた色が、大きく表へ出たのです。
その前の「Gardens」では、築いてきた歌手像が揺らぐ不安もありました。
しかし『PARABLEPSIA』で自分の核を示せたことで、もう一つの面も出してよいと思えたといいます。
持ち味を固めたからこそ、違う歌い方を選べるようになった。
この順序が、活動終盤の明るさを理解する手掛かりになります。

川田まみは2016年に歌手活動からの引退を発表し、5月にファイナルライブを行うと告知しました。

2018年のNBCの音楽イベントでは、一夜限りのステージ復帰を果たします。
「JOINT」や「Borderland」などを披露したこの公演は、継続的な歌手活動の再開とは区別して捉える必要があります。

2024年の藍井エイル「POLYHEDRA」では、作詞に加えて仮歌でも制作に関わっています。
自分のイメージで歌ったデモを渡しながら、受け取った歌い手には、それを崩してもよいと考えていました。
川田まみのニュアンスを感じつつ、藍井エイル自身の歌へ仕上げていく。
かつて制作陣と探した声の表情を、今度はほかの歌い手が選ぶための材料として渡す立場です。

初期の穏やかな歌、「JOINT」で得た柱、そして爽やかな声を堂々と出せた「Contrail~軌跡~」。
川田まみの変遷は、強い声へ一直線に進んだ歴史ではありません。
自分の中にある複数の色を知り、それぞれを作品の中で生かせるようになった歩みです。

曲の中で声をどう切り替え、伸ばし、重ねるのかは、川田まみの歌い方で詳しく取り上げています。

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