塩塚モエカの歌声の変遷|歌えなかった「サイレン」から、客席に余白を渡すまで

塩塚モエカの横顔 シンガー
塩塚モエカ。写真:鳥居洋介/出典:OTOTOY(2020年インタビュー)。

2024年、横浜アリーナに立った塩塚モエカは、会場が大きくなってもみんなが温かいから一緒だ、と客席に話しました。
数年前の彼女は、誰も聴いてくれないライブで、聴いてほしい気持ちを観客にぶつけていたと振り返っています。
声を遠くへ届かせるほど、聴く人との距離は近くなったのでしょうか。

羊文学で歌とギターを担う塩塚の歩みには、作った本人にも歌えなかった曲、細かく直さないと納得できなかった録音、そして大きな会場で演奏するようになった後の選択があります。
単に高い声が出るようになったという話ではありません。

2016~20年|自分で作った「サイレン」を、自分で歌えなかった

塩塚はYUIの歌が好きでした。
しかし自分は声が違い、高い声もあまり出なかった。
その違いが、自分の曲を作り始めるきっかけになったと本人は話しています。
目標にした声へ自分を寄せるより、いまの自分から曲を生み出そうとしたのです。

それでも、書いた曲がすぐ歌えるとは限りません。
2020年のEP『ざわめき』に収めた「サイレン」は、本人によればその3~4年前に作った曲です。
動きの細かいメロディーを試してみたかったものの、当時は歌う技量が足りず、実際には歌えなかった。
曲を作った塩塚自身が、その歌の最初の難しさに直面していました。

録音を重ねるうちに、出しやすい声と、出したい声へどう近づくかが少しずつ分かるようになったと彼女は説明しています。
以前は息が続かなかった高い声にも取り組み、数年前の自分には歌えなかった「サイレン」をEPへ残せた。
本人の証言から確認できる変化は、声質が別物になったことではなく、自分の書いたメロディーを歌にできる選択肢が増えたことです。

同じEPには「人間だった」も収められました。
身近な感情にとどまらず、周囲の世界を見つめた曲も、この時期に発表しています。

2020年|「聴いてほしい」とぶつけるだけではなくなる

難しい曲を歌えるようになった時期、ライブでの声の届け方も変わっていました。
2020年の取材で塩塚は、2年ほど前までのライブを、聴いてほしい気持ちを客席にぶつけ、観客と戦っているようだったと振り返ります。
実際、聴いてくれる人がほとんどいなかった頃でもありました。

ところが2020年には、押すところと引くところのバランスを作り、聴く人が入り込める余白を残せるようになったと話しています。
声を強く出す力が付いたからずっと強く歌う、という変化ではない。
聴き手に何を渡し、どこを委ねるかを選ぶようになったのです。

その「余白」は、録音の作り方にも通じます。
塩塚は後年、2020年より前は理想の歌に届かないと感じ、少しの音程のずれも気になって、録った歌を一言ずつ切るほど細かく編集していたと話しました。
2020年頃からは歌の技術が少し上がったこともあり、本番録音に先立って曲を試すプリプロの歌を、そのまま使うことも出てきました。
修正もまず人に任せ、仕上がりで気になる箇所を伝えるようになります。
本人は、そのほうが表現が豊かになった感覚があると言います。
録音を正確に整えることと、歌の流れを残すこと。
その二つの間で、選び方が変わりました。

2020~21年|バンドの外で知った、別の歌い方

自分たちだけの録音から外へ出る経験も、塩塚の歌を広げていきます。
2020年末には、蓮沼執太フィルの「HOLIDAY」に客演しました。
羊文学を聴いていた蓮沼からの誘いに、以前から共演したいと思っていた塩塚も、すぐに応じています。

2021年の対談で彼女は、普段のバンドでは強めに、弾き語りでは小さな声で自分の内側へ向かうように歌っていると説明しました。
それに対して「HOLIDAY」は、多くの演奏者の音と、外へ開けた曲の中で歌う体験だったそうです。
いつものバンドでは頭で考えることが多いのに、この録音では、曲から見えた大きな世界へ気持ちで進めた。
歌を録るのが苦手だった人が、別の作り手の曲では録音を楽しいと感じていました。

自分で作り、歌い、ギターも弾く羊文学とは、曲の中で引き受ける役割が違います。
相手が用意した音楽に声を置くことも、持っている声の使い道を知る機会になったのでしょう。

2022年|自分の内側だけでなく、物語の命へ

テレビアニメ『平家物語』の主題歌「光るとき」を作ったとき、塩塚は、それまで自分のことを歌う曲が多かったのに対し、今度は人の命を扱う大きな物語へ向き合うことになったと語っています。
自分の経験だけで歌詞を書けない題材を、どんな言葉と歌にするか。
そこに、新しい難しさがありました。

ここで広がったのは、歌が引き受ける相手と題材です。
身近な感情から生まれる曲に加え、別の人たちの生と死を思いながら書いた曲も、自分の声で歌うようになりました。

同じ年、塩塚は歌とダンスの関係も話しています。
歌はその日の体や心の状態に左右されるから、体の声を聞くことが役立つかもしれない、と考えてダンスを続けていました。
技術を身に付けて終わるのではなく、舞台でその日の自分をどう動かすかにも関心が向いていたのです。

また、この頃には客演を通じて、他の人が録音をどう判断し、コーラスをどう重ねるのかを学んでいるとも話しました。
ASIAN KUNG-FU GENERATIONのパシフィコ横浜公演に招かれた際には、当時の羊文学より大きな会場でも落ち着いて歌えたことが、自信になったといいます。
自分の声を広げる経験は、新曲の制作だけでなく、他の演奏者の現場にもありました。

2023年|歌を細かく直すより、流れを残す

「more than words」は、羊文学をそれまで知らなかった人にも届いた曲です。
塩塚は、この曲のような音楽を以前からやりたかったものの、バンドではできないと思ってメンバーに見せていなかったと話しました。
作品のタイアップという大きな入口に合わせながら、自分の経験や本当にやりたかった曲調を手放さずに作れた一曲でした。

このときベースの河西ゆりかに渡ったデモは、打ち込みを中心としたダンス音楽に近いものだったそうです。
バンドでどう演奏するか想像できないことを、河西はむしろ試したい理由にしました。
塩塚が一人で「できない」と決めていた段階から、仲間と方法を探す段階へ進んだのです。

録音でも細かな修正にとらわれず、歌の流れを残せるようになったという本人の話を聞いて、King Gnuの新井和輝は「more than words」も流れが大事な曲だと応じています。
曲作りと歌の残し方、両方の選択が広がった時期でした。

ギターと歌が異なるリズムで動くこの曲を、本人がどう練習して人前で演奏しているかは、塩塚モエカの歌い方で詳しく扱っています。
ここでは、曲を作り録る際の選び方に焦点を当てます。

アコースティックギターを持つ塩塚モエカ
塩塚モエカ。
出典:FenderNews(2023年インタビュー)。

2024年|大きな会場でも、声を一つに決めない

2024年4月、羊文学は横浜アリーナでワンマン公演を行いました。
インディーズ期から近年までの18曲を並べた公演には、2020年に出した「人間だった」も、2022年の「光るとき」も含まれます。
かつて客席へ思いをぶつけていた歌が、12,000人規模の会場で、別の関係を結ぶ場所に置かれました。

会場を取材したFenderNewsは、「踊らない」の高い歌声と、「honestly」の低音を含む歌を対照的に記録し、後者では河西ゆりかとのハーモニーにも触れています。
同じ日の、違う曲での表現です。
透明な高音だけでなく、低い響きや、他の声と重なる場面も、この日の歌を形作っていました。

塩塚は客席の温かさに触れ、広い会場でも一人ひとりがそばにいるように感じたと話しました。
この公演の公式トレーラーも後に公開されています。

最初の「サイレン」は、書いた本人がまだ歌えない曲でした。
録音を重ねて歌えるようになり、客席との間に余白を残し、理想どおりに直し尽くすより歌の流れを選ぶようになる。
この大きな会場でも、曲ごとに声の出し方を変え、聴く人との距離を作っていたのです。

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